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2008年11月25日 (火)

美輪明宏『霊ナァンテコワクナイヨー』

 美輪さんというのは霊視ができるんですね。それも、こんなにはっきりと見える人だとは知りませんでした。霊が背後に群れるようについている人というのは確かにいて、私も空気というか気配でわかることがあります。先週もそんな人を見たばかりですが、ふだんから多くの女性に好かれているだけではなく、霊にも好かれているという感じの人なので、それほど悪いものばかりがついている感じではありませんでした。いずれにしても、悪人の黒々としたオーラが立ち上っている感じではではなかったので安心したところです。
 しかし、著者のように霊がこんなにはっきり見えて、声まで聞こえる人は大変だと思います。聞こえるのだから相手に言わずにはいられないでしょうし、霊のほうから言ってくれるように頼まれもするでしょうしね。
 本書の前半は総論的な部分で、なるほどねーって感じです。後半の第二部は実際の体験がたくさん書かれていて、説得力というか何というか、リアリティーがあります。芸能人・著名人が実名で出てきたりもするので、あの人がそうだったんだ、と週刊誌的興味を満足させてくれるところもあります。
 で、結局この世で精一杯努力し、奢ることなく自身を高める生き方をすることが大切だというわけですが、ご本人がそもそも謙虚な人だということが本書からよく伝わってきます。
 昔テレビで著者が「宗教なんか自分で作っちゃえばいいのよ」と言っているのを聞いて引っかかるところがありましたが、傲慢な意味で言っていたのではないことが本書でよくわかりました。読後感のいい本でした。

(PARCO出版2004年1600円税別)

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2008年11月24日 (月)

川又一英『ビザンティン・ロシア 思索の旅』

 通信教育部の学生さんからいただいた本です。通信教育部は社会人が多く、通学部とは違ってユニークで面白くチャーミングな学生さんが多いので、スクーリング授業はいつも楽しみです。一般市民向けの講座や講演もそうですが、いろいろな経験を積まれた学生さんが来られるので、むしろこちらが教わることが多いくらいです。
 本書の著者はその学生さんのお友達だった方で、もうお亡くなりになっていますが、ああ、この学生さんのお友達ならちゃんとしているだろうと思った通り、浮ついたところのないしっかりした内容の本でした。
 まあ、私が不勉強だったのですが、著者は他にも何冊もビザンチン文化についての本を出されていました。これからおいおい読んでいこうと思います。
 今まで私自身、東方正教会については高橋保行さんの本を通じてくらいの知識しかなく、ドーソンなんかのカトリックの立場から見た正教観にいつの間にか影響を受けていたようです。
 本書を読んで、印象的だったのは、「常に原罪と裁きを想起し、神に近づこうとする西方カトリック教会の志向に対して、ひたすら祈り、憐れみを乞うことによって神の愛を得ようとする、東方正教会の姿」(44頁)です。
 こういう真摯な姿勢は妙好人のようで好きです。少し身近に感じることができました。
 本書は紀行文ですが、歴史の解説もきっちりと折り込んであり、大変勉強になります。最近仕事で関わっているロシア史についても参考になりました。どこも面白そうで行ってみたくなります。

 ところで、本書を読みながら、学生時代のフランスご購読の授業で、飯島耕一先生からリラダンの『残酷物語』の中の「ヴェラ」を教わったことを思い出しました。さすがに天才的な作家だけあって、単に異国趣味に終わるのではなく、正教の雰囲気をうまく捉えていたように思います。しかし、記憶の中で印象も変質しているかも知れません。今読み返してみるとどうでしょう。
 その飯島先生ですが、年末のコンパのとき、「ヴェラ」を読んだことを、その年一番のよい出来事と言っていいくらいだとおっしゃっていました。ほとんどご自身が一人でフランス語を訳されていたような授業でしたが、そういう感想を述べられるとはさすがに詩人だなと、当時の私はそちらのほうに感心させられていた記憶があります。もっとも、それほど魅力のある短編だったのでしょうね。

(山川出版社2002年2800円税別)

