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2006年3月29日 (水)

C.S.ルイス『栄光の重み』

 ここ4〜5日風邪をひいてくたばっていましたが、ようやくいつもの調子に戻れそうです。
 本書はルイスの説教集です。平信徒のルイスが説教している様子は映画の1シーンでも見たことがあります。アンソニー・ホプキンスが演じていました。ただ、内容は知識と信仰を共有する人々に向けての話なので、非キリスト教徒も含めた一般向けの『キリスト教の精髄』とは違って、少なくとも私にとっては易しい本ではありませんでした。それでも次のような箇所には大変刺激を受けました。
 「国家、文化、芸術、文明、こうしたものはいずれ命数尽きるもので、そうしたものの生命は、わたしたちの生命に較べれば蚊のそれのごときものです。しかしわたしたちが冗談を言い合い、共に働き、結婚し、鼻であしらい、そして搾り取る相手は、命尽きぬもの、死ぬことのないおぞましさであり、または永遠の輝きであるのです」(28頁)
 いろいろなことを考えさせてくれる文章です。この箇所をこの数日というもの風邪でぼーっとした頭の中で何度も繰り返して味わっているところです。

(西村徹訳新教出版社2004年新装版2500円+税)

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2006年3月25日 (土)

柳生直行『お伽の国の神学−C.S.ルイスの人と作品』

 以前この本は途中まで読んでいたのですが、『愛はあまりにも若く』を紹介するところに来て、ストップしていました。それで、今回同書を無事読了したので、こちらもようやく再開して読み終えました。ルイスの解説書、紹介書として最良のものの一つです。著者はさすがにルイスの『キリスト教の精髄』の名翻訳家だっただけのことはあります。また、ルイスを時々シモーヌ・ヴェイユの思想を引き合いに出しながら論じている箇所もあり、その点でも共感するところがありました。参考文献や年譜および索引も充実し、写真も16葉ほどあります。最近入手しにくくなっているようなら、是非復刊してもらいたい本です。

(新教出版社1984年3500円)

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2006年3月23日 (木)

C.S.ルイス『愛はあまりにも若く—プシュケーとその姉』

 これはすごい本でした。人間が書いたとは思えないくらいです。『ナルニア国』と通じるところのある重層的で精緻な仕組みの物語世界の中で、「愛」というものの姿が書きつくされているように思います。月並みですが、言葉を失います。というより、これを評価する言葉を私は持っていません。
 翻訳はルイスのものをよく訳している中村妙子ですが、『別世界にて』で理論的な表現の翻訳が苦手な人だと思っていたので、本書も今まで読むのを避けていました。本書に関しては、物語としてはまあまあ気にならずに読めました。ただ、90頁と最後の332頁で「すべからく」を「すべて」の意味で使っていて、特に物語の最後の文章がこれなので、コケそうになりました。素晴らしい本なだけに本当に残念です。
 それにしても、1923年生まれの訳者でこうなのだから、ひどいものです。でも、世情に阿るのが得意な広辞苑なんかに、そのうちこれが正しい用法として掲載されるかもしれません。

(中村妙子訳みすず書房1994年新装版2884円)

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2006年3月22日 (水)

我妻榮・有泉亨・川井健『民法2 債権法』第二版

 これもまた一日では読みきれない本で、時間がかかってしまいました。感想としては『民法Ⅰ』と同じようなものですが、こちらの巻のほうが記述がのびのびとした感じがします。執筆者も楽しんで書いているのかもしれません。
 債権法は変化の多い分野なので、現代社会、経済現象へのあくなき関心と、根本の思想の確かさが命です。とりたてて法社会学の看板を掲げなくても、ある意味で法社会学的な分野です。
 思えば、一昔前までは、民法学者が法社会学者を兼ねていることも少なくなかったのですが、この分野は社会学的テーマの宝庫でもあります。専門分化したからといって学問レベルが上がるとは限らないのは、この分野に限った話ではないのですが、最近の若手の研究者はどうなのでしょうね。ひょっとしたらつまらないことやってるのではないかという気もしますが。

(勁草書房2005年2,200円+税)

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2006年3月16日 (木)

