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2006年2月28日 (火)

C.S.ルイス『悪魔の手紙』

 ロッセリーニ監督の「殺人カメラ」に登場する悪魔が「悪魔の世界で出世するのは難しいんだ」と言っていたのを思い出しました。悪魔の側から見た世界は善に満ちているので、気を許すとすぐに人は「敵」である神に召されてしまうからです。かなりの悪事を働いたとしても、ちょっとでも改悛したらたちまち「敵」の手に落ちてしまう、というようなことも映画の中の悪魔は言ってましたね。
 考えてみれば、悪魔が組織的で職務に忠実な働きをするとしたら、悪魔の悪を構成する部分というのはその目的だけで、職務に忠実だったり勤勉だったりすることは「善」にほかならないわけです。本書では「偉大に、効果的に邪悪になるためには、人間は何らかの徳を必要とする」(168頁)と述べています。『キリスト教の精髄』でもルイスは、悪は善に支えられていなければ成立しないと述べていたように記憶しています。
 そうした点で本書の、新米の悪魔に対して、叔父で大先輩の悪魔が愛情に満ちた忠告と助言の手紙を送るという、ある意味で心地よく矛盾した設定は、善悪の事情に明るいルイスならではの発想だなあと感じました。
 ただ、悪魔の側から周到に考え尽くされて書かれているというのは、こちらもつねに裏読みを強いられているわけですから、かなり気合いを入れてかかる必要があります。翻訳文がわかりにくいのかもしれません。ちなみに、訳者解説が一番難解でした。

(森安綾・蜂谷昭雄訳 新装版 新教出版社1996年2,060円)

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2006年2月27日 (月)

C.S.ルイス『ライオンと魔女』

 以前この巻だけ読んでいて、今回残り6冊をまとめて読んだら、結局この巻をもう一度読みたくなって、読んでしまいました。邦訳ではこれは第1巻ですが、ナルニア国の年代順としては2番目にあたります。邦訳の巻数の順序はルイスの執筆順になっていますが、原書は律儀にも物語の年代順で番号が振ってあります。読む順序はどちらでもいいのかもしれませんが、執筆順というのはそれなりに作者の意図がわかって楽しめます。訳者解説には「やはり発表された順に、物語を読み進んだほうがおもしろい」とありますが、同感です。年代順では歴史の授業みたいになる恐れもあります。
 そういえば、ディズニー映画がこの作品から始まるのもルイスのことをよく理解している(と思っている)人の考えによるのかもしれません。それからこの巻が最も新約聖書的世界観が現れているからかもしれません。
 翻訳としては誤訳があるという感じではないのですが、訳語がところどころ古いというか奇妙に感じるところがあります。慣れてきたせいか以前読んだときほどには気になりませんでしたが、それでも、兄弟姉妹同士で「あんたがた」と呼んでみたり、「うろんなやつめ」といった台詞があったりすると、翻訳文にも寿命があるかなあという気にさせられます。

(岩波少年文庫1985年650円)

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2006年2月26日 (日)

勢古浩爾『ああ、自己嫌悪』

 自己嫌悪に陥る情けない普通の人に向けて書かれた本。心が自立(自律)することの必要性を説いています。そして「できることなら、その核には、自分用の絶対的なマキシム(格率)が埋め込まれているのが望ましい。ときにはその絶対性からやむなく逸脱することがあろうとも、たとえば、人を差別しない、人を力で差別しない、群れない、理不尽な強制には徹底的に対立する、といったマキシムを埋め込んでおきたい」(192頁)とあります。引用が長くなるのでこのくらいにしますが、いつもながら、著者一流の細かい観察に絶妙な表現を与える文体には感心させられます。

(PHP新書2005年700円税別)

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2006年2月25日 (土)

C.S.ルイス『さいごの戦い』

 ついにナルニア国の最後までやってきました。7巻全体がこういう話で一つの大きな話になっていたんですね。ルイスの世界観がこういう形で表されていたとは想像もつきませんでした。でも、ルイス自身が言うとおり、自分の世界観を証明するために書いたというわけではないだろうと思われます。物語にはそういったあざとさは全くないからです。ともかく幸福な読書体験でした。

