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2008年2月28日 (木)

奥田英朗『町長選挙』

 このシリーズは、いよいよ絶好調という感じです。4つの短編のうち最初の3つはそれぞれナベツネ(ナベマン)、ライブドアの元社長(アンポンマン)、女優の黒木瞳(白木カオル)が、いかにもという感じで出てきます。なんだかえらくリアリティーがあります。本当によく観察していますね。オチのところでほっとしたりじーんとさせられたりするところがあって、単なるパロディではありません。読後感はさわやかです。
 最後の短編「町長選挙」は表題作だけあって、ちょっとこれまでとは違う世界につれていてくれます。日本人の選挙人類学とでも言ったらいいでしょうか。結末も意外ですが説得力のある展開になります。
 この短編、三谷幸喜あたりが脚本・監督で映画にでもしてくれたら観てみたいものです。トリックスター伊良部医師には伊集院光あたりではどうでしょう。露出癖のある無愛想な看護婦のマユミには誰が良いかさっぱり見当がつきませんが、本作ではパンクロックのバンドでギターを弾いていることがわかったりするので、その存在は余計謎めいてきました。情けない医師を金だらいでどついたり、対立陣営同士の乱闘の巻き添えで鰤の頭を投げつけられては「おりゃー」とドロップキックをかましたりと、結構いい役回りです。『空中ブランコ』の最後の短編あたりからちょっと変わってきました。作中で成長してきたのかも。
 それにしても、こんな小説を書けるなんて、すごいですね。作者としても楽しいんじゃないでしょうか。

(文藝春秋2006年1238円+税)

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2008年2月27日 (水)

奥田英朗『イン・ザ・プール』

 『空中ブランコ』が滅法面白かったので、同じ人物設定の前作にあたる本書を読んでみました。子どものように無邪気でヘンテコな精神科医というのはここから始まっています。もっとも、いつも語り手は患者なのですが、患者の病気が治っていく過程が物語になっていて、面白い設定だと思います。患者のこれまた変な病気に多少なりとも自己観入できるところがあり、笑ってばかりではなく、しんみりさせられるときもあります。
 これをこうして書いていながら、すでに著者の最新作『町長選挙』の最初の短編を読み終えたところです。登場人物がこの物語の設定の中で、ますます自由に動き出してきている感じがあります。この感想はまたいずれ。

(文春文庫2006年476円+税)

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S・ベラー著『世紀末ウィーンのユダヤ人 1867-1938』

 ユダヤ人問題を論じる際の困難さは、ユダヤ人が民族的概念ではないというところにあります。内田樹『私家版ユダヤ文化論』ではこのことがしっかりと述べられていて感服しましたが、本書はそうした理屈の点では弱点の多い本です。第1部の実証的分析では結構安易に誰それはユダヤ人とかユダヤ系といった表現が多用されていて、訳者解説によると、原書刊行後に寄せられた批判もそのあたりに触れたものがあったようです。
 しかし、経験的事実に即した第2部以降は面白いところが少なからずありました。特にシュニッツラーやヴァイニンガーの著作の内容に立ち入って論じられたところはいろいろと興味をひかれました。ウィーンのユダヤ人が「倫理的個人主義」追求したという議論が成立するかどうかはともかく、個々の作品に立ち入った分析は面白く読ませてくれました。専門家からすると毀誉褒貶相半ばするところでしょうが、刺激的な本であることは間違いないでしょう。
 ただ、次のような結論部での文章を読むと、やっぱり興醒めします。
 「このように私の研究は、新しいウィーン文化をつくり出すうえでユダヤ人が果たした決定的な役割と、この文化のユダヤ的性格を適切に把握するための、概念的な枠組みを提供することに成功した」(279頁)
 うーん、臆面もなくこんなことが・・・と思うのは日本人的発想かもしれませんが、いくら自己顕示欲の強い人に寛容な欧米人でも、毀誉褒貶の毀と貶のほうにポイントがたまりそうな気がします。
 本書ではショースキーの『ウィーン精神』が仮想敵なのでしょう。しばしば批判されていて、その言い分にはもっともと思われるところもあります。もう一度ショースキーの本も読んでみるつもりです。いずれにしても、トゥールミンとジャニクの『ウィトゲンシュタインのウィーン』などとあわせて、この時代のウィーン精神史についての必読文献となることでしょう、っていうか、もうなっているんでしょうね。
 決して訳者を個人的に知っているからほめるというわけではありませんが、訳文が実に読みやすく見事な日本語になっています。丁寧なお仕事をされたのは確かでしょうが、何より文章のセンスが良いのだと思います。解説も行き届いています。訳者が将来、たとえばハンガリーのユダヤ文化問題についての研究書など書かれた暁には、ぜひとも読ませてもらうつもりです。

