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2009年2月17日 (火)

佐藤弘夫『神国日本』

 日本の宗教史を考える上での必読書です。天皇制は本来決してナショナリズム的な自民族中心イデオロギーではなかったのですが、日本人の伝統的宗教意識の中心に位置してきたのも事実です。どうやら専門家ほどこの問題に取り組むのは難しいようで、このことを安易に語ってしまうと、森元首相の「日本は神の国」発言のようなものとして物議を醸すことにもなってしまいます。
 従来の通説では鎌倉時代の元寇をきっかけとして伊勢神道などの天皇中心的支配イデオロギーが生まれてきたとされてきたようですが、著者はそれ以前の平安時代に生まれた本地垂迹説思想のもつ普遍性に光を当て、実に興味深い議論を展開しています。
 私自身は本地垂迹説というのはいかにもとってつけたような理屈なので、単なるご都合主義の一種なのかと思っていましたが、著者によれば「現実社会の背後には時代や国境を越えて共通の真理が実在するという認識」(198頁)とみることができるということで、なるほど言われてみればそうでしょうね。普遍的な真理が意識されているからこそ、その「生まれ変わり」というものも存在するわけです。
 この思想が面白いのは、それによって、日本の伝統的思想をナショナリズムの中に閉じ込めずに、開かれたものとして検討しなおすことが可能になってくるところにあります。今日の「無宗教」的なわが国の宗教意識にも新たな光が射してくるような気がします。
 というわけで、著者によれば「神国思想は、一種の選民思想でありながら一見正反対な普遍主義への指向をも内包しつつ、さまざまに形を変えながら古代から現代までの歴史を生き延びてきた、世界的にもきわめて貴重な事例である」(217頁)ということになるわけです。そして、何よりその普遍主義的なところをうまく摘出してくれたのが本書なのでした。
 本書は文章の調子がちょっと重たくて、かなり苦心して書き上げられた様子がうかがわれます。「あとがき」によれば本書の内容が論文として発表された当初はまったく黙殺されていたそうですから、やはり学会というところはきっとかなりヘビーな空気が支配的なのでしょう。しかし、時代は少しずつ動いているようです。学会の重鎮のような人たちも徐々に鬼籍に入りますしね。いずれにしても、こうした本が新書として刊行されるのは、一般読者にとってはありがたい限りです。

(ちくま新書2006年720円+税)

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