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2007年4月28日 (土)

日下公人『名誉ある孤立の研究』

 先日読んだ「ミドルパワー」とは対極的な、ユニークでスリリングな本です。1993年の本ですが、古くなっていません。第二次湾岸戦争を予見ないし危惧しているところもあって、当時の先見の明も光っています。旧ソ連の核兵器を買い取って、10年かけて原発で燃やしてしまうといった発想は著者ならではのものです。外交について著者の言いたかったことがしっかり詰まっている本です。さすがに長年んいわたって銀行マンとして渉外担当の現場に立ってきた人だけのことはあります。ソフトな物腰ですが、実によく機転が利き、論争に強そうです。
 本書では、巡洋艦というものが、一面ではダンスパーティーを開くための船だったということを教わりました。イギリスでは、巡洋艦というのは、植民地向けにちょっとした小競り合いを見張る程度の武器を搭載するだけで、停泊地の王族などを招待して親善外交をするために開発されたのですね。学者の書いた本の何倍も面白くて、ためになる本です。

(PHP研究所1993年1,400円税込み)

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2007年4月24日 (火)

添谷芳秀『日本の「ミドルパワー」外交—戦後日本の選択と構想』

 「ミドルパワー」とはもちろん「中年パワー」のことではありません。大国でもなく小国でもない適度の振る舞いを積極的にとらえようとした概念です。ただ、外交はときにライオンになったり狐になったり、あるいは相手にそのように見せたりしなければならないので、学者先生ならともかく、前線にいる人が自分から「ミドル」だなどと言おうものなら、それは馬鹿そのものです。本書でも、この言葉に自縄自縛になっているところが多少感じられます。ただ、戦後日本政治史のダイジェストとしてはしっかり読ませてくれます。吉田茂の構想のねじれが今日の状況につながっているところがわかりやすく書かれています。それにしても著者のようなナイーブなタイプでいて改憲論者というのは珍しい気がします。

(ちくま新書2005年720円+税)

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2007年4月21日 (土)

アラン・ホブソン『夢の科学―そのとき脳は何をしているのか?』

 夢という現象を最先端の脳科学の立場から説明した本。要するに、夢とは意識の働き以上でも以下でもないということで、夢にまつわるフロイト以来の神話からの解放をもくろんでいます。そしてそれは十分成功しているように思われます。フロイトは夢に関しては、科学を志向しながら、自分ひとりが解読できる預言者宗教の教祖になってしまっていたので、後世の彼の弟子筋のインテリたちを呪縛し続けてきましたが、そうした呪縛をとくためにも、こういう科学的で冷静なアプローチは必要だと思います。
 本書に言われるまでもなく、夢というものを何でも性的抑圧から説明し、解釈するのは妙だとは思っていましたが、そのあたりの根拠は何もないことがはっきりと説得的に書かれています。また、昔、夢は深い睡眠のときには見ないものだと聞いて、そんなものかとずっと思っていましたが、この本を読むと、それが誤りであったこともわかりました。
 こうして科学で解明できることをはっきりさせておくと、むしろ科学で解明できないことが余計はっきりしてきて、神秘主義者にとっても都合が悪いことばかりではなさそうですが、ひょっとして今日でもフロイト派の精神分析の人びとには不愉快な本として糾弾されているのかもしれません。
 もっとも本書は、実証一点張りではなく、まだ十分には実証されていないものの、仮説としては魅力的ないくつかの見解も披露されていて、興味深いものがあります。たとえば、「私たちの精神状態とは”目覚めているときの正気”と”夢jみているときの狂気”という両極端で、バランスを求めてたえず動いているといえよう」(147頁)という「ケミカルバランス説」の紹介などは特に印象に残りました。
 最後になりましたが、翻訳臭のほとんどない、こなれた訳文で読みやすかったです。

(冬樹純子訳講談社ブルーバックス2003年860円税別)

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2007年4月18日 (水)