(桑名映子訳刀水書房2007年4,700円+税)

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2008年2月24日 (日)

内田樹『ひとりでは生きられないのも芸のうち』

 日垣隆のメルマガで「2008年『最高の収穫』であり、50年後にも『この本が日本語で書かれていて良かった』と思える1冊です」とあったので、早速読んでみました。2008年はまだ2ヶ月しかたっていませんが、この評価には同感です。
 ブログから編集した本とのことですが、その力の抜け具合が、かえって技の精度を高めるという、切れ味抜群の本で、もはや武道の達人の域に達しています。内田先生絶好調です。
 タイトルからして秀逸です。「ひとりでは生きられない」ということは、「あなたなしでは生きていけない」という関係をできるだけ多くの人との間に取り結ぶことで、結果として住みやすい世の中になるという思想です。自己実現とか自己責任とか言いながら、自分の金のことしか考えない世の中よりも、はるかに良いでしょう?
 憲法9条についても「私はみなさんにぜえ~ったい危害を加えることはありません。うふheart」という『CanCam』的「めちゃモテ」戦略なのだという解釈には虚を突かれました。「日本人は『ラブリー』であることによってリスクをヘッジしている」(36頁)というのは、確かに「周囲のみんなからちょっとずつ愛される」(31頁)無意識の国際戦略なのかもしれません。
 随所に炯眼が光っていて、本書には付箋を貼ったところが多かったのですが、そのアイデアの源泉は構造主義~ポストモダンの思想家たちのそれです。このように徹底的に読み込んで思考すると大人の思想になるんですね。かつての浅田彰の印象のためでしょうか、どことなくコドモの思想のような気がしていましたが、誤解だったようです。
 本書の「まえがき」にあるように、現代社会の危機に対する処方は「常識ある大人」の頭数をもう少し上積みすること(18頁)で、「五人に一人くらいがまっとうな大人になってくれるとうれしいです」(同頁)とあります。
 そうなんですよね。大学もこれくらいの人間が真剣に学生や経営のことを考えてくれるといいのですが。

(理想社2008年1400円+税)

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2008年2月23日 (土)

上山安敏『フロイトとユング-精神分析運動とヨーロッパ知識社会』

 フロイトとユングのそれぞれの背景にこんなにたくさんの文化的思想的潮流を見いだすことができるとは、あらためて驚かされました。19世紀末ウィーンのユダヤ人社会の状況もよくわかります。同化ユダヤ人社会と東方からのユダヤ人たちの間にあって無神論的で科学的なフロイトの立場もまた、相当の緊張と軋轢の中で生み出されたことが様々な角度から活写されています。
 また、ユングはユングでアメリカ文化に深い関心を寄せていたことを教えられました。ユング独特のスピリチュアリスティックなアメリカ観には興味を覚えました。フロイトの『トーテムとタブー』はユングの影響もあって書かれた本だったのですね。
 本書は19世紀末から20世紀にかけての科学者たちの様子もわかって、同時代のブダペストの知識人問題を考えるときの参考にもなります。オストヴァルトやアヴェナリウス、ヘッケルといった、名前だけは幾度も目にしたことのある思想家たちのイメージもかなり具体的になりました。この綿密な調査と資料の読み込み方は尋常ではありません。思想史家の鏡です。世界的レベルの名著です。

