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2009年3月27日 (金)

『林達夫著作集2 精神史への探求』

 玄人好みの渋い才能が光る巻です。第1部の「ルソー」では、ルソーの理論家としての側面を鮮やかに浮かび上がらせていて驚かされました。J・デリダが『グラマトロジーについて』の中で難解な言い方で示していたことが、ここでは明快に説き起こされています。目の付け所は変わりませんが、よりルソーの作品に立ち入って精密に論じられています。これが第二次大戦中に書かれていたことを考えると、偉いものだと思わずにはいられません。
 また、デュルケーム学派に始まる宗教の民族学的研究がヨーロッパ的偏見に基づいていたことをはっきりと指摘しているところにも感心させられました。こう述べています。

「私に言わせれば、これらの発言の立場は、例外なく異教的儀礼の遺制のすべてを妖しげな呪術視し、『魔法』を不法なものとして禁止し、そして『魔法使い』を焚刑に処したところの中世から近世にかけてのキリスト教の教会政治的立場と本質的には、ほとんど変わるところがないのである。従ってそれは根本的には異教や『邪信』に敵対し自家宗教を救護するところのいわば護教論的見方であって、自由にして公正な科学的なそれでは決してないと断ぜざるを得ない」(261頁)

と、結構激しい口調ですが、こういうことをスパッと言うことのできない人種が社会学者などと呼ばれているうちは、わが国の学問は輸入業者のつくるギルドの域を出ないでしょう。学会ないしは業界の中で泳いでいると、このような疑問がそもそも浮かんでこないと思います。この点で、著者は文字通り「自由にして公正な、科学的な」見方ができた人です。
 ただ、著者のスタイルにはやはりどこか感覚的にしっくり来ないところがあるのも正直なところです。付録の「研究ノート」で林達夫の教え子である哲学者の福田定良が「私は先生にとって縁なき衆生のひとりでしかない」と書いていましたが、その感覚は私にもあります。私も著者のような「学問の人」ではないし、なりえない気がしますので(福田定良のような文章は書けるようになりたいと思いますが)。
 それにしても第1巻の付録では中村雄二郎の文章が異彩を放っていましたし、この巻の付録の福田定良のエッセーも秀逸でした。全集の月報みたいな感じですが、これも読むのもまた楽しみです。

(平凡社1971年1,000円)

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2009年3月26日 (木)

アラン『幸福論』(串田孫一・中村雄二郎訳)

 市民講座でフランス思想の読解講座を開くので、テキストにどうかと思い、30年ぶりくらいに読み返しました。やはり名著です。今年前半のテキストはこれで決まりです。後半はこれを続けるか、それともアランの教え子で今年生誕100年を迎えるシモーヌ・ヴェーユにしようか、まだ思案中です。講座がスタートして受講生の意見を聞きながら、ゆっくり考えるつもりです。
 それはともかく、アランのメッセージというのは「理性だけではらちがあかないでしょう。そのときは身体に聞きなさい」というものです。身体の発する声に耳をそばだてることの深い意味を悟っているのがアランの特長です。デカルトの情念論に学んで、このような哲学が出てくるところが何ともすごいところです。
 ちなみに、翻訳者の一人はわが師匠ですが、師匠もアラン経由でデカルトの情念論を引き合いに出していたのでしょう。本書には様々な思考の鍵が埋め込まれています。ゆっくりゆっくり何度も味わいながら読んでいきたい本です。実際、気に入ったエッセーは二度三度と読み返しつつ、その思考と文章のリズムを味わいながら読み進めるため、読むのに時間がかかるのも確かです。
 それにしても、こちらも年をとったせいか、いろいろと身につまされれてわかることがたくさん書いてあります。講座で読むエッセーを選ぼうと思って付箋を貼り始めたら、これまた繰り返して何度も読んでしまいます。付箋もあっという間に10枚を超えてしまって、これなら最初の頁から順番に読んでいく方がいいかという気になっています。
 それから、これも若い頃には感じなかったのですが、自分はどう逆立ちしてもこのようなものは書けないということが、いやになるほどはっきりとわかります。若い頃にはこれがこんなに手の届かないところにある才能だとは思いませんでした。自分でも少しばかり文章を書くようになってみると、彼我の違いはあまりにも歴然としています。何の変哲もないような文章ですが、よく見ると独特の論理とリズムでつながっています。論理が微妙に飛躍しながらもつながっているのがわかると快感です。これは真似できるようなものではありません。
 原書でもじっくり味わってみるつもりです。

(白水社2008年1300円+税)

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2009年3月25日 (水)