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2008年11月23日 (日)

カール・マルクス『ユダヤ人問題によせて ヘーゲル法哲学批判序説』

 出かける前に丁度読む本がなかったので、たまたま目にとまった本書を鞄に入れてしまいました。『ドイツ・イデオロギー』以来30年くらいになりますが、懐かしい語り口です。この異様なまでに自信に満ちあふれた断言の根拠は、世界の秘密を自分だけがつかんでいるという確信から来ているようです。それはたとえば次のような表現に示されています。
 「宗教は、その国家の成員たちの観念的な非現世的な意識として存続する。というのは、宗教は、その国家において実現される人間的発展段階の観念的な形態だからである」(35頁)
 現状はあくまで現在生成しつつあるもので、その生成の最終的な形を知っているのは自分だけという態度は、実は神秘主義的なそれであり、人を扇動し教祖となるたには必要不可欠のものです。1980年代に流行った「現代思想」の一連の思想家たちも、その意味ではほとんど皆マルクスの子どもたちです。
 ただ、マルクスの思想の重要な核となっているヘーゲルの論理学には、この種の神秘主義的自己陶酔の要素が感じられないのが面白いところです。ヘーゲルはもっとあっけらかんと楽天的です。恵まれた幸せな人生を送っているうえ、熱烈なクリスチャンだったこともあるのでしょう。恨み節や劣等複合意識から無縁です。マルクスからしたらさぞかしいまいましかったことでしょう。
 いずれにしてもヘーゲルの弁証法的論理は、現実を常に潜在的可能性を秘めつつ生成するものとしてとらえるため、現代思想にとっては最初の神の一撃となっています。ここには重要な真理が含まれてもいるだけに、問題は厄介なのですが、マルクスによって恨み節が加味されると独特の宗教のようになってくるのが興味深いところです。
 もっとも、マルクスはプロレタリアートは大好きでしたが、インテリは大嫌いでした。そのインテリにこそこの情念が受け継がれていったのは、何とも皮肉な話です。

(岩波文庫1974年300円)

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2008年11月19日 (水)

伊藤仁斎「童子問 巻の上」

 伊藤仁斎のものは初めて読みました。儒教をこれほど自在に解釈したのはすごいことだと思います。その端々に炯眼が光っています。日本のふつうの人の視点というのがどんなものかがわかります。たとえば、
 「おおむね言葉が素直で、その筋道がはっきりしていて、理解しやすく、記憶しやすいものは、必ず正しい心理である。言葉が難解で、筋道が迂遠で、理解しがたく、記憶しにくいものは、必ず邪説である」(452頁)
とあります。
 また、道は卑近なところにあって、遠大なところにあるのではないというくだりでも、「人に教えても、理解されにくいのは、よい教えではない。人を指導しても、従うのがむつかしいときは、よい指導とはいえない」(472頁)と言います。
 学問を通じて人間の善なる性質がはじめて社会にも行き渡り、よい世の中が実現すると考えているのですから、やはりわかりやすく受け入れられやすいものでなければいけない道理です。
 それで、仁が徳のうちで最も偉大で、最も認識しがたいと言うのですが、それは「そもそも仁は愛を基本としており、そのうえ、人を愛することより大きな徳はない」(482頁)。学問は仁から離れてしまうと実体から離れてしまうと述べています。「程子や朱熹が天道について論じたとき、ひたすら理によって説明しようとしたのは天道を殺してしまったものといえよう」(483頁)。そして、仁とは「究極のところは愛につきる。愛は、実体のある徳である。愛がなければ、仁という徳を見ることができない」(496頁)とまで言います。
 ここまで来るのには、実は朱子学に入れ込みながら、後これを否定するという曲折もあったようです。しかしその結果、かなり独特の読みに到達したのだと思います。
 先哲の学問を解釈する行為を、師匠が弟子に語るというスタイルで論じるというのは一見制約が多いようでいて、実はかなり自由な発想が可能になるようです。
 いずれにしても、まったくインテリ臭くないこの哲学はすごいものだと感じました。