(岩波モダンクラシックス2007年4400円+税)

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2008年2月19日 (火)

池田清彦『構造主義科学論の冒険』

 1990年の本ですが、一般書としては著者の処女作にあたるようです。さすがに著者のオリジナルな思考がぎっしりと詰まった本で、読み応えがありました。著者の言う「構造主義」というのがどういうものかが本書ではっきりわかりました。外部世界の実在性を排除しても成り立つのが、事実とその認識をつなぐ言葉ですが、これを著者は構造と呼んでいます。この構造を現象に適用し、規則化することが科学ということになります。
 この構造主義科学論が、少なくとも西洋人にとって過激なのは(団塊世代の日本人には普通の考えかもしれませんが)、真実やその背後にある神様を前提にしなくてすむところにあります。著者は、カントからフッサールそしてウィトゲンシュタインを読み込みながらこの思想を固めた様子もわかりますが、ある意味で徹底的に日本的な発想でもあると思います。江戸時代の山片坂等蟠桃がこの立場に近いような気もします。
 この思想から、多元主義社会の構想が出てくるのは自然なことだと感じました。
 ここまで来たら著者のオリジナルな理論である「安定化中枢説」が展開されている専門的な著作もいずれ読んでみたいと思います。

(毎日新聞社1990年1300円)

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2008年2月14日 (木)

池田清彦『科学とオカルト』

 科学が客観性を信仰しつつ限りなく自己増殖するなら、オカルトと変わるところはないという議論は確かにその通りで、いわゆる科学主義というのは信仰の一種ですもんね。オカルトにのめり込むのは「かけがえのない私」を実現するためであるという主張(149頁)も納得のいくものでした。
 かつてオウム真理教の幹部の姿をテレビで見ていて、なんと自分可愛さばかりの人たちなんだと思ったことがありましたが、著者はその辺の事情を実にうまく描き出してくれています。そういえば「自分探し」なんてのもイラクで人質事件があって以来、あまり表立って叫ばれることはなくなりましたが、サッカーの中田君は今でも旅に出たままなのでしょうか。
 著者は、科学がオカルトと見分けがつき難かった時代にまでさかのぼり、科学史的に論点をうまく整理してくれています。ちょいと長いけれど引用してみます。
 「宗教は集団による信憑という形でしか公共性を担保できない。文化や伝統は習慣という形でしか公共性を担保できない。政治は権力による信任という形でしか公共性を担保できない。ひとり科学だけが、人間の想念や願望や恐れや思い込みから自由な、客観という基準により公共性を担保した」(52頁)というのです。
 それで、そこから「客観的理論」に対する信仰が生まれ、「キリスト教にあっては、神=真理だったものが、科学においては、客観=真理になった」(59頁)という流れは、科学者にはウケがよくない話かもしれませんが、門外漢にとっては実にすっきりした記述です。
 力がある人でなければこんな風に書けないところです。

(講談社学術文庫2007年760円税別)

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2008年2月13日 (水)

