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2008年11月23日 (日)

カール・マルクス『ユダヤ人問題によせて ヘーゲル法哲学批判序説』

 出かける前に丁度読む本がなかったので、たまたま目にとまった本書を鞄に入れてしまいました。『ドイツ・イデオロギー』以来30年くらいになりますが、懐かしい語り口です。この異様なまでに自信に満ちあふれた断言の根拠は、世界の秘密を自分だけがつかんでいるという確信から来ているようです。それはたとえば次のような表現に示されています。
 「宗教は、その国家の成員たちの観念的な非現世的な意識として存続する。というのは、宗教は、その国家において実現される人間的発展段階の観念的な形態だからである」(35頁)
 現状はあくまで現在生成しつつあるもので、その生成の最終的な形を知っているのは自分だけという態度は、実は神秘主義的なそれであり、人を扇動し教祖となるたには必要不可欠のものです。1980年代に流行った「現代思想」の一連の思想家たちも、その意味ではほとんど皆マルクスの子どもたちです。
 ただ、マルクスの思想の重要な核となっているヘーゲルの論理学には、この種の神秘主義的自己陶酔の要素が感じられないのが面白いところです。ヘーゲルはもっとあっけらかんと楽天的です。恵まれた幸せな人生を送っているうえ、熱烈なクリスチャンだったこともあるのでしょう。恨み節や劣等複合意識から無縁です。マルクスからしたらさぞかしいまいましかったことでしょう。
 いずれにしてもヘーゲルの弁証法的論理は、現実を常に潜在的可能性を秘めつつ生成するものとしてとらえるため、現代思想にとっては最初の神の一撃となっています。ここには重要な真理が含まれてもいるだけに、問題は厄介なのですが、マルクスによって恨み節が加味されると独特の宗教のようになってくるのが興味深いところです。
 もっとも、マルクスはプロレタリアートは大好きでしたが、インテリは大嫌いでした。そのインテリにこそこの情念が受け継がれていったのは、何とも皮肉な話です。

(岩波文庫1974年300円)

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