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2013年4月

2013年4月27日 (土)

成人式は町内会主催で 三苫民雄

以前、自身の読書ブログでも書いたことがあるのですが、毎年成人式が近づくといつも標題のようなことを感じています。今年は時季外れですが、ここの論壇ブログに書いておきます。

最近の成人式は一昔前ほどには「荒れた」という報道は聞きませんが、新成人がおとなしくなってきたのか、それとも「荒れる」こと自体があまり流行らなくなったのか、などと考えたりしています。いずれにしても、周囲にあまり迷惑がかからないようになったのだとしたら、それはそれで目出たいことかもしれません。

しかし、いろいろな大学の1~2年生を見ていると、人の話に静かに耳を傾ける習慣が身につかないまま18~19歳になってきている連中が少なくないため、たとえ今日の成人式が荒れていないとしても、お偉いさんの話はまず聴いていないだろうなと想像できます。しばらくの間のことだからと辛抱しているというよりは、みんなスマホの画面を見るのに忙しくて騒いでいないだけということも十分考えられます。

そこで、以前から思っているのですが、成人式は自治体のホールなどを使って大規模に開催するのではなく、地域ごとの町内会が主催することとし、神社の社務所の座敷や公民館などを会場にして、町内の新成人をお祝いするようにしてはどうでしょう。自治体もそれぞれに多少助成金を出したとしても今より安く済むはずです。

安上がりかどうかはさておき、成人式は地域でこれから若者が成人として共同体に参入するという儀式でなければなりません。迎え入れる町内三役を始めとした大人たちも正装で参列し、できれば神社でお祓いをするといった儀式性があるといいと思います。

成人式は、かつての元服がそうであったように、何よりもまず地域社会への参入儀礼なのです。わが国に限らず、世界のどこの文化でも若者は参入儀礼を経て初めてその共同体の一員となることが認められてきました。

元服がなくなり、成人式に儀式性が感じられなくなってしまった今日、若者は大人になる機会を失ってしまっています。すでに若くはない元若者たちも、自分の胸に手を当てて考えてみれば、分別をわきまえ、勇気と責任感のある一人前の大人になりきっていなかったことに気がつくのではないでしょうか。かくいう私自身がそうなのです。

ここであらためて成人式の文化的(文化人類学的)意義を取り戻す必要があります。元若者たちもそこに参列し、会の運営に協力することを通じて、若者たちと一緒にかつてなりそこなった大人になるのです。こうなってくると、成人式は実は儀礼であると同時にお祭りの要素も含まれていなければなりませんね。地域ごとに工夫して盛り上がるのもありです。

いずれにしても、基本形としては、ある種の厳格な儀式を終えたら、その後は新成人一人ひとりに自己紹介とともに成人としての決意を述べてもらい、大人たちとの会食、歓談という形になるだけでいいと思います。地域ごとのささやかな会ですが、それは新成人たちだけでなく、その地域にとっても意義深いものになるのではないでしょうか。

ただその場合でも、町内会長のスピーチはあくまで短めにお願いしたいものです。

2013年4月26日 (金)

「自動車保険の二重払い」  榊 博文

自動車を車検に出すと必ず強制保険(自賠責保険)に入らされるが、これは保険に入らない人をなくすためにそれなりに意義があるものの、 保証の範囲は狭くしかも保険料は高い。そこで、通常、私たちは任意保険に入るのが普通であり、こちらは保証範囲が広く料金も安い。

つまり、任意保険に入った人は保険料を二重に払っていることになり、無駄使いをしていることになる。そこで、任意保険に加入した人には強制保険料を返却するシステムにしたらいいのでいないか。税収は減るかもしれないが、理屈に合わない税はとらない方を国民は支持するだろう。

2013年4月23日 (火)

「山場CM」の説得効果   榊 博文(慶應義塾大学)