小田中直樹『歴史学ってなんだ?』

 従軍慰安婦問題などを題材にしながら、歴史学が史実に迫れるかということと、何か人の役に立ちうるのか、ということをしっかり考えた本です。従軍慰安婦問題に関しては、坂本多加雄と上野千鶴子が立場は正反対ながら、歴史認識についてはどちらも構造主義ないしはポストモダニズムで一致しているというのは、面白いと思いました。要するにどちらも学問の論理ではなくて、旧来の政治の論理なのでしょう。それにしても、上野千鶴子が吉見義明を構造主義的立場から批判していたなんて、本書で初めて知りました。もっとも、吉見氏の「実証」も朝日新聞と同様に「給与」の話を隠すので、いい加減なものですが、全く別の見地からこんな批判を受けるとは思わなかったことでしょう。
 歴史学は人びとの常識の形成に役立つという著者の主張はもっともだと思います。私も一般教養で歴史を教えることがあるので、いろいろと参考になりました。もっとも、私の場合はこの手のまじめな議論はわずかにとどめて、フルートを吹いたりしながらジャズや民族音楽の歴史なんかを教えているので、ずいぶん違っていますが、学生には本書を推薦したいと思います。

(2004年PHP新書680円税別)

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白田秀彰『インターネットの法と慣習―かなり奇妙な法学入門』

  インターネット上の法のあり方が、絶対主義以前の中世ヨーロッパとよく似ていると言われてみると、なるほどと思わされます。その着眼だけですでにこの本は成功していると思います。関連する法制史や法思想史もうまくまとめてあります。著者は阿部謹也の教え子でもあるそうで、あの師匠からこのような分野で面白い弟子が登場するのかと思うと、なんだか感心することしきりです。著者の写真も蝶ネクタイを締め、どことなくとぼけた感じでいいですね。本書のメッセージの一つに「政治を馬鹿にしてはいけない」というものがあり、ネットのオタクも新たな形で政治参加しうる社会が近づいているのかもしれないという気にさせられました。法学の入門書としても成功していると思います。

(ソフトバンク新書2006年700円+税)

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2007年4月15日 (日)

三浦佑之『金印偽造事件―「漢委奴國王」のまぼろし』

 かの金印は江戸時代に偽造されたという推理です。状況証拠を調べていくと、黒田藩内の二つの藩校をめぐる勢力争いが浮かび上がってきて、説得力があります。昨年のソウル大学の実験結果の捏造と、かつてわが国で「神の手」とか言われて石器を自分で埋めては発見していた研究者の事件を足して二で割ったような状況が浮かび上がってきます。
 今日のわが国にうじゃうじゃいるところの、アメリカの怪しげな学位を何百万も出して買い入れる偽装大学教授たちなら、この心理は容易に理解できることでしょう。学者とパトロンと役人が結託すると、確かにこんな偽造は難しくないと思われます。この三者が友人であったことまではわかっています。それで、いったん話が世に広まると黒田藩もあとから撤回するわけには行かず、藩内でことを穏便に処理し、金印は「本物」とされたまま今日に至っているというわけです。
 もしも金の中に炭素のような、年代を特定できる物質があれば、科学的分析により話は簡単に済むと思いますが、残念ながら、今のところ同時代の中国の印と比較して検証しようとするような動きはないようです。研究者たちも権威主義者が多く、稚拙な「科学的」論証にころりとだまされたりするのは一般人と変わりません。その点で著者の論理は筋道だっていて立派です。王様は裸だと言える人です。

(幻冬社新書2006年720円+税)

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2007年4月12日 (木)

中西寛『国際政治とは何か―地球社会における人間と秩序―』

 著者あとがきにもあるとおり、かなり時間をかけてじっくりと書かれた本です。可能な限りの政治的選択肢を考えているため時間がかかったのだろうと思います。現代の国際政治についての多角的、複眼的な見方をするための材料が的確に与えられています。ちょっと昔の岩波新書的な本はこんな感じだったかもしれません。教科書の副読本としても最適なものの一つだと思います。主張は全体には保守的ですが、バランスの取れた記述で、どことなく法学者的なセンスを感じました。著者は大学内の政治には強くないかもしれませんが、セクハラ防止対策委員長といった仲裁役に向いている人かもしれません。

(中公新書2003年860円+税)

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2007年4月 8日 (日)

