« 2007年4月 | トップページ | 2007年6月 »

2007年5月31日 (木)

ひろさちや『お葬式をどうするか―日本人の宗教と習俗』

 わが国では仏教によるビジネス葬儀が主流ですが、本書によると実は、これが本来の仏教の精神からはかけ離れていて、江戸時代に形成された習俗に過ぎないものだということが、わかりやすく書かれています。勉強になりました。啓蒙書なら、かくあるべしという見本のような本です。
 また、農地改革によってお寺から寺所有の農地が召し上げられたということも―その分、宗教法人としての税制優遇措置が受けられたのですが―かえって、仏教の宗教としての発展の邪魔となったことがわかります。お坊さんが日々農業にいそしみながらお経を上げるような状況ならちょっと違っていたのではないかと思われます。
 著者の本は初めて読みましたが、わかりやすい語り口で、ファンが多いのも納得できます。著者の立場はストレートに原始仏教的で、まったく飾り気がなく爽やかです。これからも読んでみるつもりです。 
 ところで、それはそれとして、自分の葬式はどうしましょうね。

(PHP新書2000年税別)

| | コメント (0)

2007年5月29日 (火)

西加奈子『しずく』

 著者の新刊短編集です。待ってました。いい話がたくさん詰まっています。どれも読後感がよくて、ちょっとだけ希望が持てるところがいいですね。いつもながら、観察の鋭さと、微妙な感情の綾を見事に文章化しているところが光ります。ちょっとベルグソン哲学の微妙さに通じるところがあると勝手に思っています。標題作の「しずく」とは猫の話でした。猫の観察と猫語が見事です。
 ところで、著者の名作「さくら」は犬の名前でしたが、今回の「しずく」は文字通り水滴でした。でも、古い家の台所の蛇口のしずくです。これを二匹の猫が喧嘩しながら舐めるところが、なかなかいいんです。また著者の次回作を、できれば長編を待ちたいと思います。

(光文社2007年1,300円+税)

| | コメント (0)

池田晶子『人間自身―考えることに終わりなく』

 本書が彼女の遺作となってしまいました。しかし亡くなる直前まで、自らの病のことには一切触れず、健筆をふるっていたのはすごいことです。本当に、死ぬのが怖くなかったのでしょうね。喪主がご主人だったと記憶していますが、そういえば、ご主人のことも、彼女の本にはついに一切出てこずじまいでした。こういう女性と結婚する男性も、なんだか相当にスケールが大きいナイスガイなのではないかと想像してしまいます。
 というわけで、本書も以前と何ら変わることなく、著者は世の中の森羅万象の本質的なことだけを考え続けています。そして、しっかり哲学的に考え抜かなければ表現できないような決めぜりふも随所に残してくれました。たとえば、
 「道徳、法律または宗教、そんなものに善悪の判断を委ねてしまえばラクである。しかし判断の放棄とは自由の放棄である。人生の自由を失いたくないのなら、自ら内なる善意を問い続けるしかないのである」(136-137頁)とか、
 「人がロゴスを獲得するのは、したがって、その正しさを主張するべき自分というものを捨てることによってのみだ。・・・言葉をして語らしめることにより、人は自ずから正しい人になるのである」(87頁)といった具合です。それにしても、なかなかこうは書けないものです。感服します。もう彼女のエッセーが読めないのは本当に残念です。
 あらためてご冥福をお祈りします。

(新潮社2007年1260円税込)

| | コメント (0)

2007年5月28日 (月)

原田尚彦『〈新版〉地方自治の法としくみ』

 後期の授業の予習をしていて、遅ればせながら、この本があることに気がついたので読みました。ネットでは「地方自治法」で検索に引っかからなかったので、入手が遅れましたが、今のうちに読んでおいてよかったと思います。
 この分野は役人の手による解説が幅をきかせているので、学者の立場からの理論的な考察は新鮮に感じます。『行政法要論』の著者らしく、本書も言いたいことを言っている本で、ときにかなり革新的で(おそらく、ご本人は中道のつもりでしょうが、そのあたりが法学者の一筋縄ではいかないところでしょう)、各方面に刺激的な法解釈がコンパクトに示されています。中でも平成11年の法改正以来の一連の流れが、実は中央集権化の強化につながっているということを、しっかりと指摘しているところはさすがだと感じました(42頁)。結構「熱い」本です。
 『行政法要論』のように、具体的な事例を挙げた「研究課題」が載せてあるとありがたかったのですが、そこまで言ったら無い物ねだりでしょうね。