(瀬田貞二訳岩波少年文庫1986年700円)

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2006年2月24日 (金)

C.S.ルイス『魔術師のおい』

 ナルニア国の始まりがわかります。これが映画化された『ライオンと魔女』につながるのですね。それも憎いほど見事に。
 このお話の中で私が特に印象に残ったのは、主人公のディゴリーが「愛する者と死にわかれるより以上に恐ろしいことも、あるのかもしれないということを、知りました」(275頁)という文章です。この「恐ろしいこと」とは、おそらく、人を裏切ったり、約束を破ったりすることで、その当人の魂に傷が付くことを指していると思うのですが、これは『キリスト教の精髄』の中でルイス自身が述べていることです。こういう表現が出てくると、日頃から彼の思想に共鳴している私のような人間は、実に懐かしいような嬉しい気分にさせられます。
 ただ、現実の世界に帰ると、いたるところ魂に傷をいっぱい付けている人がいて、自分も偉そうなことは言えないとはわかっていながらも、毎日つくづくうんざりさせられています。
 ただし、ルイスのファンタジーは現実逃避ではなくて、現実に正しく立ち向かっていくことを教えてくれるものだということは、申し添えておきます。念のため。

(瀬田貞二訳岩波少年文庫1986年700円)

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2006年2月23日 (木)

C.S. ルイス『馬と少年』

 ナルニア国物語の起承転結の「転」にあたるような話です。主人公のシャスタが勇気を示したところは感動的でした。その後息をつく暇もなく新たな命令を受けたシャスタが心中不満に思っている箇所で、作者は次のように述べます。
 「シャスタは、もしなにか一ついいことをすれば、そのむくいとして、さらに一つ、もっと困難でもっといいことをするようになっているものだということを、まだ教わったことがなかったのです」(207頁)、と。実際こういうことって結構あるような気がしますが、ひょっとして、nobless oblige というのもこういうことなのかもしれないと思わされました。こういう表現が自然にさらっと出てくるところがルイスのすごいところです。これから長い間この文章は私の頭に焼き付くことになりそうです。

(瀬田貞二訳岩波少年文庫1986年700円)

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2006年2月22日 (水)

C.S. ルイス『銀のいす』

 ナルニア国ものがたりの4冊目です。「銀のいす」は物語が進んですっかり忘れたクライマックスになって出てきて、そういえばこれは題名だったっけという感じです。この前の巻で成長を見せたユースチス少年はここでまた一段と勇敢になります。この物語の全体の構造も徐々にわかってきます。あと3冊になりましたが、読み終えるのがもったいないという気もします。
 それから、魔女が「論理的に」魔法を掛けようとするところは迫力がありました。悪魔の洗脳の手口です。さすがに『悪魔の手紙』の作者だけのことはあります。また、チェスタトンの影響を感じさせるところがありましたが、アンダーラインを引きながら読んだりしていないので、今から見ても思い出せません。ま、いっか。

(瀬田貞二訳岩波少年文庫1986年700円)

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2006年2月21日 (火)

C. S. ルイス『朝びらき丸 東の海へ』

 昨日に引き続きルイスのファンタジーです。脳みそのストレッチをしているような感じで、想像力の果てまで旅をしてきました。へぇー、こんなとこまで想像できるんだ、って感じです。ギリシャ神話やプラトンの哲学、バニヤンやイギリスの妖精といったあらゆる蓄積が感じられますが、単に混ぜ合わせたものではありません。物語の中で登場人物も情景もすべてが生き生きとしているのに驚かされます。ディズニーも映画化するならいっそこの全7作徹底的にやってほしいですね。

(瀬田貞二訳岩波少年文庫1985年700円)

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2006年2月20日 (月)

