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2007年3月25日 (日)

薬師院仁志『日本とフランス 二つの民主主義 不平等か、不自由か』

 かつてヨーロッパの知識人が共産主義と社会民主主義を、明確に区別しているのを知って、当時の日本共産党より過激な分子を抱えていた社会党とはどうやらずいぶん違うらしいと思ってはいましたが、この本を読むと、ヨーロッパの左派の来歴と、アメリカ経由でわが国の状況が奇妙にねじれた具合になっていることがはっきりわかりました。
 ちなみに、わが国の社会党はベルリンの壁が崩壊するころ、英語の党名を「社会民主党」へとこっそりと変更していましたが、姑息な体質がよく現れていると思ったものです。当時の空気だけは読んだつもりになっていたのかもしれませんが、ルーマニアの党大会に参加してはチャウシェスク万歳を唱えたその年に、まさか革命が起こるとは思わなかったことでしょう。
 著者が言うように、わが国には政治的左派による政策の選択肢が皆無であるということが一番の問題で、別におフランス礼賛の本ではありません。それにしても、平等主義的で、大きな国家思考でかつ愛国的なフランスが、あちらはあちらで悩める状況にあることもよくわかりました。
 ところで、著者の専門が政治学ではなく社会学ということで、あ、こんなことも社会学者として言っていいんだと気づかされました。社会学という学問の新たな可能性を教えてくれたようにも思います。

(光文社新書2006年740円+税)

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2007年3月18日 (日)

勝谷誠彦『偽装国家―日本を覆う利権談合共産主義』

 出張で三日ほど札幌に行ってきました。道路が広くて水と食べ物が旨いところでした。出張中は乗り物に乗っている時間は長いのですが、どういうわけかいつもの電車でないと本が読めません。また通勤電車の読書に戻ってぼちぼち更新していきます。
 さて、本書は先日テレビで著者がちょっとはにかみながらもちゃっかり宣伝していましたが、書下ろしではなく、語り下ろしの本だそうです。毎朝3000字以上の記事からなるメールマガジンを発行し続けている人なので、本当は自分で書きたかったようですが、かえってわかりやすくストレートな本に仕上がっているように思います。そのせいか、著者の本としては珍しくよく売れているみたいですね。
 情報網の広さには感心させられますし、著者独特の極論も随所に登場します。極論といっても、著者の場合、奇を衒った受け狙いのそれではなく、虚を突いてはいますが、むしろ説得力のある面白いアイデアといえるもので、読者を十分に楽しませてくれます。読者へのサービス精神が行き届いています。今なら旬の情報が満載でお買い得かもしれません。

(扶桑社新書2007年680円+税)

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2007年3月14日 (水)

池田晶子『14歳の君へ―どう考えどう生きるか』

 先月著者の訃報が新聞に載っていました。ご冥福をお祈りします。腎臓癌で享年46歳とのこと。まだまだ面白い本を書いてくれたでしょうに、残念です。
 人間が生きてここにいて考えているということほど不思議なことはないということと、人生を「よく生きよ」、というメッセージが平易な言葉でしっかり考えられています。たいしたものです。このスタイルは真似できません。死ぬのも本当に怖くなかったのでしょう。病気のことはどこにも触れませんでしたね、最期まで。仏教に一番親和性のある思想家だったように思います。今頃どこかで相変わらず考え続けているのでしょうか。
 「考える」というこの不思議な現象だけは、ひょっとしたら肉体がなくなっても残っているのかもしれません。彼女は本書以外のどこかでそんなことを言っていましたが、今頃どこかで純粋思考となって「やっぱりそうだったんだ」と思っているかもしれません。

(毎日新聞社2006年1143円税別)

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2007年3月 8日 (木)