我妻榮・有泉亨・川井健『民法1 総則・物権法』第二版

 今週はこんな本を読んでいたので、さすがに「1日1冊」とは行きませんでしたが、ようやくこの第1巻を読み終えました。これも秋から事情があって半年だけピンチヒッターで「総則・物権」を教えなければならなくなったからなのですが、専門学校で教えていたとき以来のことで、勉強しなおしているというわけです。本書の一粒社版はかつて何度か読んだのですが、版元が変わってからは初めてです。さすがに新しい判例にも触れられていて、適切に改訂され続けています。
 教科書説例や判例をじっくり読んでいると、結構面白くて、民法のようなかなり書き込まれている法体系の背後にも、様々な脱法、違法行為がひしめいていることがわかります。こんな読み方は学生のころはできませんでしたが、さすがに私も年をとってきました。学生のころから条文の中だけの現実しか見ないというようなお馬鹿な真似だけはしてきませんでしたが、こんなマニアックな読み方にたどり着くとは思いませんでした。
 本書は、通説の到達した最高水準を簡明に示す、と謳われていますが、各所で結構大胆な主張や提言も含まれていて、意外にスリリングです。社会学的視点もきっちりと押さえられていて、これはやはり我妻栄の天才によるところが大きいのでしょう。ただ、やはり、まったくの初学者には用語などがいきなりな感じで、ちょっと難しい本です。

(勁草書房2005年2,200円+税)

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2006年3月14日 (火)

マレーク・ヴェロニカ『サンタクロースと銀の熊』

 ハンガリーの絵本作家で日本でも人気のマレークさんの絵本です。最近は登場するキャラクターの絵のついた文房具や小物も輸入されています。この可愛らしさは日本人にも好まれると思います。翻訳も結構出ています。
 その翻訳についてですが、マレークさんご本人が日本人用にスト-リーやキャラクターを変えて新たな版を―かなり説明的になってしまいますが―作ってくれるため、原語と翻訳を見比べると、同じ話でも全然違った絵や文章が載っていたりしますし、誤訳なのか省略なのか判断できない箇所も少なくありません。
 ただ、羽仁協子訳で原語の「ボリボン Boribon」という熊のぬいぐるみのキャラクターがすべて「ブルンミ」となっているのは理解に苦しみます。まあ、何か独特の思想があるのだろうとは思いますが。もっとも、みやこうせい氏訳で「器量の良くない汚い女の子」が「もしゃもしゃちゃん」となっているのは苦心の名訳だと思います。
 本書はハンガリー語版で、塗り絵用になっている珍しい本ですが、これもそのうちどなたかが訳されるかもしれません。
 お話は他の作品にも良く出てくるパターンで、対人関係のストレスがお話のきっかけになり、「人に親切にするといずれはわが身に良いことが起こる」ということと、主人公がちょっとした旅に出ることが含まれています。いいお話です。今度ハンガリー語講座で講読するつもりです。受講生の皆様、お楽しみに。
 著者は奇麗事だけを書く人ではないので、かつては心無い批評に傷ついたこともあったそうですが、今となっては批評家がアホだったことがはっきりして、勝負あったという感じです。
 ちなみに、ここでのサンタクロースとは、ハンガリーの「冬のおじさん」です。聖ニクラウスには変わりありませんが、クリスマス・イブではなく12月の6日(聖ニクラウスの日)にやってきます。良い子にプレゼントを持ってきてくれるのは同じですが、トナカイの橇には乗っていません。その点では風習が違うため、設定自体が翻訳に向いていないかもしれません。

(CERUZA, 2002, 750Ft≒300円)

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2006年3月11日 (土)

C.S.ルイス『悲しみをみつめて』

 ルイスが奥さんを亡くしたときに書いた本。のっけから取り乱しているような文章が続くのですが、最後に死者と一種独特の交信ができるようになって終わっています。自分自身の経験としては、弟を亡くしたときにこんな気持ちになったような記憶があります。妻を亡くして、このような気持ちになる男性というのは、考えようによっては幸せ者です。文学としてはリラダンの「ヴェラ」という短編を思い出しました。しかし、文章はともかく、暗示する世界の深さというか、イメージの確かさについては、ルイスの方が上だと感じました。

(西村徹訳 新教出版社新装版1994年1236円)

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2006年3月10日 (金)