C. S. ルイス『カスピアン王子のつのぶえ』

 ルイスの『ライオンと魔女』がディズニーで映画化されたそうですが、これはその続編です。映画化に先を越されるのもしゃくなので、この機会の読んでおこうというわけです。読み出すと物語の中に入ってしまってナルニア国の住人になったような気持ちです。それにしてもよくもまあこんな壮大な構想の物語が作れたものです。今週はこのシリーズに没頭しそうです。翻訳は『ライオンと魔女』のときのようには気になりませんでした。

(瀬田貞二訳岩波少年文庫1985年700円)

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2006年2月18日 (土)

勢古浩爾『なぜ、誰も私を認めないのか』

 この本は同著者の『自分様と馬の骨』(2002年)を文庫化したものだと買った後に気が付きましたが、ついつい最後まで読んでしまいました。ひょっとして現代の武士道なのではないかと思ったりもしています。著者自ら言うとおり、メッセージは単純です。「自分を持して一生懸命生きればいい、ダメならまた自分を立て直してやり直せばいい。それがたとえ『ぶざまな人生』であろうと、かまうことはない」(244頁)ということですが、こういう当たり前のことをきちんと言ってもらうと、やはり勇気づけられます。また、本の中でいつも何か感動的でいい話(本)を紹介してくれるのが楽しみです。今回は前回何とも思わなかったところに心動かされるところがあり、新たに乙川優三郎の『生きる』を読んでみたくなりました。

(講談社+α文庫2005年648円税別)

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2006年2月17日 (金)

勢古浩爾『ああ、顔文不一致』

 作家の顔の話から入るのですが、実は「顔文」の「顔」の方は誰もが多少なりとも持て余しているそれですが、「文」とはその当人の振る舞いのことです。で、やっぱりその不一致は何とも醜いものです。著者は、顔を忘れ文を鍛えよと実に真っ当なことを言ってくれて、同感です。それで結局、他人とのつきあい方と、自分との折り合いの付け方の秘訣が書かれているように思います。
 著者独特の投げやりな独り言の混じった文体は結構やみつきになります。ただ、ちょっと外したときは、ほんとに寂しい親父ギャグのようにもなります。日本のふつうの親父の面目躍如たるものがありますが、これは著者の本意ではないでしょう。それはともかくとして、いつもの鋭い突っ込みは本書でも健在で、ほとんど芸の域に達しています。
 なお、本書で紹介されている藤井輝明『運命の顔』(草思社)はすごい話なので是非読んでみようと思います。また、南伸坊『本人の人々』(マガジンハウス)も是非入手したいです。
               (洋泉社新書y 2005年780円+税)

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2006年2月16日 (木)

溝口敦『食肉の帝王−巨富をつかんだ男 浅田満』

 驚きのルポルタージュです。こんなにすごい金儲けの異才がいるのですね。絶対に人から尊敬されることのない儲け方ですが、尊敬されなくてもこのとてつもない巨富に群がってくる人はたくさんいることもわかります。鈴木宗男や松山千春、なべおさみといった人も登場します。山口組も登場します。ほかにえげつない人がたくさん実名で登場します。よく丹念に調べて書いたものです。
 ところで、あとがきで著者はこうした政府のばらまき予算と利権によるぼろ儲けの構造が変化を来たし始めていることに触れていますが、正しい指摘だと思います。そして「おそらく部落解放同盟も浅田満氏も、ことによると山口組さえも、こうした時代の変化を敏感に感じ取っているにちがいない」(240頁)と述べています。これが2003年時点の文章ですが、現時点での著者が次に何を考え、誰に狙いを定めて取材を進めているか知りたいところです。ちなみにここではライブドアの話は出てきていません。
                                                 (講談社2003年1600円税別)

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2006年2月15日 (水)