(中央公論社日本の名著13)

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2008年11月17日 (月)

谷沢永一『聖徳太子はいなかった』

 専門家の間では本書の題名通りのことが以前から通説となっているようです。根拠は太子が実在した証拠がまったく揃わないことにあります。その動機は次の通りです。
「天武天皇は、第二の天武天皇出てくることをひたすらおそれた。それゆえ、皇太子を必要としたのであるさらには、そのうえもっと欲をだして、偉大なる皇太子が、歴史上の過去に出現したという、神話の設定を熱望した。かくして、聖徳神話は、天武天皇が枕を高うして熟睡できるための精神安定剤として、膝下の有能な学者たちが工夫をこらしつつ作りあげていったのである」(48頁)
 さらに藤原不比等とも思惑が一致して、この神話が作り上げられていったというわけです。
 ふーん、そうだったのか。そうかもねー。
 戦前から知る人ぞ知る話だったようですが、皇国史観の支配的な世の中では言いにくかったのでしょう。また、戦後は太子ファンが多いためこれもまた空気に支配されたのでしょう。ひっそりと専門家の間だけで常識化していたようです。
 言われてみて気づかされたのは十七条憲法の「和をもって貴しとなす」の後にある「サカフルコトナキヲムネトセヨ」(逆らうなよ)を「表面に押しだして賞揚した人を見たことも聴いたこともない」(91頁)という事実です。

 なるほど不比等なら言いそうなことです。最初の文句が印象的で見落としがちですが、これって嫌な言葉であることは確かです。十七条憲法に写本が少ないということからも、その人気のなさがうかがわれます。
 太子が理想の日本人像であることは確かですが、これを必要とした裏の事情にもまたそれなりにドラマがあったことがわかります。

(新潮新書2004年700円税別)

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2008年11月16日 (日)

斎藤美奈子『たまには時事ネタ』

 著者は相変わらず口の悪さでは天下一品、ツッコミなんてもんじゃありません。相手の心臓に釘を打ち込むようなところがあります。私もふだんかなり口の悪い方ですが、著者のこの表現力の鋭さには脱帽です。批判された人はご愁傷様です。ぐさりとやられて立ち直れないのではないかと、他人事ながら心配になるくらいです。
 政治的には正統派リベラル、ややピンクといった感じで、土井たか子なんかを高く評価していたりするところにはちょっと違和感もありますが、何せこの文章による芸の見事さに圧倒されます。
 本書は2001年から2007年までのコラムを集めたものですが、視点がぶれず立派です。その間世間は大いにぶれまくって本当に慌ただしい7年間でした。これからもこんな風に書きためていってくれれば、立派な現代史になると思います。

(中央公論社2007年1300円+税)

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2008年11月15日 (土)

秋元松代『常陸坊海尊/かさぶた式部考』

 著者の「七人みさき」の不気味な魅力が頭の中に残っていたので、本書にも引き寄せられたのでしょうか。日本文化の深いところまで降りていって、それに見事な言語的表現を与えた作品です。
 戯曲の形をとっていますが、上演していて良い芝居になるかどうかはわかりません。じっくり考え抜かれて丁寧に構成された戯曲ですが、カタルシスまで至らないような気もするからです。なにせ読みながら「こうなってほしくないなあ」と直感した方向に追い立てられていくような芝居で、日本の伝統的な美しさと隣り合わせにある「一歩間違ってしまったおどろおどろしい情念」が怪しい負のオーラを放っているのです。性の問題の描き方も不気味です。たくましいとも言えますが、この点残念ながら私の趣味ではありません。
 著者の作品は中上健次には明らかに影響を与えています。「岬」や「枯木灘」以降の作品はスタイルの違いでしかないくらい、抱えている問題が同質のものです。対談を読んだときから「あれ」とは感じていましたが、ここまで深い影響があったとは思いませんでした。中上の晩年の作品は読んでいませんが、この世界からさらに抜け出ることはできたのでしょうか。
 でも、ここからさらに抜け出るというのは、作品の中で世阿弥のように成仏させてカタルシスを得たりするしかないのかもしれません。
 いずれにしても『七人みさき』同様、しばらくは夢に出てきそうな戯曲です。演劇関係の人の感想を聞いてみたいですね。この美しい悪夢のような作品もやはり演じてみたいと思うでしょうか。

