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2008年12月 9日 (火)

クルスナホルカイ・ラースロー『北は山、南は湖、西は道、東は川』

 ハンガリー人の書いた不思議な小説。著者は京都に滞在経験があり、その時よほど京都を歩き回り、伝統文化の細かいところまで勉強したようです。京都の町が主人公のような書き方ですが、時々「光源氏の孫」というのも出てきます。でも、彼(または彼女かも)をめぐって何か事件が起きるというわけでもありません。源氏の孫もまた読者とともに京都の時間と空間の中を迷子になるという具合です。
 著者の文章は一文が半ページから1ページくらいにもなる長いものが多く、独特の世界を作っているようで、訳者もその雰囲気を伝えるのに苦心されているようです。ま、長いということだけは伝わりますが、ちょっと原文もどんなものか見てみたい気がします(読む気はしませんが)。
 また、登場人物でもなければ語り手でもないような、主体がはっきりしない文章を書くというのも著者が意図していることのようです。現代的な文学としては先鋭的な手法に属するのかもしれません。
 こうしたことを著者が計算の上で小説を書いているとしたら、手法のところから腐り始めると思いますが、おそらくそれほど考えているわけではなく、半ば体質的な要請から書いているのだろうと思います。不思議な味わいの小説になっていて、わざとらしい気はしません。外国人が書いたとか考えずに読むと(実際そのように読めるのですが)、独特の文学的観光案内のようでもあります。実際、私の娘が早速読んでは、京都に行ってみたいと言っていました。
 ただ、折口信夫の『死者の書』のような畏るべき小説なんかが頭にあると、日本人作家なら怖くて書けないでしょうね。また、長い文章といえば蓮實重彦が変わった小説を書いていたと記憶していますし、人間が主体ではない丸山健二の小説なんかも、良し悪しは別にしてしっかり存在していますので、その点ではやはり外国人ならではの小説なのかもしれません。

(早稲田みか訳、松籟社2006年1800円+税)

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