池田清彦『正しく生きるとはどういうことか』

 笠井潔の『国家民営化論』に腑に落ちないところがあったので、自分で書いたということですが、確かに、より納得できる本に仕上がっています。リバタリアニズムの法哲学者の本よりもよくできていると思います。法哲学会で発表してもらいたいくらいです。
 著者の立場は、とにかく国家がお節介を焼いたり個人の思想に干渉してくることを徹底的に排除し、民営化できるところはどんどん民営化しようというものですが、最終的に国家自体の必要性は認めています。この辺の現実感覚はなかなかのものです。
 印象に残った箇所を以下に挙げておきます。
 学者が市場価値のない論文を書いて金をもらおうというのは、著者のたとえでは、売れない小説を書いて金を横瀬というのと変わらなくなります。「たとえば、国家が、小説家を公務員として雇ったとする。小説は小説学会のレフェリー付きの学会誌に載ったものしか評価されず、その本数によって小説家の給料が上がる」(188頁)といった馬鹿げたものだといいます。
 また、著者は臓器移植には反対の立場ですが、その中で、「将来、形態形成のメカニズムが解明され、自分の細胞から臓器が作れるようになれば、昔はなんてバカなことをしていたんだろう、となるに違いない」(233頁)と述べています。この文章自体は10年前に書かれたものですが、炯眼というべきか、瓢箪から駒というべきか、今や現実が追いつこうとしています。

(新潮文庫2007年438円税別)

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2008年2月11日 (月)

池田清彦『他人と深く関わらずに生きるには』

 他人と深く関わらないということは、半分世捨て人となることで、世の中のしがらみに引きずられずに、発想を転換させていけば、確かに人はかなり自由に生きることができそうです。東京生まれのストイックな個人主義者らしい生き方です。
 このしがらみの捨て方に著者一流のアイデアがちりばめられていて、いろいろと参考になります。著者の言い方はソフトではありませんが、よく考え抜かれた税制改革論などは傾聴に値します。構造改革の欺瞞を本書の単行本が書かれた当時の2002年に喝破しているのはさすがです。しかし、本当の意味で著者は改革論者なのです。それもかなり過激なタイプの自由主義者です。でも、著者は自身を少数派だとわかっているので、その主張は押しつけがましくありません。上品で好感が持てます。

(新潮文庫平成十八年362円税別)

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2008年2月 9日 (土)

三浦しをん『仏果を得ず』

 綿密に取材された青春群像劇です。登場人物のキャラクターが際立っていていて、欧米のドラマのようなスマートな作りですが、題材はわが国の文楽です。主人公である若手太夫の経験や成長と文楽の作品とがうまく絡んでいて、じっくり練り上げられ、作り込まれた小説です。お話を動かしていく女性の登場人物たちも、強くしたたかで魅力的です。うまいなあ。
 お話は、芸の鬼たちの生態が生き生きと描かれていて、へぇー、こんな世界なんだと感心させられます。相方の三味線弾きが主人公の健(たける)太夫に人生の残りの時間について「たった六十年だ。それだけの時間で、義太夫の神髄にたどりつく自信があるのか」と苦言を呈するシーンがありましたが、ちょこっと勉強したくらいで大口を叩く学者先生なんてえのは、思い上がった時点でたちまち進歩が止まってしまっているんでしょうね。
 いつもながら読後感が爽やかで、元気の出る小説でした。長生きしてがんばろっと。

(双葉社2007年1,500円+税)


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2008年2月 7日 (木)

奥田英朗『空中ブランコ』

 購読している日垣隆のメルマガで絶賛されていたので早速読んでみました。さすが稀代の読書家です。彼がほめている本で「外れ」は今まで一冊もなかったのですが、これは大当たりです。読んでいてこんなに楽しい小説はなかなかありません。読むこと自体が楽しいって感じです。
 体重100キロ超の肥満体で、子どものように無邪気な中年精神科医が登場しては、患者の事件に関わり、結果的に治療してしまうパターンの短編集です。空中ブランコ乗りやヤクザやプロ野球選手、女流作家などがそれぞれ心の悩みを抱えて登場します。それぞれの悩みにはリアリティーがありながら、物語は意外でスリリングな展開をします。気の利いた表現もちりばめられていて、ギャグ満載かと思えば、泣かせるところもあり、実にサービス精神豊かな作家です。こんな小説が書けるなんて、本当にすごいと思います。

(文春文庫2008年476円+税)