日下公人・高山正之『日本はどれほどいい国か 何度でも言う、「世界は腹黒い」』

 この二人の対談ですから、思った通り、お互いの主張を補強し合うような盛り上がりを見せています。この手の対談本はふつうしゃべったままではなくて、かなり後から手を入れるものですが、本書は目一杯書き込まれていて、資料としても貴重な記述が随所に見られます。
 かのアウンサン・スーチーの支持勢力が華僑とインド系、およびその原因を作った英米で、みんなミャンマーに対する既得権益を手放そうとしていないという構造は本書ではっきりわかりました。このあたりの事情は日本の新聞を読んでいる限りは絶対にわからないと思います。
 それにしても両者とも国際情勢と戦争の歴史に詳しいのに感心させられます。その情報源にも興味があります。言及されているものについては今後、できる限りフォローしてみたいと思います。翻訳のないものも結構ありそうです。
 ところで、この対談では日下公人氏がクリスチャンだったことを初めて知りました。対談ならではですね。もちろん日下氏だからこそ、若いときから西洋世界の略奪的性格を見抜いていたのでしょう。むしろ相手の懐に飛び込んで、もっと普遍的なことを考えてきたのだろうと思います。
 ほかに印象的だったのは、アメリカやオーストラリアの原住民に対する差別や虐待の歴史で、さらには現在もその酷さが継続していることがわかります。また、メキシコのメスチソの母たちは子供とは引き離されて生涯奴隷のままだったそうで、本当に文字通り人間扱いされていなかったのですね。
 世界は腹黒いというのが常識であり、それを忘れているか、見てみないふりをするのが今日のわが国民のようですが、やはり、世界が腹黒いのを承知の上で無償の善行を施して初めて世界中から畏敬の念をもって見られることになるのでしょう。今は子どもっぽい単純なお人好しですが、立派な大人になる可能性もまたあるような気がしてくる本です。
 それにつけても、この方向でわが国が成熟するための最大の障害は役人とインテリではないかと思います。役所や大学だけでなく、民間企業でもこういうタイプの人間がどんどん増えているような気がします。見分けるのは簡単で、彼らは揃いも揃って口舌の徒だという点で共通しています。そして彼らは、何はさておき自己の責任だけは決して取ろうとしません。そうだ、こいつらは腹黒いのでした。
 いずれにしても、わが国民の官僚化に歯止めをかけないと、これからますます大変なことになりそうです。

(PHP研究所2008年1,300円+税)

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2009年3月22日 (日)

前田耕作『宗祖ゾロアスター』

 ゾロアスター教が古代ギリシャ思想やユダヤ・キリスト教に与えた影響には絶大なものがあります。本書はその影響の影の部分から元の姿をとらえようとする文化史的・精神史的試みです。ヨーロッパ人はこういう物事の本質を瞬時に悟ってしまうような思想は怖くてたまらないのでしょう。それに様々な魔術的妄想が付与されてきたため、元の形はますますわからなくなり、怪しいイメージだけが先行していますが、むしろこれはヨーロッパの怪しさの投影でしょう。対抗して出てきたキリスト教文明の方がはるかに暴力的で悪魔的な力を全世界にふるってきたのですから、怖いのはそっちです。
 本書ではゾロアスター教の中心思想の構造がきっちりと分析されているわけではないので、その点についてはほかの本で補う必要がありそうですが、ゾロアスター本人の伝説とゾロアスター教を取り巻く状況はよくわかります。
 なかでもとりわけ印象的だったのは、初めて聖典とされる『ゼンド・アヴェスタ』を翻訳したフランス人アンクティル=デュペロンの情熱です。現地に長期間滞在しペルシャ語を習得しては原典かどうかを確かめつつ翻訳するという大変な仕事をした人がいたんですね。
 また、ニーチェのツァラトゥストラは言うまでもなくゾロアスターのことですが、ギリシャ思想については覚え違いや勘違いの多さで知られたニーチェらしくなく、ゾロアスターについては意外にも当時の研究を結構正確に参照していたことがわかります。
 文庫版あとがきに、ゾロアスター教がイランだけでなく、今日インドやパキスタンの一部でパールシー教という生きた宗教として生き残っていることが書かれています。著者にはそのあたりを調査した仕事もあるのでしょうか。あったら読んでみたいと思います。

(ちくま学芸文庫2003年1,000円+税)

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2009年3月20日 (金)