(講談社文芸文庫1996年913円)

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2008年11月14日 (金)

野口悠紀雄『金融工学、こんなに面白い』

 この分野はわが国ではどうやらかなり立ち後れているらしいですが、本書は格好の入門書です。
 まず金融工学は株価の推移を予測して金儲けをする分野ではないことが強調されています。確かにノーベル経済学賞を受賞した人が関わるヘッジファンドのLTCMが破綻したりするくらいですから、錬金術のようなものではないことがわかります。
 そのヘッジファンドは確率過程論や確率微分方程式などの高度な数学を駆使してお金儲けをしているというのも誤解だそうで、1990年代にはこの種の問題は初等数学だけで扱えるようになったとのことです。本書ではその実例が示されています。(でも、それでも数式を追うのは面倒くさくはあります。)
 では、金融工学とは何をやっているのかというと、リスクをいかに捉え、いかに対処するかというリスク管理の手法を研究しているのだそうです。リスク管理ということなら、これはもうめちゃくちゃ大事なことですが、確かにわが国ではむしろこのことに対する無理解が社会の隅々に行き渡っているように思います。
 専門的に勉強するのはなかなか骨の折れそうな分野ですが、わが国でも今後優秀な頭脳がこの分野に集まってくることを期待したいです。実際、私も多少かじってみようかという気もしているのですが、標準偏差でどうして数値を二乗するのかという点でつまずいているくらいですから、数学から勉強しなければなりません。

(文春新書平成12年690円+税)

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2008年11月13日 (木)

邱永漢『これであなたも中国通』

 久々にQさんの本です。ふだん中国の学生を相手にしているので、中国関連の本には自然に目が行きます。著者は台湾出身ということもあり、中国人の思想や生活文化からの視点が公平に書かれていて参考になりました。
 それにしても世界のお金が流れるところに目を付ける著者はさすがに「お金儲けの神様」と呼ばれるだけのことはあります。ただ、これだけ肩入れしていると、台湾独立の立場の人からは裏切り者と呼ばれるかもしれません。
 それはともかく、やはり勉強になるのは中国人のものの見方です。とりわけなるほどそういうことかと思ったのは、支那という言葉についての考え方です。
 著者はこれを「中国が帝国主義諸国の蚕食にあい、さんざ劣等感を味わわされた時代に使われた言葉なので、いまの中国人がそれをきくと差別用語にきこえてしまう。だから、学のあることを根拠にしてわざわざ中国人の嫌がる呼び方をするのは礼儀に反するから、やめるにこしたことはない」(111頁)と言います。この「学のあることを根拠にして」というのが新鮮な指摘でした。これもまたインテリの嫌な習性なのは確かですから。
 また、何清漣『中国現代化の落とし穴』を「マルクス的な杓子定規の理論」として批判しているところも、そういわれてみればそうかもしれないと思わされます。なかなかの意趣返しです。Qさん畏るべし。

(光文社2004年1,200円+税)

 

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2008年11月 8日 (土)