伊藤隆敏『デフレから復活へ』

 細野真宏の本などを読んだ後にこれを読むと、すんなり理解できる本です。つまり全くの素人にはちょっとだけ用語が難しいところがありますが、全体に読みやすく、わかりやすい本です。
 バブル崩壊以降の日本経済の歴史が簡潔にまとめられていて便利ですが、単ある通り一遍の事実の羅列ではなく、要所にしっかり著者の主張が挟み込まれています。政府の政策も郵政公社のアンフェアさもきっちり批判しています。教科書には必ずしも拘泥しない柔軟なタイプの学者なので、大げさなお茶の間エコノミストとは異なり、味わいは地味ですが読み進むと次第に面白くなってきます。具体例の検討も適切な分量で説得的です。著者がアカデミズムの見方を代表する人かどうかはわかりませんが、バランスのとれた経済学者だということは、私のような門外漢でもわかります。いい本でした。
               (東洋経済新報社2005年1600円+税)

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2006年2月14日 (火)

ヘーゲル『改譯 大論理学 中巻』

 いつも通勤電車の中で毎日一冊ペースで本を読んでいますが、今日は新しく読む本を鞄に入れ忘れたので、いつも空き時間に少しずつ読んでいるヘーゲルをまとめて読むことになりました。それがたまたま中巻を読了するという区切りのいいことになったので、気が付いたところを書き留めておきます。
 4巻中3巻を読了したわけですが、この中巻あたりからかなり面白くなってきました。概念論に入るところで次の巻というわけですが、お楽しみはこれからかもしれません。それで先ほどから下巻を読み始めてみると、全く違うテーマという感じになるので、ひょっとすると下巻から読んでもいい本なのかもしれませんが、そのことは読んでしまってから報告します。
 ヘーゲルの論理は〈AはAである〉ということを根拠づけるために〈Aは非Aではない〉ということから考えようとしているように思えます。そして否定ということを考えるときに必ず含まれるのが時間なので(つまり、同一律は時間を考慮すると崩れるので)、いつの間にか、形式論理学で本来排除していた時間を含む論理となっているというのがヘーゲル弁証法の要諦だと感じています。感じているというのは、ヘーゲルの論理を追いかけても細かいところでヘンだったり、乱暴だったりするからです。たとえばある箇所で「法則は現象の否定的統一ではない」と言ったその舌の根も乾かぬうちに、10行くらい間を空けて「法則は現象の否定的統一である」と、全く反対のことを言うのだからかないません(175頁)。
 かくなる上は、読者としても著者と平行して考えながら見当をつけていくしかないのですが、案の定そうしてみるとしばしば光が見えてきます。それにしても、へぇーという展開を見せるところはさすがです。半端でない刺激を与えてくれます。これから概念論に入るので、また読み終えたときに報告します。
                    (岩波書店昭和35年1000円)

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2006年2月13日 (月)

エリック・ホッファー『魂の錬金術 エリック・ホッファー全アフォリズム集』

 エリック・ホッファーの箴言(アフォリズム)を全部まとめた本です。港湾労働をしながら土日は図書館で読書と思索に耽り、オリジナルな思想を残したという偉い人です。独創的で印象的な表現も少なからずありました。哲学のスタイルとしてはアフォリズムというのはまだまだ可能性があるのかもしれません。
 ただ、このスタイルは言葉を刈り込みすぎると意味不明になる危険もあって、原文と翻訳とを対比させないとわからないようなことも起こってきます。その点では本書も例外ではありません。
 たとえば「ハッピーエンドほど最終的な結末はない」(113頁)という1行だけの箇所ですが、英語原文を逐語訳すると確かにこのようになるのでしょうが、考えれば考えるほどよくわからなくなります。この一行きりしかないので、「最終的な結末」と言うのが結末の最終的な形態なのか、あるいは救いようのない、希望のない終わり方だと言いたいのか判断できません。機会があれば原文に当たってみます。ただ、それでも多分わからないんじゃないかと思いますが。
 さて、それはともかく、本書で一番印象に残った表現は「権力は少数者を腐敗させるが、弱さは多数者を腐敗させる」(28頁)という指摘で、弱き多数者の中に身をおいていた著者ならではのものだと思います。この指摘だけでも私にとっては本書を買った価値がありました。
                   (中本義彦訳作品社2003年2,200円税別)

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2006年2月11日 (土)