(学陽書房2005年改訂版2100円+税)

| | コメント (0)

2007年5月22日 (火)

曾野綾子『貧困の光景』

 世界の貧困の現場に立ち会ってきた著者ならではの本です。私は痩せすぎて浮腫が出るというのは見たことがありませんが、今日の日本においては、そのことを知っておくだけでも大事なことだと思います。途上国では上は大きく盗み、下は小さく盗み、全体に貧困の中に沈没して出られなくなるという、恐怖の悪循環に呑み込まれているところが少なくないようで、現代日本の状況がこうならなかったのは、ご先祖様たちのおかげだろうと思われます(上は大きく盗み続けているようですが)。
 強烈な現場の話とともに印象に残ったのは、次の箇所です。
 「アラブ世界において最も完成された人間像として人々の心を惹きつけた三つのものは『武人、詩人、予言者』であるという。結果的には、これらの人々の天賦の才能は、すべて物質の少ないところで伸びる。日本人はこのうちのどれ一つとして人間の理想としたことはなかったし、また将来もないであろう」(208頁)
 「荒野が否応なく人間を創り、人間の発見につながるという一方の事実と、潤沢がしばしば人間性を腐敗させ、崩壊させるという皮肉に、私もまた正直なところ、いまだにうまく適応できないでいる」(211頁)
 そうなんですよ。昨日は交差点で車に乗ったちんぴら同士が運転のトラブルで睨み合っていました。互いに虚勢を張り合って滑稽でしたが、いい車を持っているのだから少なくとも貧困と飢餓からは無縁そうでした。昨今の異常な快楽殺人にしても、天降り役人にしてもしかりです。いろんなことを考えさせられます。「よく生きよと」ソクラテスが言っても、人びとに伝わらなさそうなきょうびの世の中になってしまいました。今さら驚くまでもないことですが、そんな話は大学のようなところでもいっそう通じません。特に教員には。

(新潮社2007年1300円税別)

| | コメント (0)

2007年5月20日 (日)

石井敏他編『異文化コミュニケーション・ハンドブック』

 授業準備のために読んだ本ですが、一応、読書日記なので、書いておきます。この種の問題に関心がない一般読者には薦められません。大学の教科書としては便利かもしれませんが、大勢の著者によるそれぞれ思索の足りない薄っぺらい記述が辞書的に並んでいます。ひょっとして業績作りのための本でしょうか。
 異文化コミュニケーションという分野は、アメリカ人が占領先の文化を理解しようとするつもりで作られているようで、実はこんな分野を作ることで、自分が勉強するのではなく、アメリカという異文化を他国人に理解してもらおうとするムシのいい分野のような気がします。学問として設定しておけば外国人が自分で勉強してくれるだろうという、なかなか賢い戦略なのではないかと、かんぐりたくなります。
 実際、この分野では、文化の違いはわかったとして、それからどうするのか、ということが問題なのです。この種の本の、異文化についての議論の行き着く先は多文化共存ということになるのは読まなくてもわかりますが、一方の否定の上に他方が成り立つような、イスラム教とキリスト教のような関係にある場合、相手を抹殺することが神の命令だと考える人も少なくありません。共存ということばが辞書に載っていないような文化においては、共存は不可能なのではないか、という問いかけもありうるはずです。
 さて、そうなってくるとわが日本文化の「無宗教」的ないい加減さにも改めて目を向ける必要が出てくるかもしれません。わが国民は、宗教戦争らしいものは経験したことがないという世にも珍しい歴史を有しているからです。もっとも、わが国は宗教的には一見寛容に見えて、実はキリスト教だけは毛嫌いする神道公理が支配する国なので、話はそう簡単ではありません。しかし、毛嫌いする程度ならまだましという考え方もあるので、宗教的寛容の哲学の可能性を探ってみる価値はありそうです

