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2008年9月24日 (水)

内田樹『街場のアメリカ論』

 久々の更新です。自分が20年前に書いたハンガリー語の論文の翻訳がようやく終わったので、これからまたぼちぼち更新します。自分の論文の感想もそのうちアップします。一応ハンガリーでは著書扱いで大学図書館に入っていますので。
 さて、本書ですが、著者の本の中でもベスト5に入ると思います。アメリカ論としても実に新鮮でした。ハリウッド映画やアメリカンコミックの精神分析は相変わらず見事です。確かにアメリカの大衆の欲望が読み取れるようですね。それにしても、映画は特によくフォローされていて感心させられます。
 また、本書は精神分析的ですので、アメリカという鏡に映った日本の姿も浮き立つ仕組みになっています。それと、さまざまなエピソードが印象的で、フランスのヴィシー政権がインドシナ支配に関する情報を隠匿していたことや、イタリアのピエモンテ発のスローフード運動とファシズムの相似性、あるいは『創世記』にアブラハムが一人息子のイサクを生け贄にする際に「悩んだ形跡がないこと」などの指摘には教えられるところが多かったです。

(NTT出版2005年1600円+税)

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2008年9月10日 (水)

笹山尚人『人が壊れてゆく職場―自分を守るために何が必要か』

 労働事件専門の弁護士さんの本です。非正規労働者の悲惨な状況と法的解決の方法が事例に則してわかりやすく述べられています。裁判だけでなく労働審判などを通じた紛争処理の概要もわかります。その点では労働法の格好の入門書にもなっています。

 それにしても、世の中には酷い企業が多いですね。本書に出てくるのは会社ぐるみで派遣労働者やアルバイトを人と思わずに切って捨てるというやり口ですから、かなりえげつない部類に属します。

 それはそうと、著者が労働組合を高く評価してくれているのには、少なからず関わりのある私にとっても勇気づけられるところがあります。以下長いですが引用します。


 ロウドウクミアイってなんだろう。なんか、ダークなイメージがあるんだけどな―。

労働組合についての多くの人のイメージはそんなものではないだろうか。

しかし、労働法について学び、現実の労働事件で多くの労働者が、使用者の勝手で違法な行為に苦しめられているところを毎日見ている私の立場からすると、「まともな労働組合」というのは切望する存在である。また、そういう労働組合との付き合いは実に清清しく、楽しい。そして、そういう組合は実は結構多い。しかし、それは世の中の一般的潮流とはなっておらず、多くの人が労働組合の良さを知らないことは、日本にとって大きな不幸の一つだと私は思っている。(170頁)


本書はすべてのサラリーマンや非正規労働者に読んでほしい本です。団結すればもちろん一人でも闘えるということを教えてくれます。

 

(光文社新書2008年760円+税)

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2008年9月 9日 (火)

岡本吏郎『あなたの会社にお金が残る 裏帳簿のススメ』

 簿記・会計の知識がほとんどない私でも、よくわかりました。脱法行為を勧める本ではなくて、ちゃんとした経営指南の本です。大学の経営学部の学生に読ませたい本です。
 本書から教わったのは、決算書は税務署のためにあるということで、決算書は経営の役に立たないという点でした。決算上では利益が出ていても破綻してしまうなんてことが起こるのも決算書が経営状況を正確に反映していないことの現れだそうです。
 そこで経営状況を正確に反映するのが著者の言う「裏帳簿」というわけです。ネーミングがちょっと偽悪的な感じですが、具体的なシミュレーションに即して経営の正攻法がわかりやすく書かれています。また、日本の税制の歪みや社会保険庁のインチキも指摘されていて、いろいろと勉強になりました。
 驚いたのは、移動年計による分析手法で、前年の移動年計と今年の移動年計の差額を見ていくと、今年の移動年計の先行指標になるというところでした。一種の数値的感性が存在するということです。最後はこういった感性がわからないといけないのが経営の世界なのだそうです(236頁)。著者はなぜ働いているのかと言うことについて、「私は『美』のために働いているような気がする」(259頁)と書いていますが、そうなのかもしれません。
 本書は中小企業を対象に書かれた本ですが、私立大学の経営にも参考になるところが少なくないと思います。といっていろいろ比較しながら読んでいくと、今の職場がかなり危ないところにいることがわかって、ブルーな気分になってきました。
 仮に大学の経営者を公募したら、優秀な人が来てくれるでしょうかね。「もう手遅れです」なんて言われそうな気もします。

(アスコム2004年1500円+税)

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2008年9月 5日 (金)

内田樹『知に働けば蔵が建つ』

 例によって著者の鋭い観察と考察が光っています。1995年の中国の反日キャンペーンをなぜ日本ではほとんど報じなかったのかという問題は、江沢民の心理を実によく読んだ評論で、言われてみて初めて気付かされました。ないことを見るというのは、ホームズ流ですね。さすがです。
 また、パリ在住の日本人で鬱病になる人というのが毎年百人程度いて、その7割以上が女性という話は意外でした。何となく男性の方が多いような気がしていましたが、そうではなかったのですね。私がパリをぶらぶらしていた頃は、明らかにヘンな日本人留学生をときどき見かけましたが、そのとき以来おかしいのは男性が主流なんだろうと思いこんでいました。そのときのおかしい連中も帰国して大学の先生になっているかと思うと不気味ですが、女性が多いというのは最近の傾向なのでしょうか。
 いずれにしろ、これもいろいろと教えられる本でした。

