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2007年7月30日 (月)

たかのてるこ『キューバでアミーゴ!』

 キューバのことは今までほとんど知りませんでしたが、本書を読んで、いつか行ってみたいと思うようになりました。みんなビンボーだけど明るくて、助け合いながら、そして、歌い、踊りながら生きているというのは、すごいなあと思います。それで、そうした人びとにあっという間に波長が合って、ステージでさえ踊ってしまえる著者は、かなり日本人離れしています。
 著者については今まで知りませんでしたが、知る人ぞ知る旅行の達人だったのですね。文章も勢いがあって、かつ言いたいことや考えたことが、微妙なことまで過不足なく表現されている名文だと思います。
 それにしても、著者のような大阪出身のノリの人ならキューバ人にも十分太刀打ちできるのかもしれません。ほかに日本でこの雰囲気に合いそうなのは、雰囲気が何となくに詰まってくると、「じゃ、踊りましょうか」とすぐ踊ってしまえる沖縄人くらいでしょうか。
 私自身は普段あまり旅行をしたいという気にはなりませんし、どうせ行くなら調査とか研究を優先したいと考えがちな、貧乏性ですが、キューバには一度行ってみて、その雰囲気を味わってみたいと思います。しかし、それでもついつい社会主義体制の調査なんて目的を掲げてしまいそうです。

(2007年幻冬舎1500円+税)

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2007年7月27日 (金)

三浦佑之『古事記のひみつ 歴史書の成立』

 以前読んだ歴史学者の岡田英弘の本では、当たり前のように古事記偽書説が唱えられていました。昔、神主の息子に個人的に古事記の読解レッスンをしたことがあって、その雑多でエネルギッシュな内容には驚かされたことがあります。それにもかかわらず、偽書だと断定されると、やはりそんなものかなあと思いながらも、違和感がくすぶっていました。その違和感をどうにかしたくて本書を読んでみたという次第ですが、期待以上にいろいろと腑に落ちました。
 本書は古事記序文は偽りとしながら、偽書説はとっていません。むしろ古事記は日本書紀以前の様々な神話や民俗伝承の集積ととらえています。岡田説についても「何かの思い違いではないか」とあっさり釘が刺されています。
 何よりも、古事記の非天皇中心的で、土俗の匂いのする魅力的な話の内容に注目すると、やはり偽書説はないだろうなと思います。本書の議論も土俗的・文学的な内容に注目していて説得力があります。「比喩の古層性」や「天津麻羅の象徴性」の章はその点でも示唆的です。特に後の章では、南方熊楠の読みの正確さと西郷信綱の鈍感さが対比されていて、こういう問題についてはさもありなん、という感じがしました。

(吉川弘文館2007年1,700円+税)

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2007年7月25日 (水)

ドン・タプスコット、アンソニー・D・ウィリアムズ著井口耕二訳『ウィキノミクス マスコラボレーションによる開発・生産の世紀へ』

 大学という閉鎖的で無能な人びとによる既得利権保護団体に属していると、いつの間にか自分の発想も凝り固まってしまいますが、本書を読むと、世の中の元気のいい集団は、大学とは正反対の原理で動いていることがよくわかります。それにしても、リナックス+IBMやイーベイやレゴやアマゾンに共通するオープン性は大したものです。この方向で進むのがやはり組織としても正しい発展なのでしょう。本書にあるように、組織をオープンにし、情報を共有し利用できるようにすることで、何十万人あるいは何百万人もの人びとによるブレーンストーミングが自然発生的に可能になるとしたら、すごいことになるのも道理です。トヨタの車なんかも、今よりもっと面白くなる余地があることがわかりますが、閉鎖的になると逆に、あっという間に他社に抜かれる可能性もあります。
 ともかく、自分でもこの原理を生かさない手はないのですが、さしあたり「落ちこぼれ大学生再生プロジェクト」とか、「わかりやすい社会学のテキストをみんなで書こう」といったようなブログを新たに起こしてみようかと思います。ほかに、大学の通信教育のための良問を募集したりすることも可能です。カテゴリーを別にしてここでやってみましょうかね。
 本書を読むと実際、閉鎖的な大学教育にあっても、いろいろとできることがあることがわかります。アイデアがいっぱい浮かんできて眠れなくなってしまいました。商売なんかやっている人にとっては必読書となるでしょう。
 もっとも、本書は単なるビジネス書ではありません。人間の創造性という点に関してもいろいろと考えるヒントを与えてくれます。今年一番の刺激的な本です。