片倉もとこ著『イスラームの日常世界』

 以前から著者の名前は知っていましたし、新聞に掲載されたコラムなども読んでいましたが、専門が文化人類学とは知りませんでした。そして実際本書はフィールドワークをしなくては書けない貴重な情報に満ちています。
 イスラム文化はコーランだけ読んでいてもよくわからないことが多々あるのですが、こうして日常生活をスケッチしてもらうと、本当に理解の助けになります。
 それにしても、この文化は日本文化からはあまりにも遠いため、日本人の異文化理解度の試金石になるところがあります。今後、大学の講義でも折に触れて内容を紹介していきたいと思います。
 最も印象深かったのは、イスラム教徒にとって「断食月は楽しい」時期で、盆と正月が一度に来たような華やいだ期間になるということです。日中はあまり活動できなくなりますが、瞑想にはむしろ適しているという指摘にも、なるほどと思わされます。イスラム神秘主義というのもこうした瞑想から生まれてきたのでしょう。
 また、イスラム圏では一般的に女性の権利が認められず、抑圧されているという印象が強かったのですが、本書では実は女性の社会進出が早くから進んでいたことも教えてくれます。ベールで顔を覆うとむしろ男性は女性を尊重してくれて、女性の方も容姿を気にせずに実力で勝負できるとのことです。男性の視線から自由になるという利点があったのですね。
 この点で元々女性が強かった文化だから、コーランでそれを制限しているという見方もできるという指摘にも一理あると思います。本来男性よりも女性の方が強いというのは万国共通なのかもしれません。
 また、メッカ巡礼のイスラム教徒独特の平等な連帯意識についても言及されていますが、信徒の口を通して語られる言葉を読むと、なるほど身近に感じられます。やはり半端な宗教ではありませんでした。
 本書は井筒俊彦『イスラーム文化』とともにイスラム理解のための必読文献に挙げられるべき本だと思います。

(岩波新書1991年550円)

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2008年11月 3日 (月)

若林亜紀『独身手当―給与明細で分かるトンデモ「公務員」の実態』

 若林アキさんから本名の亜紀に戻しての本です。著者が特殊法人を辞めたときの退職金をめぐるトラブルは、結局本人訴訟で勝利していたことがわかりました。訴訟をためらうような記述があったので気になっていましたが、よかったですね。正しい振る舞いだと思います。
 それにしても本書は綿密に公務員の特権的身分待遇を調べています。官公労もグルになってひどいことをしていることがわかります。いずれにしても民間企業とは雲泥の差です。ま、民間にいても天下ってきた連中の働きぶりをみると、元の職場がどういうところだったかわかっちゃうものですが、これほどまでとは思いませんでした。 人間というのは愚かにも、特権を持てるようになるととたんに増長し不正を働くようになります。このこと自体官民に違いはありませんが、公務員の場合は自分で稼いだ金じゃないところが問題です。
 いくらわが国が世界第2位のGDPを誇っていても、そのうちの4割が役人に流れ、700兆円以上の財政赤字を増やし続けているという状況は、やっぱり何とかしなくてはならないでしょう。
 しかし、世界各国の状況をみてみると、逆に役人の腐敗がこの程度ですんでいるのはすごいという見方もできるかもしれません。感謝するわけではありませんが、わが国の公務員の無駄遣いの規模もまた人間のスケールにあわせて小さいのかも。

(東洋経済新報社2007年1500円+税)

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2008年11月 1日 (土)

土屋賢二『簡単に断れない。』

 古書店で100円で見つけたので、早速買ってきました。
 相変わらず好調なギャグ満載です。
 それにしても週刊誌の連載とはいえ、よくもまあこれだけ次から次にギャグを繰り出せるものです。どうでもいいような脱力系の笑いですが、そうそう考えつくものではないのも確かです。書こうと思って書けるものではないので、これは確かに才能と努力のなせる技なのでしょう。しかし、これを書くために努力している著者の姿というのも何だか可笑しくなります。
 その点で、前書きに「内容のないことを書き連ねて一冊にする苦労を評価していただければ幸いである」と書かれているのは半分本気かもしれません。
 とりわけ、妻や助手との会話が出てくると破格に面白く、その絶妙のやりとりが笑わせてくれます。論理とイメージが暴走するのにとりわけ対話形式は向いているように思います。
 ただ電車の中で読むのは吹き出すのを押さえなければならないので、なかなか大変です。使用上の注意でも付けておくといいかも。
 思うに、こういうギャグを頭に置きながら論理哲学をやるというのは、本当は大事なことなのかもしれません。著者のこのエッセーと専門はやっぱり無関係ではないと思いますので、専門の本もいずれ読んでみるつもりです。
 もっとも、本書には論理哲学のような難し話は一切出てきませんので、念のため。

(文藝春秋2004年1300円+税)

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