谷沢永一『嫉妬する人、される人』

 清水義範の小説に確か「山内一豊の隣人の妻」とかいう題名の小説があって、読んではいませんが、さぞかし嫉妬に駆られた物語ではないかと想像します。大河ドラマも始まったことだし、今度探して読んでみます。
 さて、著者の谷沢氏は長屋育ちで、近所の嫉妬のまなざしばかりでなく、後には父親からの嫉妬も受けながら(これは著者の別の本に出てくるエピソードですが)、そしてまた、同僚の嫉妬も受けながら、またおそらく自らの嫉妬心にもつきあいながらの人生を歩んで来られただけあって、観察が鋭いことこの上ありません。嫉妬を単に否定するのではなく、それが人間の本性であり「人間を人間たらしめる大きな原動力である」(89頁)と位置づけています。嫉妬は万有引力のようなもので「嫉妬を黒焦げにするな、きつね色に焼け」と言った松下幸之助に著者は最大級の賛辞を送っています。
 著者の観察の鋭いところは、常に休みなく嫉妬し合っている日本人の特徴として「日本人の本性は徹底した個人主義である」と見ているところにあります。常に傑出したリーダーを認めず、それらしい人が出てきたら、その地位から引きずりおろそうとする情念は、確かに根本的には個人主義者のものかもしれません。
                   (幻冬社2004年1300円+税)

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2006年2月10日 (金)

北康利『白洲次郎 占領を背負った男』

 白洲次郎については、白洲正子の夫というくらいの知識しかなかった上に、白洲正子の書いたものに感心したことがなかったため、勢古浩爾の本がきっかけでようやく関心を持ったところです。確かに実に格好いい男の中の男です。あれだけの活躍をしながら功名心と無縁なところがすごいところです。
 本は実によく資料に当たり、インタヴューをしているようです。GHQの横暴さも、その周りで蠢く小人物の生態もよく描かれていると思います。GHQの憲法草案が天皇制の維持と引き換えに提起された側面があることを確認できた(145ページ)のは収穫でした。ただ、著者の書き方がところどころで歴史書ではなく小説家のそれになるので、見てきたようなウソとして読まれかねないという弱点があります。いっそ書名に「小説」と冠してくれたほうが読者としては安心して読むことができます。
 なお、細かいことですが、131ページの「弱冠二九才」という表現は読んでいるこちらが恥ずかしくなるような間違いです。勢いに乗って聞きかじったいい加減な表現を使うのは、少なくとも白洲次郎的ではありません。
                    (講談社2005年1800円税別)

 

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2006年2月 9日 (木)

屋山太郎『道路公団民営化の内幕』

 以前、猪瀬直樹の『道路の権力』を読んだときに、それで結局改革が成功したのかそうでないのかがよくわからなかったのですが、本書を読むと、副題に「なぜ改革は失敗したのか」とある通りのことだったとわかります。それも、猪瀬氏などは大宅映子と共に道路の建設と管理を担当する会社と、資産保有・債権整理機構とを分ける「上下分離案」に軽率に賛成したおバカの筆頭だったことがよくわかります。屋山氏は旧国鉄民営化に関わっていただけあって、このあたり容赦ありません。あ、そーいうことだったの、と目からウロコです。猪瀬氏はさすがに上げ底の靴を愛用しているだけのことはあります。マスコミの扱いを見ているだけでは猪瀬氏や大宅氏のことはわかりませんね。もっとも、石原伸晃は印象通りのところがありましたが。
                                            (PHP新書2004年700円税別)

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2006年2月 8日 (水)