(日経BP社2007年2400円+税)

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2007年7月20日 (金)

ベルグソン『道徳と宗教の二源泉』

 本書を読むのはこれで三度目です。最初に、この岩波文庫版で読んで、二度目は白水社版、それからまた岩波文庫版を読みました。翻訳としては、師匠の肩を持つわけではありませんが、やはり白水社の中村雄二郎訳の方が読みやすいと思います。ベルグソンにこだわっているのは、微妙な事柄をエッセー風に思索を張り巡らせながら、これまた微妙な世界を暗示するという独特のスタイルに惹かれるからです。今回は神秘主義について触れられた後半のところが特に印象に残りました。哲学の範囲をほとんど越えようとしている感じです。
 ベルグソンの著作は全体に、これといって印象的な「決めぜりふ」のようなものはないのですが、それにもかかわらず、文脈の中で象徴的に浮かび上がってくるものがあるのが特徴で、病みつきになります。次回は中央公論社の森口訳か、あるいはいっそ原書で読んでみようかと思います。また、そう遠くない将来、一般市民のための読書会を開こうかとも考えています。
 ところで、敬愛する哲学者の坂田徳男が、本書のどこかに「身体は宗教的にできている」と書かれていると言っていたので、そりゃあ面白いと思って、今回もかなり意識して探してみたのですが、さっぱり見つかりませんでした。坂田オリジナルかもしれません。やはり、ベルグソンはそこまでのことは言っていないように思います。
 このことについては、昔、中村先生にも聞いてみたことがあるのですが、「いや、それはないだろう」とのお答えでした。翻訳者が言っているのだからやはりそうでしょうが、不肖の弟子たる私は、本書を読むたびに、該当の箇所を探してしまいます。
 ところで、中村先生のスタイルも、ベルグソンの影響をかなり受けているように感じますが、『悪の哲学』のような視点はベルグソンにはないようです。神様の方ばかり向きすぎていたのでしょうか、本書の最後のところで触れられているベルグソンの世相診断のようなところは、ちょっと清らかすぎるというかナイーブな感じがします。この点で、中村先生は—もちろん悪人ではありませんが—むしろ、ある種の反面教師的な影響をベルグソンから受けられたのかな、という気もしました。

(岩波文庫1977年改訳版平山高次訳500円)

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2007年7月18日 (水)

香西秀信『反論の技術—その意義と訓練方法—』

 議論においては、相手が言い返せない決定的な反論をすることができれば十分だということで、具体的に訓練方法までが丁寧に説かれている指南書です。高校の国語教員向けのレトリックの実践編です。先日読んだ同著者の『詭弁論理学』へとつながる本ですが、そのあたりは本書の「あとがきにかえて」が予告篇のようになっています。すなわち、大学において、若手の議論を先送りにして闇に葬る老教授陣の手練手管が触れられていますが、これはベンサムが「かたつむり論法」と呼んでいるそうです(182頁)。現実の議論に強くなるには場外乱闘に強くなることも必要だということで、「だから、議論に強くなるということは、嫌なことなのだ」と結んでいます。
 さて、本書で感心したのは、日本人の議論に欠けている心持ちについての指摘です。「もてなし」(エンターテイメント)の意識の欠如が、日本人の議論の最大の欠点なのだ(96頁)という指摘です。そこで紹介されているイギリスの議会での論戦は論者たちが揃ってなかなかのボケぶりで、素敵です。個人的には見習いたいものですが、一人でやるわけにもいきませんし、このあたりは、やはり伝統が違いますね。

