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2007年5月16日 (水)

勢古浩爾『目にあまる英語バカ』

 英語ができるとその人の能力が底上げされて数段よく見えるので、本書に言う英語バカは後を絶ちません、しかし、英会話がちょこっとできるだけで思い上がっている英語バカもいれば、英語はそれなりにできるものの、後はからっきし無能な英語バカもいて結構事態は複雑です。背景には白人崇拝や偏差値至上主義やらいろんなバカがひしめいているという現象なので、英語バカは著者のいうとおり、あらゆるバカの象徴なのです。
 著者は「バカ論の権威」と帯に宣伝されて、ちょっと恥ずかしい思いもあるのではないかと想像しますが、今までのバカ論と同様、絶好調の語り口です。「自分様が一番偉いんだ」というバカの真髄とその心理を可能なかぎり描き出すその描写力にはいつも感心させられます。
 このバカ度はおそらく、都会で他人の目というストレスを感じながら暮らすと、余計その症状が進行するように思いますが、その辺の事情はたまに上京したりすると、よくわかります。この視線はある意味懐かしいなという気がしなくもありません。その点、中部圏の田舎に住んでいると、名古屋でもあの差別的な視線はほとんど存在しないことに気がつきます(名古屋は大いなる田舎だと言われるゆえんかもしれません)。
 本書には出てきませんが、実は英語の読み書きについては信頼できる実力を持った人というのは実はあまりいません。巷にあふれる誤訳だらけの本を見てもそれはわかりますが、品のない会話に流暢でも、高校生並みの読解力すら持っていない英語バカ(のそれも専門家)というのも結構います。そういう英語バカにならないためには、文法と論理を尊重して地道な努力をするしかないのですが、そういう態度はバカとは対極にあるものですから、事態は一向によくならないのでしょう。
 この種の英語バカを脱却するためには、実は受験英語でやった文法が結構役に立つのです。私はこれをあるとき勉強しなおしてみて、得るものがずいぶんありました。難しい英文は結局、文法を手がかりにするのが一番正確に読めるということがわかっただけでも大きな収穫です。だからといって、英語の達人になったわけではもちろんありませんが、読解における英文法のパワーはもっと広く知られていいと思います。

(2007年三五館1200円+税)

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