小川洋子『博士の愛した数式』

 綿密な取材に基づいてしっかり作りこまれた小説です。数学の美しさや面白さをわかりやすく書いてくれてもいるので、普通の小説とは違った啓蒙的な部分があるのですが、物語の筋立てや小道具に見事に溶け込ませてあります。かつての阪神のエース江夏豊の背番号28が、約数の和も28になる「完全数」で、数学者が江夏ファンというところが気に入りました。私もファンでしたから、そうでない人がどう感じるのかは不明ですが、全盛時の江夏の芸術的なピッチングを思い出しました。阪神巨人3連戦で投げるピッチャーが村山と江夏の二人だけだったことも珍しくありませんでした。
 なお、著者は数学だけでなく野球のことも、家政婦派遣業界のことも、かなりマニアックに調べ上げていました。中学生くらいのときにこんな小説に出合っていたら、数学が好きになっていたかもしれません。
 それにしても私の学校時代は数学の不思議さや面白さを話してくれた先生というのはいませんでしたね。専門の学問の深さを追求しないですむようになっている教員養成システムに問題があるのかもしれません。

(新潮文庫平成17年438円税別)

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2007年3月 7日 (水)

三浦朱門『老いれば自由に死ねばいいのだ―中味の濃い人生を生きる』

 著者のエッセーは結構読みやすくて好きです。老人の繰言と思い出話でできているような本ですが、結構気の利いたことも含まれていて、ためになります。うるさいご隠居さんなんて最近はあまりいませんが、本書はその代わりになるかもしれません。しかし、うるさいようでいて決して嫌味な感じはしません。何事にもストレートな奥さんのエッセーよりは気楽に読めます。吉行淳之介や遠藤周作といった著者の友人たちのエピソードにも興味深いものがあります。1992年当時、すでに亡くなっていましたっけ。
 最後の章は「曾野綾子は私の十字架」という題で、何が書いてあるかと思ったら奥さんからぼろくそに言われながら死んでいくのもまた幸せという内容の、実はラブレターでした。お二人ともいまだご健在で何よりです。
 思えば私の父は母に先立たれたとき「戦友を失ったみたいだ」と言っていましたが、お二人もお互いにそんな感じなのかもしれません。

(光文社1992年1000円)

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2007年3月 3日 (土)

桂紹隆『インド人の論理学ー問答法から帰納法へ』

 今週はこの本にかかりきりでした。インドには独特の論理学があって、それが帰納法に基づいていることが丁寧に説かれていました。好著です。
 昔、ポーランドを旅行中に知り合ったインド人の哲学者は、これからアメリカ人の同僚とディスコに行くところでしたが、私と家内が劇場に行くと聞くと、それは面白そうだ、一緒に行きたいと言い出しました。しかし、同僚から、言葉もわかんないのにつまんないだろと言われて、結局は劇場には来ませんでした。
 われわれもポーランド語はわからなくても演劇は楽しんでいたわけですが、わからなくても楽しめそうだということはそのインド人哲学者はわかったようでした。その辺がわかるところがアメリカ人よりずっと賢そうに見えました。現実のわからなさについての耐性がありそうだからです。その彼もこんなことを大学で教えていたのかもしれないと思いながら本書を読みました。
 論理学としても帰納法と科学の関係を追求するとき、インドの論理学は、西洋流の教科書的な論理学とは違った面白い可能性が開ける分野だと思います。インドの論理学がその基本に据えている帰納法というのは、やはり複雑怪奇な事実に直面するところから始まるので、科学の現場では受け容れないわけにはいかないものなのでしょう。
 こういう独特の論理学が育ってくる背景にはインド人の議論好きな文化が控えているのだと思いますが、討論の勝敗を決定するルールが早くから確立していたということに興味を惹かれました。たとえば、的外れな意味説明や意味が理解されない言明、あるいは無意味な繰り返しなどをしたとたんに議論に敗北するというルールがあるということ自体、大変な達成だと思います。是非とも全国の大学の教授会や理事会に適用してほしいところです。
 しかし、おそらくどこでも、現実にはそんな掟破りの言明を得意とする人ほど権力があって、その場では誰も批判できずに議論が「空気」で決まっていくということになっているはずです。私が知らないでもないそうした連中は、入学者激減の今では屍に群がるハイエナの状況を呈していて、みんなあきれるほど自分の損得のことしか考えていません。かつての大本営というのもこんな感じだったのでしょう。
 ま、これはこれで、日本版政治的言語の論理学という分野が開拓できそうで、日々興味は尽きないのですが、問題は職場がいつまでもつかということです。他人事なら嗤って見ていられるのですが、ここまで来ると、次の仕事を考えなくてはいけません。

(中公新書1998年940円+税)

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