C.S.ルイス『神と人間との対話』

 原著は『マルコムへの手紙−祈りについて』というような意味なのですが、これがどうして『神と人間との対話』というタイトルになってしまうのかは、解説を読んでもわかりません。ただ「祈り」ということについて、私は今までちゃんと考えたことがなかったので、いろいろと勉強になりました。特に本書の前半はかなりわかりにくいのですが、少なくとも、クリスチャンでも祈りは面倒くさく、怠りがちな行為であることはわかりました。
 祈りというものがわが国の浄土真宗の念仏のように、阿弥陀如来にただ一心にお縋りするという行為とは違うのだとしたら、西洋人というのはかなり七面倒くさいことをやっているのではないかという気にもさせられます。しかし、その面倒くささに意味があるのでこういう本も書けるのでしょう。
 考えてみれば、祈りとは神と人間との対話だとは言えなくもないのですが、実際、祈りというものの構造の中に神と人との関係、主観と客観のあり方、内在と超越、演劇的創造力といった様々な問題が含まれていることも確かです。
 たとえば次のような記述を読んでみてください。
 「神は常に、私たちの中へご自身を投入なさるにつれて、わたしたちの実存はますます神のリアリティーに由来することになります。わたしたちの祈り、あるいはその他の行為は、私たち自身の内部の深いところから湧き出れば湧き出るほど、それだけ、それは神の行為になりますが、ダカラト言って、私たちの行為でなくなることは少しもありません。否、むしろ、全く神のものである時に完全に私たちのものであります」(115頁)
 こういうところはやはりすごいと思います。前半が退屈だと感じる人には、この頁の前後あたりから読んでみるといいかもしれません。この後、にわかに印象的な表現が増えてくるからです。ナルニア国の在処もわかるような気がしました。

(竹野一雄訳 新教出版社1995年新装版2266円)

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ポール・クルーグマン『世界大不況への警告』

 昨日(昨日からniftyが不調でアクセスできませんでしたが、ようやくつながって更新できました。ほんとうは「今日」と書いていたのですが、携帯電話からもアクセスできなかったので、今ネット上で書き直しています)、日銀が量的緩和の解除を発表しましたが、この政策を最初に提唱した一人が、このクルーグマンです。頭と心の柔らかさが持ち味です。曰く、「経済分析はあらゆる状況下で従うべきルールなどではないし、また、そのようになるべきでもない。それは、常に変化する世界において新しい答を探すための思考法だといえる」(275頁)
 経済学の教科書に忠実な立場に見えて、ひと味もふた味も違うのは、このあたりの感覚によるものかと思われます。クルーグマンが言っているからといって、わが国で量的緩和を言い出したお茶の間エコノミストとは観察眼が断然違います。
 もちろん、そんなのは単なる密輸業者みたいなものですが、実際には思想界や学会にも相変わらずうじゃうじゃいます。どーでもいいけど。

(三上義一訳早川書房1999年2000円+税)

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2006年3月 8日 (水)

長谷川慶太郎『大復活のデフレ先進国日本 2004 長谷川慶太郎の世界はこう変わる』

 いつもながら、へぇーと感心させられる情報がたくさん含まれていました。たとえば、フランスとロシアはフセイン政権に武器援助をした金銭債権が何十億ドルも残っていたということ、アラファトが第一次湾岸戦争でフセイン支持を打ち出したため、多くのパレスチナ人がクウェートをはじめとした出稼ぎ先の国々から追い出されたこと、イスラエルの出稼ぎ労働者としてフィリピン人男性が重宝がられていること、サウジアラビアでは王族とベドウィンが無関係に暮らしており、国民には兵役も納税の義務もないといったことなど、なかなかふつうは知ることができません。どういう情報源なのでしょうね。

(徳間書店2003年1600円+税)

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2006年3月 7日 (火)

C.S.ルイス『被告席に立つ神』

 ルイスの宗教著作集別巻2で昨日の続編にあたります。この巻では、戦後のイギリス社会に「国民的悔い改め」によって自分自身の罪を悔いることを忘れて、他人の行為を嘆くという、なんだか「一億総懺悔」のような動きがあったことがわかりました。ルイスはこれを「際限なく非難をしながらずっと、自分では懺悔しているつもりでいすというよくある悪」(8頁)と呼んでいます。
 また、イギリスの一般大衆が「心に全く罪の意識がない」(88頁)ということもわかりました。また「刑法は、ますます在任を守るようになり、犠牲者の方を守るのを止めています」(182頁)とあり、教育刑の名の下に怪しげな心理学や医学の専門家が幅を利かせるようになっている様子も活写されています。
 要するに、イギリスもまたわが国の状況と実によく似ていることがわかりました。というか、わが国の方がこんな英米先進国の制度をお手本にしてきたのでしょうね。

(本多峰子訳、新教出版社1998年2400円税別)

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2006年3月 6日 (月)