(明治図書1995年1760円+税)

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日下公人『国家ルネッサンス』

 著者の知識量と発想の豊かさにはいつも感心させられます。古本屋でも未読のものを見つけると、つい買って読んでしまいます。本書もその一冊で、期待通りでした。
 15年前に書かれた国家再生プログラムですが、今もって古くなっていないところが多く、それだけ、著者の提案が実現していないということかもしれません。それにしても、実現していたらなあと思わずにはいられない名案がたくさん披露されています。本書は雑誌に連載されたものを集めたこともあり、それぞれの章が凝縮されていて、読み応えがありました。
 もっとも、1992年の段階で、アメリカの牛肉を2兆円分買い取って、当時肉が食べられないと噂されていたロシアに、「日本からのプレゼントです、とスタンプを押して配る」(57頁)なんて考えは面白すぎて誰もついて行けないかもしれません。しかし、注目すべきはこうしたアイデアを支えている著者の国家意識と外交センスだと思います。
 また、かつてわが国の明治中期以前の給与所得者は納税していなかったということと、その彼らが納税をするようになったのは、明治中期に高級官僚が自分たちも無税では恥ずかしいと言って3%ほど納めるようにしたのが始まり(122頁)との話は、歴史的知識として知っておいて損はないと思います。
 ちなみに、当時の高級官僚の給料は桁外れに高く、お手伝いさんが3人も置けたとのこと。戦時特別税として導入されて以来、今ではえらく取られるようになっていることがわかります。
 いずれにしても、こういう話を聞くと、通念に凝り固まりがちな頭をほぐしてくれるような気がします。

(講談社1992年1400円)

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2007年7月14日 (土)

香西秀信『議論術速成法—新しいトピカ』

 議論で相手をやりこめる方法と実例が惜しまず開陳されているという、実戦向けレトリックの本です。レトリックでは議論が成立する場所をトポスと読んで、これを精密に体系化しようとしてきたようですが、面白いのは、そうやって体系化し、カタログのようにしてしまうと、実戦には使えないものとなってしまうというところです。著者はそこで、あまり面白くもなく体系化もされていないアリストテレスのトポスが、実は意外に役立つということを発見していて、「アリストテレスが意図的にあのようなトポスを揃えたと『誤解』して論をすすめるだけの話である」(78−79頁)と言っています。したがって、トポスを体系化し、整理して見せたキケロなどより、雑然と並べただけに見えるアリストテレスの方が「使える」ということになるというのはなかなか面白い事実です。
 こうして、著者は、有効なトポスの具体例をともかく集めて見せてくれるのですが、その実例とそれを並べて見せる手際は実に鮮やかで、随所に差し挟まれている批判的なコメントも決まっています。そして、その結果として、本書は副題にあるように、新しいトピカ(トポス学)としても成立しています。というわけで、本書の構成自体がそもそも論争的な発想に支えられているようです。
 ただし、確かに議論に役立つ本ですが、使い方を間違うと、ただ性格が悪い人というレッテルを貼られるだけになるかもしれませんので、ご使用の際にはくれぐれも注意が必要です。

(ちくま新書2000年680円+税)

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2007年7月13日 (金)

鈴木俊幸『江戸の読書熱 自学する読者と書籍流通』

 江戸時代の庶民の究極の道楽が学問だったという話は聞いたことがありますが、それを裏書きするような本です。『経典余師』という漢籍の自学自習本がベストセラーだったというのは、それだけ学問に対する憧憬があり、需要があったということで、本当に驚くべきことです。今日のほとんど勉強しない生徒、学生たちのありようというのも、また、驚くべきことで、はなはだしきは「親に頼まれたから来てやってんだ」なんてほざくのもいるくらいです。まったく、同じ日本人とは思えません。
 本書は、この『経典余師』を中心に、当時の書籍の流通と受容を実証的に調べ上げ、見事な社会学的考察を披露しています。本書所収の図版も見応えがあります。それにしても、江戸時代は面白いですね。