(有斐閣選書1997年1,900円+税)

| | コメント (0)

2007年5月19日 (土)

河内孝『新聞社―破綻したビジネスモデル』

 わが国の新聞がすでに破綻しかかっているビジネスモデルだという著者の指摘はもっともです。新聞社内部の人だっただけに説得力があります。私は産経新聞の記事と朝日新聞の記事を父との間でいつも交換しているのですが、最近両紙ともに見るべき記事が少なくなっていて、ほとんど交換しなくなってしまいました。ひょっとしたら、記者クラブで事件が起こるのを待っているタイプの記者ばかりになりつつあるのかもしれません。あるいは、偏差値秀才ばかり採用して、官僚化してきているのかもしれません。ただその分、嗤うべきおバカな記事が増えてきているので、そのうちこの種のバカの標本を作る意味で、父親との記事の交換を再開しようかと思い始めているところです。
 いずれにしても、どこの新聞社でも、まともな記者が育ってきていないのではないかという気がします。新聞の購読をやめる人もこれからどんどん増えてくるのではないでしょうか。「インテリがつくってヤクザが売る朝日新聞」という秀逸な標語がありましたが、販売の方式も含めてすべての経営方針を点検し、大胆な改革を進めなければならないところに来ているようです。
 なお、本書では、各社がそれぞれ系列のテレビ局を有しているという事態の異常さについても、触れていますが、確かに諸外国と比較すると、このことが日本特有の現象であることがわかり、そのヘンなところがはっきりします。新聞なんか読まずに、その分のお金を携帯やデジタル放送等に払おうとする人が今後急激に増えてくることが予想されます。その日は意外に近いかもしれません。かくいう私も実は宅配をやめようかと考え始めているところなのです。

(新潮社2007年700円税別)

| | コメント (0)

渡部昇一『中国・韓国に二度と謝らないための近現代史―「敗戦利得者史観」を排す』

 題名から受ける印象ような過激な政治宣伝ではなく、文献考証に基づくしっかりした議論が繰り広げられています。いろいろと勉強になりました。その点で題名がかえって広く読まれることを妨げないかと心配になりますが、著者の名前を聞くだけで拒否反応を示す人にこそ、しっかり読んでもらいたい本です。確かに、『紫禁城の黄昏』やリットン報告書の原文や、東条英機の供述書を読んだ人はあまりいそうにありません。いずれにしても、風説や雰囲気に基づいた議論にごまかされないために、私も近いうちにこれらの史料に目を通してみるつもりです。一応大学で法学を教えることもある身としては、東京裁判のことについては調べておくのは義務でしょうから。

(徳間書店2007年1600円+税)

| | コメント (0)

2007年5月16日 (水)

