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2009年1月21日 (水)

中川久定編『林達夫評論集』

 いろんな本をたくさん読んで、その中の微妙な通奏低音を聞き分けては、ユニークな解釈を打ち出すのが著者の手法で、その鮮やかな手並みはなかなか真似のできるものではありません。書物の鑑識眼が鋭く、ケネス・バークやホッケ、バフチンといった才能あふれる書き手を「知識人なら当然読みこなす本でしょ」という感じでわが国に紹介したおそらく最初の人です。一種の読書指南役として重宝された側面もあったと思います。
 著者のこの鮮やかな語り口が多くの人々を魅了したことは事実で、私の先生もその一人でしたが、実は私は肌に合いません。不肖の弟子たるゆえんです。なぜなのかといろいろと考えてみるに、著者のお勉強ぶりは見事で学ぶべきだと思うのですが、書き方にストレートさがないのが気になるのです。これはどこか本人の性格の弱さをあらわしているのではないでしょうか。西洋思想の深いところにまで降りていけないような気がします。知性の演劇的構造についてもセンスのいいことが述べられていますが、ただ、本当の舞台に足繁く通って考察したというわけではないという気がします。
 驚いたのは「規模こそ小さいけれど我々思想家もまた・・・」(174頁)という表現で、これでも本人は思想家のつもりだったんですね。優秀な文芸批評家ならともかく、思想家を自認するなら、もっと自身の文体で考えるところがないとまずいんじゃないかというのが正直な感想です。「戦略」ということにもこだわってのこの語り口でしょうが、そんなにすべてを見通せると思っているような人は、思想家ではなくて戦略家でしょう。それでいて自分の仕掛けた罠にはまっています。
 このあいだ読んだ新渡戸稲造やあるいは内村鑑三なんかは、本人としてはほとんど何の戦略も弄せずして、驚くべき思想を述べます。その語り口はこちらも身を正さなければという気になるくらいストレートです。
 林達夫が言っていることには教えられることも多く、勉強になsうりまし、今の60歳以上の知識人の多くが影響を受けたこともよくわかりますが、個人的にはこの語り口の違和感だけはいかんともしがたいものがあります。

(岩波文庫1982年570円税込)

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