羽場久み子編著『ハンガリーを知るための47章』

 ハンガリーの文化を紹介する講演のために、関心のある項目(章)を拾い読みしているうちに、気がついたら全部の記事を読んでしまっていました。この手の本は事典として使えばいいものだと心得ていましたが、各章の分量が適切で、通読しやすいように編集されています。ハンガリーという国の概要を知るための適切な一冊だと思います。
 私としては、知人や友人たちが書いている記事が多いため、一般読者の感想を代表しているわけではありませんが、そのことがかえってひそかな楽しみを与えてくれます。つまり、こんな原稿を書くのは彼あるいは彼女しかいないなと思って読んでいると、果たして各章の最期に思ったとおりの執筆者の名前が登場するのが「当たり!」という具合で、それが快感だったりするわけです。
 ただ、こういう本は少し時間がたつと、あっという間に古くなることもあるので、何年かごとに新鮮な情報を加えた改訂版が出されることを期待しています。
 *羽場久み子の「み」はサンズイに「尾」

(明石書店2002年2000円+税)

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2007年4月 5日 (木)

マックス・ヴェーバー『社会科学の方法』祇園寺信彦・祇園寺則夫訳

 この翻訳者の訳としては初めて読みました。特に社会科学の「客観性」についてのヴェーバーの考えを確認しておこうと思って読んだのですが、自分でもなんだか込み入ったことを考えるようになってから読んでみると、いろいろと刺激的でした。理念型の発想は経済学の限界効用とかいったところから出てきているのがわかりましたし、独特の長いフレーズで微妙な哲学的思考を紡いでいく手際が見事で、あらためてただ者ではないなと思いました。なるほどファンが多いはずです。
 かつてハンガリー出身のルカーチはこのウェーバーから、「君は哲学者としての才能はないので、哲学風の文学エッセーを書くようにしたらいい」との手紙をもらったそうですが、こんな文章を書く人から言われたら、さぞかしショックだったでしょうね。このショックからルカーチは共産党に入党したのではないかと考えている人もいるくらいです。ま、邪推の類ですが。
 翻訳はわりと読みやすかったのですが、「そのようなものとして」という訳文がどこかにあって、おそらく als solcher のような原語ではないかと思うのですが、これは「それ自体」と訳した方が収まりが良い一種の熟語をそのまんま訳してしまったのではないかと、つい疑ってしまいました。原文も機会があったら見てみます。

(講談社学術文庫1994年580円)

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2007年4月 1日 (日)

池田晶子・大峯顕『君自身に還れ 知と信をめぐる対話』

 新年度を前に事務所と研究室の引越しに加えて、論文もまとめたりしているので、電車の中ではもっぱらノートパソコンを広げる毎日です。春休み期間ですが毎日通勤しています。研究室は予想通り個室から相部屋になり、留学生別科生たちも学部から隔離されることになりました。別科はつねに赤字だということで後ろ指を差されてきたにもかかわらず、なぜか膨大なお金を使って新たな教室と事務所を整備するという具合で、現場の意見などはいつもながら無視なので、こちらとしてはもはや理性的に考えていてはいけない境地に達する必要があります。
 なにせ、事務所ではLANが使えず、研究室のほうは机と本棚が入っていないところに明日から引っ越すように言われているという、カフカもびっくりの不条理の世界です。普段から平日は行けない研究室ですが、事務所のほうでも仕事にならないというのはかないません。今週は火曜日が入学式で、すぐにオリエンテーションが始まります。根性だけでは乗り越えられません。
 ちなみに、研究室の机と本棚は予算に入っていなかったらしく、これから発注するかどうかも未定です。これでは動きようがないので、しばらくは前の研究室は明け渡さずにいるつもりです。「掟の前」で待ちくたびれるのではなく、実力行使するのが正しい方法でしょう。もっとも、『審判』の主人公みたいに首をはねられるのではかないませんが。
 そんな中、注文していたこの本が届いたので、つい読んでしまいました。なかなか面白い対話でした。池田晶子は晩年とみに仏教的傾向を強めていたためか、浄土真宗の僧侶でもある大峯顕との話は結構うまくかみ合っています。大峯顕は禅宗にも近い立場の真宗という独自の立場のようですが、山川草木悉皆成仏の考えが出てくると、やはり原始仏典とは違って、大乗あるいはむしろ日本独特の仏教哲学だなあという感じがします。で、私も日本人だからでしょうか、こういう思想は感覚的にはしっくりくるところがあります。
 池田晶子は残念ながら亡くなってしまったので、その代わりというわけではありませんが、日本的仏教思想の展開がどうなるのかということを気にかけながら、これからは大峯氏の著作も少しずつ読んでいこうかと思います。ただ、ちょっとほかの思想家の話が多くて読みにくいかもしれないという心配もあります。

(本願寺出版社2007年1,400円+税)

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