C.S.ルイス『悪魔の手紙』
ロッセリーニ監督の「殺人カメラ」に登場する悪魔が「悪魔の世界で出世するのは難しいんだ」と言っていたのを思い出しました。悪魔の側から見た世界は善に満ちているので、気を許すとすぐに人は「敵」である神に召されてしまうからです。かなりの悪事を働いたとしても、ちょっとでも改悛したらたちまち「敵」の手に落ちてしまう、というようなことも映画の中の悪魔は言ってましたね。
考えてみれば、悪魔が組織的で職務に忠実な働きをするとしたら、悪魔の悪を構成する部分というのはその目的だけで、職務に忠実だったり勤勉だったりすることは「善」にほかならないわけです。本書では「偉大に、効果的に邪悪になるためには、人間は何らかの徳を必要とする」(168頁)と述べています。『キリスト教の精髄』でもルイスは、悪は善に支えられていなければ成立しないと述べていたように記憶しています。
そうした点で本書の、新米の悪魔に対して、叔父で大先輩の悪魔が愛情に満ちた忠告と助言の手紙を送るという、ある意味で心地よく矛盾した設定は、善悪の事情に明るいルイスならではの発想だなあと感じました。
ただ、悪魔の側から周到に考え尽くされて書かれているというのは、こちらもつねに裏読みを強いられているわけですから、かなり気合いを入れてかかる必要があります。翻訳文がわかりにくいのかもしれません。ちなみに、訳者解説が一番難解でした。
(森安綾・蜂谷昭雄訳 新装版 新教出版社1996年2,060円)