(文藝春秋2005年1524円+税)

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2008年9月 3日 (水)

内田樹『他者と死者―ラカンによるレヴィナス』

 ラカンとレヴィナスの共通点なんて考えたこともありませんでしたが、その「わからなさ」が共通しているというのは、著者の卓見です。で、どちらの思想家も、第二次大戦を潜り抜けて「おめおめと生き残ってしまった」感覚を持っているという点でも共通しているようです。いろいろな死者を背負ってあの難解な文章を書いていると思うと、なるほど著者のような読解が可能になるのですね。著者の思想の核もまた本書に凝縮されています。エッセーで読んだあの話のもとはこんな形だったんだというところがたくさんあります。
 で、ラカンとレヴィナスですが、私にとってはレヴィナスの方が魅力的です。ラカンは意匠としては感心させられますが、内容はフロイトでいいんじゃないかと思ってしまいます。レヴィナスは旧約聖書の中に棲んで、その理不尽さを粘り強く思索している感じです。次のレヴィナスの引用はまさにそんな感じのところです。

 「〈善〉はそれ自体として〈善〉なのであり、〈善〉が欠如しているという欲求とのかかわりによって〈善〉なのではない。それは欲求に対する過剰なのである。まさにそれゆえに〈善〉は存在の彼方にあるのだ」(248頁)

 この「善性の過剰」というのは現代思想的である以上に聖書的だと思います。で、考えるとよくわからなくなりますが、わからないこそ魅力的なフレーズです。いったいどんな死者たちの声を聞きながらながらこんなことを考えているのでしょうね。

(海鳥社2004年2500円+税)

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2008年9月 2日 (火)

内田樹『こんな日本でよかったね―構造主義的日本論』

 新刊です。面白かったです。著者は相変わらず絶好調です。
 女子大で教えているという状況が、著者にとってはかなり重要な思考の材料を提供しているように思います。この世を生き延びるためには、危機に際して「他者からの支援」を取り付ける能力が必要で、そういう「強い個体」というのは「礼儀正しい個体」だという著者主張には全面的に同意します。それにつけても、こうした戦略を無意識のうちにとっているのはお嬢さま大学の、ラブリーな女子大生ですから。
 また、ナチスの宣伝相ゲーリンクはベルリン陥落直前に「ヒトラー自身がドイツ人を滅ぼすために送り込まれたユダヤ人の手先だった」と述べていたというのは、へぇーって感じです。これを、愛国心がグロテスクな自己破壊と背中合わせだということの例として、著者は紹介していますが、いろいろと考えさせられます。
 最後の章の「フェミニンな共産主義社会」が、今の日本社会の「ある種の楽園」かもしれないという話は、実感として確かに説得力があります。
 もうしばらく著者の本をいろいろと読んでみます。

(バジリコ出版社2008年1600円+税)

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2008年9月 1日 (月)

内田樹『死と身体』

 夏休み中は地方巡業スクーリング授業で、てんてこ舞いでした。先週ようやく1週間休みを取ることができましたが、これが新年以来初めての研修休暇でした(3月なんかゼロ日だったし)。それで、その間は論文をまとめていたので、机には向かっていたのですが、そこでわかったことは、結局、通勤時間がないと一般書が読めないということでした。
 今日から通勤なので、早速読んだのが本書です。著者の講演がもとになっていますが、講演の独特のライブ感がうまく伝わってきます。書き加えたところもあるのでしょうが、書かれた文章とは違ったリズムが感じられて、いい味わいです。また、著者が普段から相当いろんなことを考えている人だということもよくわかります。あらためて著者は思想家なのだということを確認しました。機会があったら著者の講演も聴いてみたいものです。
 本書の最後の章の死者とのコミュニケーションを論じたところは今まで他の本で読んだことがなくて、とりわけ新鮮でした。思想家たちはみんな死者たちと対話していると考えると、確かに腑に落ちるところがあります。レヴィナスやラカンやハイデッガーを読むときのコツみたいなものかもしれません。
 そういえば、先週、昔書いた論文に手を入れていたとき、戦後のハンガリーでマルクス主義法哲学の重鎮だったサボー・イムレが、「俺のことを批判しないでくれ」と言っているような気がして仕方がありませんでした。生前いろんな人をいじめては恨みを買っていた人ですが、きっと本人の予想と思想に反して、今も亡霊としてさまよっているのでしょう。何も日本にまで現れなくてもいいと思うのですが、彼の本を真剣に読んだ人はよっぽど少なかったのでしょう。
 サボー・イムレの役回りも大変だったと思います。裁判官を務めていたところ、いきなり党の命令によって業績も何もないのに法哲学者にさせられ、戦前の自由主義的法思想家たちの著作を「ブルジョア的だ」といって徹底的に罵倒し尽くすことが仕事だったのですから。
 しかし、いずれにしても、こんなのが身近にうようよいるような大思想家たちの文章が、わかりにくいものになっても仕方ないのかもしれませんね。

(医学書院2004年2000円+税)

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