(平凡社2007年2600円税別)

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2007年7月12日 (木)

香西秀信『論より詭弁 反論理的思考のすすめ』

「そんなのは詭弁だ!」と怒ってみても、そのときは実際、論争に負けているのです。本書は詭弁も有効な論理として認めていこうじゃないかという、ある意味では常識的で現実的な立場から書かれています。「どの面提げてそんなこと言えるんだ」というのは、論理学の世界では詭弁になるそうで、確かに論理を狭くとらえると、そういうことにもなるのでしょうが、やはり常識にはかなっていません。
 「『米兵の死体映像を流したのはけしからん』という意見に対し『アメリカだって同じことをしたではないか』と応酬するのが詭弁になるのは、ただ論理学の教科書の中だけでのことにすぎない。」(137頁)
 論理学を学ぶと議論に負けるようになるというのでは、学んだ甲斐がありません。また、非論理的な言いぐさの非論理性を見抜いた上で、非論理的な応酬も選択肢の一つとして採用することができるというのが、おそらく議論の必勝法ということになるのでしょう。著者の本はあと何冊か読んでみるつもりです。
 ところで、本書で初めて知ったのですが、言語学者で、反戦運動でも著名なアメリカのチョムスキーが。かつて「ポル・ポトの大虐殺を否定し続け、進退窮まるとその責任はアメリカにあると強弁した」(99頁)というのは「へぇー」って感じです。でも、わかる気がします。平和主義者でも、平和を信仰の対象にすると、こんなことになりかねませんから。

(光文社新書2007年700円+税)

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2007年7月10日 (火)

日下公人監修『知られざる日本の優秀起業2008年版』

 題名通りの本です。読むと元気になります。わが国の将来は明るいという気になります。知る人ぞ知る優秀企業なのでしょうが、これらの会社に共通しているのが、社員を大事にして、育てようとする姿勢です。社内教育の充実ぶりは見事です。逆に、ダメ企業に欠けている姿勢が、まさしくこれです。社内で人材が育っているのが目に見えなければ、士気が上がるはずがありません。ただただ年功序列で押し上げられて、威張っているだけの幹部がのさばっていると、若い人は会社に将来性を感じることができないでしょう。
 ついでに言うと、無能な連中が幹部のお気に入りだというだけの理由で取り立てられて、バカが勢力を伸ばして行きます。タチの悪いガン細胞のように自己増殖していきます。お客さんはいい迷惑ですね。そして、これが大学だったら、当然学生が迷惑することになるわけです。え、あんなのが先生!?って感じです。愚者の楽園とはまさしくこのことですが、最近は天下り先として元役人たちの生態も観察できるので、大学はもはや珍獣を集めた動物園さながらです。
 ところで、本書は就職活動を始める学生に是非読んでもらいたいと思います。また、留学生たちにも日本の企業の良質の部分を知ってもらうために、一読を勧めるつもりです。

(現代書林2007年1,300円+税)

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2007年7月 9日 (月)

斎藤兆史『英語達人塾―極めるための独習法指南』

 英語の達人になるための具体的な独習指南書です。本国人が舌を巻くほどの英語の使い手だった先達、斎藤秀三郎、西脇順三郎、新渡戸稲造、南方熊楠といった人々の独習法を参考に、名人の域への到達を目指すための本です。目指すレベルは、当然、怪しげな英語ペラペラ族のそれなんかではありません(その種の英語バカの生態も随所に活写されています)。英語で十分仕事ができるレベルが設定されています。その道を極めるということで、著者は甘いことは一切言っていません。その姿勢には清々しさを感じるほどです。
 本書は、個人的には英語以外の言語のレベルアップの参考になればとも思って読んでみたのですが、その期待も裏切られませんでした。当然ながら外国語学習という点では共通していて、参考になりました。
 本書の中の自分に合うレベルの課題として、一年以内に2000ページ以上の英語の原書を読むというのがあるので、さしあたって、これにチャレンジしてみようと思います。一年たって英語力が伸びているかどうかはわかりませんが、読まなきゃいけない英語の本もあるので、それを含めて10冊ほど机の上に積み上げてみました。思えばそれぞれ読んでおきたいと思って買った本でありながら、積ん読状態になっていました。この機会にチャレンジです。要するに武術の修行のような感じでやればいいので、ナンバ走りをマスターするのと同じようにやってみるつもりです。自分が変わることが実感できるようになると、きっと楽しくなると思います。