 筆者らは2002年に、日米英仏における、テレビ番組内のCM呈示タイミングの比較文化的調査を行い、国によりCM呈示タイミングが極めて異なっていること、それはまた各国の放送規制・広告規制・国民性・文化によっていること、また日本においては視聴者がCM呈示タイミング、いわゆる「山場СM」に極めて強い不満を持っていることを明らかにした(1)(2)。
 
 「山場CM」とは筆者の造語で、ドラマ、ドキュメンタリー、ニュース、クイズ番組などで、ここぞという今まさにその続きを見たいという直前に突然に入るCMのことである。近年では、わざわざ場面を盛り上げてからCMに入るという念の入れかたが目立つ。
 
「山場CM」に対する視聴者の態度の変化
以来、「ここぞ」という山場で出すCMが減っているか否か観察を続けてきたが、むしろ増えているとの印象をもたざるを得ず、2002年には見られなかった「映画」上映中にも「山場СM」が、近年はみられるようになってきており、事態は悪化しているように思える。そこで、2010年に、日本の視聴者が「テレビCM」「山場СM」「一段落CM」に対してどのような態度・意識をもっているか再度調査を試みた(3)。
 2002年調査と2010年調査とを比較すると、

CMが嫌い            33.7%から76.7%へ増加
CMでチャンネルを変える    49.2%から64.6%へ増加
CMまたぎ嫌い              78.5%から94.9%へ増加
    (CMまたぎとはCMのあとに前と同じシーンが繰り返されること)
山場CMでフラストレーションたまる   67.5%から85.9%へ増加
山場CMの商品が嫌い          27.9%から91.4%へ増加
一段落CMは好感もてる        41.7%から74.8%へ増加
一段落CMの商品好き         21.5%から80.2%へ増加
(「一段落CM」とは、「山場CM」とは反対に、ストーリーが一段落し、視聴者の気分が落ち着いたタイミングで提示されるCMのこと)
 
「山場CM」によるテレビ離れ
 「山場CM」及び英、仏、米の詳細は原論文を読んでいただくこととして、「テレビ離れ」という言葉の通り、テレビは次第に見られなくなっており、見られているにしても「ながら視聴」、すなわちスイッチがオンになっているだけの時代に入っていると思われる。このことから、テレビでCMを打つことの効果が減少している可能性を指摘できる。「テレビ局は視聴者を馬鹿にしている」と思っている視聴者は少なくはなく、このような人はそもそもテレビを見ない。

  更に、日本のCMは単なる商品告知のCMが多く、しかも1回のCMの時間が15秒と短いため、同じCMを何度も見せつけられ、異なるCMも同様に呈示されるので「CM漬け」にされているという印象を視聴者はもちやすい。CMに対しては「食傷気味」の段階を超え、意識してCMを避けるという「CM離れ」の段階に達している。アメリカでは7割のCMは見たくないと視聴者に思われているそうであるが、日本でも事情は同様であろう。日本において、視聴者が「見たいと思うCM」は一体何本あるのだろうか。  「消費者の媒体別広告評価と行動調査 2009年版」によれば、「テレビ番組の途中でCMが入る時、何をしているか」という質問に対して、男女ともに、6割以上の人が「CMは見ないで別のことをしている」「部屋を離れて別のことをしている」「他チャンネルに変え、CMはあまり見ない」などと答えている(4)。「CM離れ」はここでも明確に示されている。
 
「山場CM」の逆効果
 テレビ番組の低俗化を問題にした和田勉が、「視聴″質″調査になぜ取りかからぬ。このままつづけると視聴率ならぬわが身の″死傷率″をふやすだけだ」と述べたのは10年も前のことである(5)。和田のこの指摘は、今日、テレビCMにも適用されうるものであり、多くの企業経営者が「テレビ広告が最近効かなくなってきた」と述べていることが和田の指摘の正しさを証明している。テレビ局の″死傷率″は急速に進行しているわけではないが、「視聴者を馬鹿にしているテレビ局」にはボディブローのようにじわじわと効いているに違いない。
 