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内田樹『子どもは判ってくれない』

 著者の鋭さ全開の本です。おそらくフェミニストと保守派から蛇蝎のように嫌われるに違いない論理が「幻想と真実は交換できない」と「『目には目を、歯には歯を』の矛盾」の章で展開されています。これだけでも一読に値します。特に後者は面白い着眼を含んでいます。専門家でも1928年の不戦条約に触れる人は稀なので、こういう形の護憲論はユニークだと思います。
 ところで、これとは別に、わが国は憲法に限らず、ありがたく押し戴いた基本法は、なかなか自分の手では変えられないのではないかと思います。大宝律令だってはっきりと廃止されたわけではなく、明治維新まで持ち越したわけですから。
 今日の憲法9条なんかほとんど御神体のように扱われてていて、下手に触れるとバチがあたります。存在しないように扱うことはできても、あえて改正するなんて畏れ多きことは心理的抵抗が大きすぎて、普通の人にはできるはずがありません。くわばらくわばら。
 でも、こうした国際常識的にはたぶん「ぬるい」かもしれないわが国の状況を現実的で肯定的にとらえると、著者のような立論は十分可能です。「なるほどこの手があったか」と妙に感心させられるところがありました。「ネオソフト・ナショナリスト」で「日本の正しいおじさん」である著者の面目躍如たるものがあります。

(文春文庫2006年629円+税)

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2008年2月 6日 (水)

内田樹『寝ながら学べる構造主義』

 この本も傑作でした。さすがに「寝ながら」というわけにはいきませんが、構造主義の入門書の中でも最も分かりやすく優れたものだと思います。内容はさっぱり忘れましたが、橋爪大三郎の構造主義の入門書より分かりやすかったような気がします。これはおそらく、著者の年齢に関係があるのでしょう。構造主義というのはフーコーを除いて、洗練された大人の論理を含んでいるので、中年以降になると理解が進むところがあるように思われます。
 中でも著者があのラカンの難解な文章の中に「大人になれよ」というメッセージを読み込んでいるのはすごいと思いました。自己実現を阻害する「父」を承認することが大人になることだとはにわかには納得できませんでしたが、精神分析家を父とみて、その父と自分についての物語を共有し、その「父」に承認してもらうことが、精神分析の治療として有効だと言われると、ちょっと分かるような気がしてきます。
 このあたりの記述には権力の発生についてのもヒントがちりばめられている気がするので、いずれラカンのエクリは読んでみようと思います。私も十分あつかましい中年になってきたせいか、多少構造主義が分かる気がしてきました。

(文春新書平成14年690円+税)

 

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2008年2月 5日 (火)

内田樹『先生はえらい』

 書名を見て、一瞬、「先生は体が疲れる」という意味かと思いましたが、それって方言でしたね。ひらがなで書いてあるとそんな感じがしないでもありません。最近疲れているかも。
 それはともかく、本書は先生というものが「偉い」ということ、つまり、師弟関係という一種独特の意志伝達関係についての考察です。
 それは、「この人が師匠だ」と思った瞬間から、誤解と想像の入り混じった幸福な学びの瞬間が訪れるということなのです。「弟子になってはじめて(場合によっては師のもとを辞去して後にはじめて)、師が『恐るべき知と技』を蔵していたことを弟子は知るのです」(169頁)とありますが、確かにそうしたことには覚えがあります。私にとってはフランス語や哲学(あるいはその両方)を教わったY先生N先生T先生がそうでした。
 それにしても、「先生を教育的に機能させるのは学ぶ側の主体性である」(169-170頁)と書かれていると、教員としては多少ほっとするところがありますが、自分がかつての師匠のようになれるかどうかはまったく自信がありません。
 この曖昧で微妙なことを浮かび上がらせる著者の手際のよさは相変わらずです。著者の語り口は、分かりにくいことを簡単にするのではなくて、分かりにくいことを何が分かりにくいのか浮かび上がらせるのが特徴といえるかもしれません。そこでは思想の核が体感して納得できるように工夫されているように感じます。少なくとも私にとってはそうです。あと何冊か著者の本を読んでみるつもりです。