勢古浩爾『目にあまる英語バカ』

 英語ができるとその人の能力が底上げされて数段よく見えるので、本書に言う英語バカは後を絶ちません、しかし、英会話がちょこっとできるだけで思い上がっている英語バカもいれば、英語はそれなりにできるものの、後はからっきし無能な英語バカもいて結構事態は複雑です。背景には白人崇拝や偏差値至上主義やらいろんなバカがひしめいているという現象なので、英語バカは著者のいうとおり、あらゆるバカの象徴なのです。
 著者は「バカ論の権威」と帯に宣伝されて、ちょっと恥ずかしい思いもあるのではないかと想像しますが、今までのバカ論と同様、絶好調の語り口です。「自分様が一番偉いんだ」というバカの真髄とその心理を可能なかぎり描き出すその描写力にはいつも感心させられます。
 このバカ度はおそらく、都会で他人の目というストレスを感じながら暮らすと、余計その症状が進行するように思いますが、その辺の事情はたまに上京したりすると、よくわかります。この視線はある意味懐かしいなという気がしなくもありません。その点、中部圏の田舎に住んでいると、名古屋でもあの差別的な視線はほとんど存在しないことに気がつきます(名古屋は大いなる田舎だと言われるゆえんかもしれません)。
 本書には出てきませんが、実は英語の読み書きについては信頼できる実力を持った人というのは実はあまりいません。巷にあふれる誤訳だらけの本を見てもそれはわかりますが、品のない会話に流暢でも、高校生並みの読解力すら持っていない英語バカ(のそれも専門家)というのも結構います。そういう英語バカにならないためには、文法と論理を尊重して地道な努力をするしかないのですが、そういう態度はバカとは対極にあるものですから、事態は一向によくならないのでしょう。
 この種の英語バカを脱却するためには、実は受験英語でやった文法が結構役に立つのです。私はこれをあるとき勉強しなおしてみて、得るものがずいぶんありました。難しい英文は結局、文法を手がかりにするのが一番正確に読めるということがわかっただけでも大きな収穫です。だからといって、英語の達人になったわけではもちろんありませんが、読解における英文法のパワーはもっと広く知られていいと思います。

(2007年三五館1200円+税)

| | コメント (0)

2007年5月14日 (月)

飛幡祐規『それでも住みたいフランス』

 パリ暮らし30年の著者によるかなりディープなフランス紹介です。ブランドのマークをわざわざはずすボランティアとか、朗読ブームとか、ヴァカンスセンターといった、日本ではなかなか知ることのできない情報に満ちています。それにしてもつくづく感じるのは、フランス人の反骨精神で、とにかくまずはNonと言ってから話を切り出すようなところがありますね。
 昨年の若者たちの暴動までしっかりフォローしてありますが、さすがにサルコジの勝利の背景まではちょっと読み取れません。してみると、著者はどっちかというとロワイヤル側の人なのでしょうか。ま、どうでもいいことですが、そのうちどこかで先日の大統領選挙のことも解説してくれるとありがたいと思います。
 なお、著者が高く評価しているフレネの教育理論とその実践は結構面白そうです。今は悪名高くなったわが国の「ゆとり教育」も本当はこれをモデルにしていたのかもしれません。スウェーデンやフィンランドはこの方式を採用し、教育効果も上げているようです。ちょっと覚えておきます。

(新潮社2007年1400円税別)

| | コメント (0)

2007年5月12日 (土)

ベルグソン『時間と自由』

 河出書房の世界の大思想シリーズです。古書店で投げ売り状態でしたが、今日入手しづらいものも含まれていて、重宝します。本書はベルグソンの『時間と自由』と『創造的進化』が一緒になっていてお買い得の100円でした。特にこの『時間と自由』が恩師中村雄二郎の訳文だったことが購入の決め手でしたが、案の定、読んでみると個人的には言い回しが懐かしかったりして、別の楽しみ方をしてしまいました。
 ベルグソン特有の、思考の経過とリズムがそのまま反映されたようなうねうねとした文体は、翻訳しにくいものだと思いますが、『道徳と宗教の二源泉』の翻訳と同様、いくつかの訳本の中でも最も優れたものの一つだと思います。ベルグソンの微妙な現実への透徹した感性と思考のリズムは中村先生のそれ波長が合っているのでしょう。そして同時に、こうした翻訳を通じて先生は栄養を吸収されたんだろうなとも感じました。
 また、本書は訳文だけでなく解説が秀逸で、ベルグソンにとっての「真の時間」とは「純粋持続」のことだということが明記されていて、理解の助けになります。本文にはこのことが必ずしもはっきり書かれているわけではないところに、こうしてスパッと指摘があると、解説を読んでもおトク感があります。さすがにかつて、ゼミ中に「翻訳をするなら解説を書かなければ意味がない」とおっしゃっていた先生だけのことはあります。
 というわけで、私としては二人の思想家のエッセンスを読んでいるような気がするという、個人的には実に面白い読書体験でした。『創造的進化』のほうは読み終えてから、また書くつもりです。

(中村雄二郎訳河出書房新社『世界の大思想31ベルグソン』所収昭和46年)

| | コメント (0)