 そもそも、CMとは「商品を買って下さい」「商品名・企業名を覚えて下さい」と視聴者に訴える「説得」であるが、「山場CM」が視聴者のテレビ離れやCM離れを起こしている現状では、CMを打っても説得効果は薄い。広告効果モデルも、AIDMAからネットを利用するAISASに移っており、広告主もテレビ離れを起こしている。
 
 問題の解決策として、CMを番組と番組の間にまとめて出すようにすれば、上記の点は大分解消されるが、番組と番組の間に入るため、逆にCMは見てもらえなくなる。そこで、視聴に耐えるようなCM制作が始まり、ストーリー性を備え、ユーモアがあり、見ていて面白く、あるいは感動したりするようなレベルの高いCMが自ずと生れる。ヨーロッパではこのようなCMが多い。日本のJR東海の60秒CMが視聴者に高い評価を受け、同社の就職人気ランキングがこのCMのあと28位から2位に急浮上したことは画期的な出来事だった。このようなCMが多くなれば、視聴者は好んでCMを見るようになるだろうし、日本のCM文化も向上し、カンヌでグランプリをとるようになるだろう。
 
「山場CM」が起こす大問題
 逆に、現在の「山場CM」を今後も出しつづけると、子供や若者に対して非常な悪影響を及ぼす可能性が指摘される。集中して番組を見ていると、「今まさにそのつづきが見たい」という場面で必ずと言っていいほどCMが入ってくる。毎日毎日このくり返しで、幼い頃から十年も二十年もこのような経験をしていると、大脳の中の集中力をつかさどる回路が強制的に切られてしまい、集中力が継続しない子供・若者が作られる。仕事や勉強などをしている時、集中力が持続しそうになると、無意識のうちに集中力が途切れて、何事にも集中できない飽きやすい人間が形成されるのではないだろうか。しかも、CMあけに前と同じシーンがくり返し出てくると、集中すること自体が馬鹿馬鹿しくなって、集中することさえ嫌になってくる。
 
  以上はひとつの仮説であるが、集中できない日本人や集中力が持続しない日本人を「山場CM」が作り出しているとすると、事態は極めて重大である。集中できない人間が増えるということは、結果的にやる気のない人間が増えるということであり、そのような人間が増えると日本全体の活力が停滞する。自分が何をしたいのか分からない若者たちが増えているといわれているが、集中することがなければ何をしたいのかも分からないのは当然である。
 
  ネットで「山場CM」を検索すれば分かるように、視聴者は「山場CM」に対して、そして「山場CM」を出すテレビ局とそのスポンサーに対して激しい怒りを感じている。テレビ局とスポンサーである企業が話し合う場をもち、本気で「山場CM」の問題の解決に向けて取り組まなければ、既存のメディアの影響力が薄れネットが社会を変える時代になりつつある今日、いつ「山場CM番組不視聴運動」「山場CM商品不買運動」が起きても不思議ではない。
 
追記: 中国では日本のまねをして「山場CM」が出されていたが、私の論文を読んだであろう中国の広告研究者が共産党上層部に進言し、共産党の鶴の一声でドラマの途中でCMを出すことが全面的に禁止された。一党独裁国家ならではの出来事ではある。
 
【引用文献】
(1) 榊  博文・今井美樹・岡田美咲・出羽かおり「番組内CM提示タイミングが視聴者の態度に及ぼす影響(上) 」日経広告研究所報  2003  211号  2-9頁.
(2) 榊  博文・今井美樹・岡田美咲・出羽かおり「番組内CM提示タイミングが視聴者の態度に及ぼす影響(下) 」日経広告研究所報  2004  212号  34-43頁.
(3) 榊  博文「テレビCM、山場CM、一段落CMに対する視聴者の態度」日経広告研究所報  2011  255号  19-26頁.
(4) 「消費者の媒体別広告評価と行動調査 2009年版」 社団法人日本アドバタイザーズ協会2009  78-79頁.
(5) 毎日新聞 2003年 11月16日付朝刊

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