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2008年11月17日 (月)

谷沢永一『聖徳太子はいなかった』

 専門家の間では本書の題名通りのことが以前から通説となっているようです。根拠は太子が実在した証拠がまったく揃わないことにあります。その動機は次の通りです。
「天武天皇は、第二の天武天皇出てくることをひたすらおそれた。それゆえ、皇太子を必要としたのであるさらには、そのうえもっと欲をだして、偉大なる皇太子が、歴史上の過去に出現したという、神話の設定を熱望した。かくして、聖徳神話は、天武天皇が枕を高うして熟睡できるための精神安定剤として、膝下の有能な学者たちが工夫をこらしつつ作りあげていったのである」(48頁)
 さらに藤原不比等とも思惑が一致して、この神話が作り上げられていったというわけです。
 ふーん、そうだったのか。そうかもねー。
 戦前から知る人ぞ知る話だったようですが、皇国史観の支配的な世の中では言いにくかったのでしょう。また、戦後は太子ファンが多いためこれもまた空気に支配されたのでしょう。ひっそりと専門家の間だけで常識化していたようです。
 言われてみて気づかされたのは十七条憲法の「和をもって貴しとなす」の後にある「サカフルコトナキヲムネトセヨ」(逆らうなよ)を「表面に押しだして賞揚した人を見たことも聴いたこともない」(91頁)という事実です。

 なるほど不比等なら言いそうなことです。最初の文句が印象的で見落としがちですが、これって嫌な言葉であることは確かです。十七条憲法に写本が少ないということからも、その人気のなさがうかがわれます。
 太子が理想の日本人像であることは確かですが、これを必要とした裏の事情にもまたそれなりにドラマがあったことがわかります。

(新潮新書2004年700円税別)

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