(中公新書2003年700円+税)

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2007年7月 8日 (日)

ベルクソン『創造的進化』

  ベルグソンは日々変化する現実世界の姿をとらえる名人です。現実を固定したものとして、同様に確立し固定した科学に当てはめるのなら莫迦でもできることで、世間で優秀とされる知性はしばしばこの楽な途を選んでしまいます。知性というものが、そもそも固定したものしかとらえられないからなのですが、そうすると、考えることが仕事のはずの人間の知性は、考えないことを目指していることになり、気がついてみたら生命も人格も凝り固まったヘンな生き物をつくってしまいます。
 ベルグソンは科学を決して固定したものと考えてはいないので、本能や共感、霊魂や身体といった問題に取り組む際の柔軟な姿勢が見られます。その点では複雑系やカオスのような今日的な問題にも通用する思想だと思います。326頁以降の「無」についての考察も印象的でした。無について語ることが、かえってプラスαになっているというのは面白い着想です。このあたりはオーソドックスな哲学的技量も示しています。『時間と自由』もそうでしたが、全体に考えるヒントはちりばめられているものの、つかみ所のない感じのエッセーで、しかしながら、一冊に一カ所くらい、こういう記述もあります。同業者向けの記述かもしれませんが、読者としても多少議論の行方の見当がついて、ほっとさせられます。

(真方敬道訳岩波文庫1979年550円)

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2007年7月 1日 (日)

薬師院仁志『英語を学べばバカになる グローバル思考という妄想』

 アメリカで英語を学んだだけのバカは大学なんかにもうじゃうじゃいて、珍しくありませんが、結局彼ら彼女らは、偏った知識しかなく、つまらないインテリというレベルですらない単なるアメリカかぶれにすぎません。インテリならまだ多少はものを知っています。もっとも、大学というところには、ほかにも多種多様なバカがたくさんいるため、英語バカはさほど目立たなくてすんでいるだけです。
 しかし、この種のバカは大学の外にもたくさんいて、マスコミもまた「グローバリズム=英語(それもアメリカの英語)」という強迫観念に駆られて大騒ぎしているところです。そして、英語バカたちは、わが国の語学コンプレックスにつけ込みながら、いよいよ勢いを増しているように感じられます。NOVAが業界1位になっていたなんて、その証拠でしょう。
 この種の英語バカたちは、アメリカ文化を世界標準だと信じて辺りを睥睨しているということも、本書ではしっかり指摘されていますが、深刻なのはそんな強迫観念に汚染されている今日のわが国の教育界で、小学校教育に英語を導入するというのも、やめときゃいいのにって感じです。
 結局のところ、こうした試みは、成功してもアメリカかぶれの英語バカを拡大再生産するだけのことで、実際には英語は日本人にとって必ずしも易しい言葉ではないので、英語コンプレックスと英語嫌いを大量に生み出すことになるでしょう。本書では、そもそも英語は日本にいる限り必要ないということと、ひとたび必要になれば英語に限らず外国語は誰でも習得できるものだ、という重要な指摘がなされています。
 本書の著者はフランスからの視点があって、新鮮な情報をもたらしてくれます。わが国にはヨーロッパからの正確な情報が伝えられることも多くないので、アメリカ=世界標準という通念はなかなか揺らぎませんが、本書はその点でも実に有益です。日本社会がいかにアメリカの影響を受けているかということも見えるようになります。

(光文社新書2005年720円+税)

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