内田樹『態度が悪くてすみません―内なる「他者」との出会い』
フランス現代思想の論理と語り口は、難解だったりあいまいだったりする上に、その難解さやあいまいさ自体に、これまた意味があることとされているのですが、思想家のポーズを取り去って冷静に見てみると、その態度自体は無様で情けない振る舞いなのかもしれません。というのも、もともと大思想の体系や明快なイデオロギーで割り切るわけには行かないことにことさらに注目するこの手の思想は、いたって歯切れの悪い語り口にならざるをえないからです。
したがって、無理に格好をつけなければ、構造主義やポストモダンの思想家たちが綴る世界は葛西善三や嘉村礒多の私小説のような、実は人間のあいまいで情けない状況そのままだったりするのではないかと思います。実際、あのしみじみとした情けなさは、それなりに居心地がいいのも事実です。
著者もまたそうした感性を共有している人だと思われますが、それだけにとどまらず、なんともユニークなことに、フランス現代思想の論理を武術的身体論と結びつけることで、新たな世界を開いて見せてくれました。著者のように身体というものの割り切れなさとあいまいさを肯定的にとらえると、実際、そこにはさまざまな可能性が開けてくるように思います。
たとえば、能の謡独特の響きのある声を、倍音を含む和音ととらえ、そこに複数の「私」を感知したり、長島と車寅次郎を、その全身が発するメッセージを丸ごととらえて天皇制と芸能者の問題として論じてみたりと、著者の議論は自在に展開します。フランス現代思想の理屈がこんな風に使えるとは、本家の思想家たちもびっくりではないでしょうか。
ほかにも、橋本治の文章を読むべき速度や、小田嶋隆の「脱力」モードへの着目は、大変説得力があります。アメリカン・ポップスに対する造詣の深さにも感心させられました。キャロル・キングは重要な存在だったのですね。幸い、CDは持っているので、もう一度じっくり聴いてみようと思います。
(角川書店2006年724円税別)