2007年5月11日 (金)

ジャック・プレヴェール、エルサ・アンリケ『おりこうでない子どもたちのための8つのおはなし』

 大学でフランス語を習って2年目に原書で読んだ本です。翻訳が出ていて、フランス語購読の生徒さんがコピーしてくれました。版元品切れ状態とのことで、増刷を待って手に入れるつもりでしたが、感想だけ先に記します。
 プレヴェールは反骨のポーズを生き甲斐にしているパリ人に愛されている詩人です。それだけに、ちょっとクサいところもありますが、これが原書で読むとなかなかいい味わいになるのです。言葉遊びというか、だじゃれも効果的に決まっています。
 しかし、翻訳ではこの空気がうまく伝わらないようです。家内と娘にも読んでもらいましたが、中途半端でよくわからないお話という感じがするそうで、不評でした。どうなんでしょう。翻訳は少なくとも正確だと思いますが、原文を知って読むのとは違うのでしょうね。翻訳のみ読んだ人で同じようなご感想を持つ人は少なくないのかしらん。ちょっとショックです。翻訳って難しいですね。いい本だと思うのですが、自信を持って人に勧められなくなってしまいました。

(布施佳宏訳二瓶社2004年1554円税込)

| | コメント (0)

2007年5月 2日 (水)

渡辺千賀『ヒューマン2.0―web新時代の働き方(かもしれない)』

 噂に聞くシリコンバレーの人びととその暮らしぶりが、独特の軽妙な文体で活写されています。それにしても、シリコンバレーというところが、アライグマが飼い猫を襲うような田舎だとは知りませんでした。世界中のオタクが集まって、自己の能力だけを頼りに熾烈な競争をしているところという印象はそのとおりですが、もうちょっと都会かと思っていました。でも、掟がうるさい共同体的な田舎ではまったくなくて、みんなが薄い付き合いの中で、家族を真の友人としてばらばらに暮らしているという、不思議な場所のようです。
 しかし、ここにいるオタクはアウトドア派で相当な体力の持ち主でもあって、その嗜好と体力は、頭を激烈に使う競争とのバランスをとり、あるいはその下支えをしているような感じです。もっとも、オタクとアウトドアというのは確かに相性がいいところがありますね。
 そういう彼らもまた、レイオフあるいはキャリアアップを繰り返していくのですが、その際に鍵となるのが薄く広い付き合いだというのは面白いと思いました。いい仕事の話は必ずしも深くて濃い付き合いをしている友人たちからもたらされるのではないという経験則は、最新のネットワーク理論によってもわかってきていることですが、やっぱりそうかという感じです。
 本書では、人間の感情というものの持つ高度な情報処理能力についても言及されていて(「直感を大事にする」175頁)、人間が頭を使うということについて、また、組織に頼らない仕事をするということについて、いろいろなヒントが示唆されている本でもありました。
 毎日のように組織(のそれも一部のとんでもないバカども)に振り回されている日本のサラリーマンにとっては、おとぎ話のようにも見えるかもしれませんが、それでも視界が開け、気分が多少楽になること請け合いです。
 それにしても、日本のダメ組織が決まって旧日本軍のように組織のトップグループから崩れていくのはなぜなのでしょうね。官公庁でも企業でも大学でも、官僚化したところは例外なく、組織のエグゼクティブグループが、率先して汚いことをし、あるいは単に目立とうとしてバカなことをしたりしながら、よってたかって組織を食い物にしています。
 おそらく人間という生き物は余計な期待をしないでその生き方を見つめると、こんなところが普通なんでしょう。しかし、だからこそ、普通でないエリートを養成する必要があるのだと思います。公務員試験や入社試験、あるいは大学入試合格当時の受験秀才を、その時点で思い上がらせるのではなく、そこからさらに鍛え上げて一人前の真のサムライ(女性ももちろん可)にするシステムを本気で考える必要がありそうです。

(朝日新書2006年700円+税)

| | コメント (0)

« 2007年4月 | トップページ | 2007年6月 »