鈴木大拙『無心ということ』
本書では、無心という場所で禅と真宗が出合うことが丁寧に追求されています。著者は「木や石などを木たらしめ石たらしめるところの、何か無意識的なものに突き当たるのです。そこに絶対的受動性というようなところがある。それを体得しなければならない」(20頁)と言います。
こういう言い方で分かる人はすっと分かるのでしょうが、今どきの銭ゲバの世の中ではひょっとしたら西田哲学よりも難解と受け取られるかもしれません。この点、インテリもまったくだめですし。しかし、絶対的受動性という言葉にはなるほどと思わされるところがあります。
これは「自分のはからいをもたずに神の前に自分を絶対的に没入させること」(49頁)で、このとき「心の底の心というか、あるいはその底からぬけて出た心の外の心」(153頁)を見届けることができるとあります。
こうなってくると、無分別の分別の境地であろうと、西方浄土であろうと、いわゆる禅浄一致の世界がたちまちにして今ここに出現することになるのでしょう。
平易な言葉で語られていますが、あちらの世界とこちらの世界との境にうまく言葉があてられていて、内容は極めて高度な本です。人びとの霊性的自覚を促してくれます。こうして霊性に目覚める人が増えると、少しは良い世の中になると期待されますが、最近何かにつけて阿弥陀仏のお陰様と手を合わせるような老婆の姿を見ることもなくなってきました。私の祖母なんかはそういう人でしたけどね。
残念ながら、今日もはや妙好人と呼べるような人はいなくなってしまったのかもしれません。
(角川ソフィア文庫平成19年705円税別)
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