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2013年5月20日 (月)

秋桜と郷愁   榊博文


Sakakikosumosu20130520

 秋桜のが満開なってきました。2013520日に撮影したものです。秋とに咲く桜なんて、「一粒で二度おいしい」キャラメル(?)みたいですね小学生頃、学校に行く途中に公園があり、こに沢山の秋桜が咲いていて、子心に、んというか、今風に言えば心癒やされるというか、嬉しかったものです。今でも、秋桜を見るとその時のことを思い出します。郷愁ですね。

子供の頃は、時間がゆったりと流れ、1年間がとても長かったのですが、年とるにつれて1年間があっという間に過ぎてしまいます。物理的には同じ1年間なのに、年とるにつれて時間感覚がドンドン変化します。

何故、このように時間感覚が変化するのでしょうか?  どなたか教えて下さい。

ネット論壇に相応しくない、たあいもない内容でした。

 

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コメント

以前どこかで聞いた話ですが、成長途上の若い細胞にとっては自らがつねに変化し、それに伴い周囲の環境もどんどん違って見えるのに対し、成長をほとんど終えた細胞にとっては、自ら変化することもなく、周囲の環境も一定で変化があってもそれは同じことの繰り返しに見えています。

したがって、同じ時間が流れているにしても、前者は様々な新たな事件に遭遇するのに対し、後者はほぼ同じことが決まりきった周期で訪れるだけです。

同じ時間を濃密に感じるか、単なる繰り返しで感じるかで、全体の長さも一様ではなくなり、前者は長く、後者は短く感じられるということでしょうか。

また、成長途上ということは、時間を感じる主体自体の活動量も格段に違い、自分では同じと思っていても、実は感覚の器としての存在は、ほとんど別の生き物みたいなものではないか、と考えられます。

小難しい説明で失礼しました。

実は感覚の器としての存在は、ほとんど別の生き物みたいなものではないか

面白い見方です。大脳の時間感覚自体が、子供、青少年、中高年で異なる。
例えば、1時間をこれらの年代別に、どう感じたか、実験することは出来ますね。
多分、子供は長く、大人は短かく感じるでしょう。
これだけでもやる価値のある実験ですね。
しかし、何故そうなのか、大脳生理学的に説明できたらもっと面白いですね。

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