(ちくまプリマー新書2005年760円+税)

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池田清彦『環境問題のウソ』

 帯に「京都議定書を守るニッポンはバカである!」とあるとおり、本書では、二酸化炭素が地球温暖化の原因だとして京都議定書を忠実に守ったとしても、100年後の気温上昇を6年ほど遅らせることができるにすぎないことが指摘されています。いったい今あんなに世の中を挙げて騒いでいるのは何なのでしょう。ましてや、二酸化炭素の排出権を買うなんてことは何重にもバカを塗り固めたことになりそうです。
 このほかダイオキシンや外来種悪玉論のおかしさが丁寧に指摘されています。環境省が利権団体とぐるになって美味しい思いをしようという目論見がある限り、すべての問題が解決不能だということが分かります。
 この種の問題についての正確な理解が広がることを期待したいのですが、いったん各国の政府までが動き出してしまった趨勢を止めるのは容易ではないと思います。

(ちくまプリマー新書2006年760円+税)

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2008年2月 2日 (土)

内田樹『私家版・ユダヤ文化論』

 ユダヤ人とユダヤ文化に関して論じられた最良の本の一つです。著者は本書の冒頭で、ユダヤ人というのは「日本語の既存の語彙には対応するものがない概念」だと述べています。人種や国民国家といった見方から外れてみないとわからないところは確かにあります。私も国籍バラバラのユダヤ人の友人知己たちを思い浮かべて納得できることが多々ありました。
 この本質的にデリケートでわかりにくい話を、サルトルのユダヤ人論のように、つじつまが合いすぎる話として片付けてしまわない著者の姿勢は今日的なものですが、現代思想嫌いの私でも共感できます。そうした曖昧さの中にあるユダヤ的知性の特徴もまた一般的には極めて「イノベーティヴ」なものに見えたりするのですが、著者は「ユダヤ人が例外的に知性的なのではなく、ユダヤにおいて標準的な思考傾向を私たちは因習的に『知性的』と呼んでいる」(182頁)と考えます。要するに、ユダヤ人は知的成熟を遂げざるを得ない苛烈な神の下にいたということです。
 また、ユダヤ人差別の根源に「愛と無意識の殺意」の問題を見ています。「反ユダヤ主義者はユダヤ人をあまりにも強く欲望していたから」(212頁)という表現は、にわかに納得できるものではないかもしれませんが、強く印象に残ります。
 最後に、神が顕れないことから「すべての責任を人間が一身に引き受けるべし」というメッセージを受け取った人々の独特の時間の観念を、著者は見事に表現しています。「私は遅れてここにやってきたので、〈この場所に受け容れられるもの〉であることをその行動を通じて証明してみせなければならない」(228-229頁)。
 この表現は私の知るユダヤ人たちにも共通して当てはまると感じました。レヴィナスの難解な思想はこのように読み解くことができるのですね。思想の力を感じる本です。

(文春新書2006年750円+税)

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池田清彦『科学はどこまでいくのか』

 近代科学が自己増殖・肥大化していくシステムで、人間の手に余るものになっていることが丁寧に論じられている本です。ギリシャの自然観から始まり、今日に至るまでの科学思想史がコンパクトにまとめられていて、勉強になりました。途中で仏教の自然観なども西洋思想と比較しながら触れられています。ポイントが実に要領よく整理されているのに感心させられます。
 著者は規制の教科書的知識を羅列するのではなく、基本的なところからしっかりとものごとを考えて書くことができるという、わが国の知識人には希有なタイプの人です。何が勉強になると言って、この考える姿勢ほど勉強になるものはありません。
 本書を読んで、かつてP・K・ファイアアーベントが自己肥大する科学に対して民主的統制を呼びかけていたことを思い出しました。ストレートにものを言うスタンスは似ているかもしれません。最後の「文庫版のためのやや長いあとがき」も面白かったです。

(ちくま文庫2006年640円+税)


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