C.S.ルイス『偉大なる奇跡』

 ルイスの宗教著作集の別巻として編集されたエッセー集。論理の鋭さには舌を巻きます。翻訳もおそらく正確なのだろうと思います。翻訳の本多氏はルイスの翻訳者としては最高の一人かもしれません。本書で特に感心したのは次の箇所です。
 「どれほど確信に満ちた心霊主義者でも、霊媒から出た言葉のうち一言でも、人間の金言となったとか、あるいは、人を高揚させたり、強めたり、正したりする力において、たとえ二流の金言にでも(匹敵することはおろか)近づいたことがあると、主張するでしょうか。膨大な心霊のお告げは、大方、惨めなほど、現世でも最高の思想や言説に及ばないことを、誰が否定するでしょうか?」(189頁)というくだりです。これに続けて、心霊には宗教の出発点になる力を持つには内容が貧困すぎると述べています。そして「例のお告げと裸の有神論の複合から成る最低限の宗教には、われわれの性質の最も奥深くにある心琴に触れる力は全くないし、われわれを精神生活にまではおろか、世俗的に高めるような反応を起こす力もないのです」(190頁)とあります。
 さすがに目のつけどころが鋭いですね。そういわれてみればそうなのです。これがスピリチュアル・カウンセリングの本場イギリス出身のルイスの言葉であるだけに、よけい説得力があります。

(本多峰子訳、新教出版社1998年2600円税別)

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2006年3月 5日 (日)

鈴木陽一『DUO[デュオ]3.0』

 これは実に良く出来た英単語集です。例文の中に重要単語と熟語を埋め込んで覚えさせようというのはなかなか秀逸なアイディアです。日本語教育にも活かせそうです。
 もっとも、はっきり言って、560もの例文に目を通すのには骨が折れましたが、自分の弱点がよく分かりました。会話表現と時事問題の語彙が不足しているのがはっきりしました。今週はこれを高校生に返った気持ちで、集中的に覚えるつもりです。これで英語を読むのが多少は楽になるかもしれません。CDも良い出来です。

(アイシーピー2000年1200円+税)

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2006年3月 4日 (土)

関満博『〜全国優秀中小企業から学べ〜ニッポンのモノづくり学』

 日本全国のユニークな中小企業を丹念に取材して書かれた本。それぞれに「プロジェクトX」のような熱いドラマがあります。各企業のウェブサイトのアドレスや電話番号が載っていると、もっとよかったのですが、ま、気になる企業は自分で調べることにします。
 印象的だったのは二代目が頑張っていることです。新たな発想と技術で初代よりさらに飛躍的に会社を発展させているのは見事としか言いようがありません。政治家の二代目とは随分違うようですが、いずれにせよ日本の将来は明るいという気にさせられます。一番最後の企業「おさかな企画」の記事だけでも立ち読みしてみてください。へぇーって思いますよ。

(日経BP社2005年2000円+税)

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2006年3月 3日 (金)

日下公人『国家の正体―小泉改革の先を考える―』

 いつもながら人の気づかないところに気がつき、人の知らないことを紹介してくれる面白い本です。本書で初耳だったのは中国の「譚案」という人事カードのことで、そこにはわが国の政治家や外務省の人間について、中国大陸における当人の父祖の代での業績まで記録されていて、これをネタに「親中国派」を作っているとのことです。単なる接待だけでチャイナスクールができるのはちょっと変化なとは思っていましたが、ちゃんと仕掛けがあったのですね。
 また、戦時中、日下氏の父上がマレーで名裁判官だったこともよくわかりました。判決のもととなったといわれる『軍政要領』もいつか探して読んでみたいものです。
 それから、富永仲基の「約」(物事の飾りと本質を見抜く力)の思想を直観力、洞察力あるいは暗黙知としてとらえ直すところは慧眼だと思いました。記述がシンプルで明快なところも、結局著者自身が「約」を旨としていることによるものなのでしょう。見習わなくては、といつも思っていますが、自分が文章を書く段になると、なかなかこんなふうには行きません。やっぱ名人芸ですね。

(KKベストセラーズ2005年1500円+税)

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2006年3月 2日 (木)

小泉周二『メールマガジン放課後』

 知り合いの編集者からの頂き物です。そうでなければ手に取ることはなかったと思いますが、これも何かの縁でしょう。いい本でした。
 著者は「網膜色素変性症」という、長い年月をかけて徐々に視野が狭まり、ついには失明に至る難病で、小学校や中学校で教える傍ら、詩を発表し、作曲やライブ活動もされています。また、盲人マラソン大会にも参加されています。現在では歩行も読書も困難になっているのですが、むしろ「精神的にはとても安定していると感じる」そうです。人間という存在の大いなる逆説かもしれません。
 喜びも悲しみも飾ることなくストレートに伝えようとする詩と文章です。こんなに素直で素敵な人はそうはいません。そのうち娘に読んでやろうと思います。

(日本出版制作センター2005年1143円税別)

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