吉田望『会社は誰のものか』

 今までのわが国では会社は経営者と従業員のものでしたが、世界標準に合わせて株主のものにならなければ、という趨勢です。この流れは鎖国でもしない限り、変わりようがありませんが、そこできたるべき「新しい資本主義」を展望するのが本書です。
 最後にはモラルと志が問われるというのは妥当な結論だと思います。しかし、現実には相変わらず会社は俺のものだと思っている経営者の下で不条理にこき使われている中小企業のサラリーマンも少なくありません。また、他方で企業買収をめぐるライブドアのようなこともどんどん起こっているのだから、過渡期だとしても本当に大変な時代です。
 著者は現存の企業や経営者を例にとりながら、新たな資本主義の方向を模索しています。もと電通マンで、企業家でもあり、業界の事情には詳しく記述もバランスが取れています。ライブドア事件の前ですが、先見の明というほどではないにしても、それなりに一応の批判はしています。
 気になったのは、業界人らしく、ちょっと素人には不慣れな用語が無造作に出てくるところです。語り口の平易さの割にはわかりにくくなっているところが散見し、損しています。もう少し執筆過程で編集者が注文をつけるべきではなかったかと思います。
 それにしても、電通マンでもまともな人はいるのですね。本人が述懐するように、「当時の電通マンは規制からもメディアからも株主からもガバナンスを逃れ、勝手に会社を占有していました」(89ページ)とありますから、今はともかく一昔前の電通のいやらしさは私が聞き知っていた通りだったことがわかります。著者は辞めて正解でしたね。
                       (新潮文庫2005年680円税別)

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2006年2月 7日 (火)

渡部昇一『「思い」を実現させる確実な方法』

 そんな方法あるのかってタイトルですが、若者の人生相談に丁寧に答えるといった語り口の本です。確かに、著者のように日々努力を重ね、それでいて心を閉ざさずに快活に過ごしていると、必ずや良いことが起こると思います。そしてやはり、日々の努力の積み重ねがポイントで、またそれが一番難しいことでしょうね。
 本書でもいろいろなエピソードには感心させられました。たとえば、日露戦争で日本陸軍の20万人以上が栄養状態の悪さから脚気にかかった一方、海軍は食事改良をして無事だった、とか、ダーウィンよりウォーレスのほうが創造性に満ちていたということなど、勉強になります。ウォーレスは筑摩文庫にあったと思うので、今度買って読んでみます。
                  (PHP研究所2004年1300円税別)

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2006年2月 6日 (月)

谷沢永一『私の見るところ』

 思いっきり辛口のコラムをまとめた本ですが、本書刊行当時はとりわけ鋭かったようです。バブル潰しの張本人が大蔵省銀行局長当時の土田正顕であったことを実名で指摘して、その後大蔵省はもとより日経新聞や三和総研などから受けた嫌がらせもしっかり記録してあります。いつも動かぬ証拠を相手に突きつけて迫る論法なので、批判された相手もまともな反撃ができないのでしょう。土田正顕の名前については谷沢氏本人が大蔵省に直接問い合わせて返事を得ていますので、否定しようがないものでした。本書自体が現代史の資料としても有益だろうと思います。
 ちなみに土田氏はその後幾度か天下りを重ねて確か昨年無事大往生を遂げられましたが、そのときはすでに産経新聞でさえバブルのことには触れずに、名士が亡くなった扱いでした。しかし、全国の谷沢読者の脳裏にはこの名はしっかり刻まれています。
 ところで本書55ページでは「すべからく」の正しい用法が漢字「須らく」にわざわざルビを振って示されているのは、どこかで指摘を受けたからでしょうか。著者は渡部昇一氏とともに「すべからく」を「すべて」の代わりに格好をつけて用いる仲間かと思っていましたが、これはその反例となるものです。古書で100円のものしか読んでいないと、年代の前後があいまいになるので、にわかにはわかりません。このブログでは検索ができるので、そのうちこうした不便もなくなることでしょう。
                      (PHP研究所1997年1100円)

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2006年2月 4日 (土)

齋藤孝『からだを揺さぶる英語入門』

 英語を漢文のように「素読」し、暗唱するための本です。CDも付いてお得です。効果的かどうかは自分で確かめています。素材はさすがに本当にいいものが選んであり、飽きずにすみそうです。サイモン&ガーファンクルやエルトン・ジョンの名曲も、歌詞がこんなによくできたものだったとは、読んでみてはじめて知りました。ただ、つい歌ってしまうのが難点かもしれません。
 ともかく、英語は役者になったつもりで歩きながら読むといいというのは説得力があります。身体論の裏付けも正当なものだと思います。ただ、付録のCDを聴きながら散歩するときは、車に気をつけなければいけませんね。
 英語に限らず著者が実践して効果を上げている「点回し読み」は、句読点で切ってグループでリレー読みをする方法ですが、四月からの留学生向けの日本語の授業でも取り入れてみるつもりです。
                   (角川書店2003年1380円税別)

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2006年2月 3日 (金)

屋山太郎『私の喧嘩作法』

 痛快な日本男児の自伝的回顧録です。こんなに喧嘩早い人だとは知りませんでした。でも、嫌味な自慢話なんかではなくて実にさっぱりしています。高校から浪人時代にかけてのひりひりした感受性がイイ感じです。鈴木清順監督で映画化すると「けんかえれじい」みたいになるかもしれません。いや、もっと派手です、たぶん。
 政治部記者時代の政界裏話や政治家の人物評は先日読んだ本と重なるところもありまが、実に面白いです。私の父と同世代なので、今度一読を勧めてみます。
 ところで、ナベツネが優れた政治記者だったことも書かれていて、へぇーと思わされました。でもまあ、だから何って気もしますが。巨人軍オーナとやらであんなに威張っちゃあ結局おしまいですね。
                 (扶桑社文庫2005年667円+税)
 

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2006年2月 2日 (木)

屋山太郎『自民党「橋本派」の大罪』

 いつもながらストレートなタイトルです。戦後政治の裏面史にもなっています。小中学生のころにぼんやりと耳にしていた政治家の名前が出てきて、ああ、こんなでたらめな政治家だったのか、ということもわかったりします。
 著者はわが国では珍しくバーク以来の保守政治の思想を正確につかんでいる人だということも本書で始めて確認できました(48ページ~)。そうだろうなとは思っていましたが。また、 第5章のイタリアの政治改革のレポートも参考になりました。ちなみに「橋本派」は当然保守本流ではありませんので、念のため。
 ところで188ページに「ドロ試合になった」という表現は冗談でなければ、「泥仕合」の間違いではないでしょうか。
                      (扶桑者文庫2004年619円+税)

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2006年2月 1日 (水)

藤原正彦『祖国とは国語』

 『国家の品格』のような書き下ろしを期待して読み始めたのですが、
連載をまとめた本だと途中で気がつきました。勝手な期待に過ぎませんが、
ちょっとがっかりしました。しかし、短いエッセーも楽しませてくれるので、
途中から気を取り直して読みました。最後の章の「満州再訪記」はまた
ちょっと趣向が違って面白かったです。
 「祖国とは国語」というのは著者によるとフランスのシオランの言葉との
ことですが、正確にはルーマニア出身でフランス亡命したシオランです。
シオランの母語はルーマニア語で、ちょっと訛りのあるフランス語を話した
そうです。私のフランス語の師匠のY先生がシオランと親交があって、
何度かシオランの話を伺ったことがあります。そんなこともあって、私も昔、
シオランの翻訳のほとんどを読みました。私自身はシオランとは今ひとつ
波長が合わないのですが、こんなところでそんな懐かしい名前が
出てくるとは思いませんでした。
 シオランはルーマニアからパリに留学したまま祖国に帰れなくなって、
そのまま当地で思想家になってしまいましたが、フランス政府は生涯
留学生としての奨学金を出し続けたということです。なかなか粋な計らい
ですが、シオランにとっての祖国はやはりルーマニアだったのでは
ないでしょうか。
 本の話に戻ると、112-113ページの「雪でなければ白くない?」を
読んでいて、今考えている法解釈論理の問題に、ひらめきを得ました。
たいしたことではないのですが、法解釈の論理というのが形式論理的に
いうとかなり変なことになることに改めて気づかされました。いずれ
論文にでもまとめてみようと思います。 
                        (新潮文庫平成18年400円税別)

 

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