『林達夫著作集1 芸術へのチチェローネ』

 古本屋で著作集全六巻で2,500円だったので、つい買ってしまいました。これからぼちぼち読んでいきます。
 林達夫の文章を読んでいると、戦前の優秀なナンバースクールの学生はきっとしびれたんだろうなと想像されます。とんでもない博識ぶりが読む者を圧倒しますが、著者自身意識的に英独仏伊羅の言語をちりばめたりもして、このような語り口が格好良く見えた時代があったことがわかります。
 1970年代後半あたりまでは大学の先生は学生を知識の点で圧倒的に凌駕しているのが当然だと思われていたためか、文章も漢文表現や外来語が駆使された難解なものが少なくありませんでした。読者はこうした知識人に少しでも追いつくべく難しい表現に挑戦するのがよしとされていたところがあります。(今は中学生にもわかるような文章表現でなければ版元が本を出してくれそうにない雰囲気ですが、それは書き手にとって決して悪いことではありません。)
 このバランスが崩れたのは、1980年代に入ってますます大学生が本を読まなくなったことと、フランス現代思想の流行により、日本語的にあまりにもわからない本が出てきて、それまでの読者層が音を上げ始めたことにあったような気がしています。一方でわかりやすく思想を語る人も出てきていましたから、あえて難解な表現の奥にある(かもしれないし、ないかもしれない)深い思想に思いを寄せる必要がなくなったからかもしれません。
 それはさておき、林達夫のスタイルはかつて明らかに知識人のお手本とされていた時代があったように思います。ここで文章の中に政権政党への批判をそれとなくちりばめると、故加藤周一の文章のようにもなりそうです。ただし、著者の文章からは政治性が徹底して排除されているので、その点では隙が見られません。著者はライフスタイルとしては自然体を心がけ、書くテーマも趣味に徹しているためか、博識ではあっても衒学的ではなく、不思議と厭味な感じはしません。
 この巻で面白いと思ったのは精神史的考察の手法で、百科事典的知識を独特な視点で編集する手際が見事です。この人があの人と同時代で同じ空気を吸っていたのかとか、この時代の流れの中であの不思議な本が書かれたのか、ということが改めてわかって面白いのが精神史です。この点著者の面目躍如たるところがあります。
 たとえば、トマス・モアの『ユートピア』がベーコンの『ニュー・アトランティス』やラブレーの『テレム僧院』へ、さらにモンテーニュやコペルニクス、そしてグーテンベルクへとつながっていく切り口は見事です。「発見と発明の時代」ということで言えば、なるほどこういう見方があるのかと感心させられました。
 もっとも、著者の芸術論には独自の芸術の見方はあまり感じられませんでした。旧制一高生の時に書かれた「歌舞伎に関するある考察」は著者の早熟さを示す見事な論考ですが、演劇論としては凡庸です。著者は歌舞伎にはよく足を運んだそうですが、能にのめり込んでみたり、西洋に足を運んで各国の演劇を観て回ったりするということはその後もあまりなかったようで、演劇センスとしては疑問符が付きます。
 しかし、だからこそ林達夫からも多くを学んだ中村雄二郎や土屋恵一郎のような、本当に演劇が好きで自らも制作に関わったりしていた人たちの出番もあったわけですから、ま、いいのでしょうね。

(平凡社1971年1,000円)

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2009年3月19日 (木)

ベーコン『ノヴム・オルガヌム(新機関)』

 出勤前に読む本を選んでいて、あ、これまだ読んでなかったかもと思い、とっさに持って行ったところ、読み進めるうちに自分で線を引いた箇所が出てきました。増刷の日付を見ると2005年に購入しているので、そのときに読んでいたようです。まあ、よくこういうことはありますが、今回読み返してみて改めてベーコンが只者でないことがわかりました。
 ふつう、思想史的にはベーコンは、アリストテレスの論理学に対抗して新たな帰納法的論理学を立てようとしたとされますが、この帰納法は近代の科学万能主義的信念に基づく単純な実証ではありません。もっと科学の現場から出てくる実践的かつ深遠な思想に支えられています。それはたとえば次のような引用をみても明らかです。

「推論によって立てられた一般命題が新たな成果の発見に役立つことは決してあり得ない。なぜならば自然のもつ精細さは、推論のそれを何倍も越えるものだから。しかし個々的なものから正当に順序立てて抽出された一般命題は、逆に個々的なものを容易に指示し・提示し、したがって諸学を働きあるものにする」(77頁)

 そもそもベーコンはこの「自然のもつ精細さ」にただならぬものを感じている人で、それをどのように言っているかというと、

「触知的な物体に含まれていながら、精気の働きは人眼に触れず、人々〔の考察〕を逃れるようになる。また粗大な物体の部分における、より精細な構造転換(実際には微小なものの間の移動であるのに、人々はふつうに変化と呼ぶ)も同様にすべて表に出ない」(91頁)

というようなことで、なーんだ、気がついているじゃないのと言いたくなります。もちろんこの微妙さを感知できるというのは、ベーコンが単純な実証主義的科学主義者ではないことを物語っています。
 またそうした人だからこそ、「人間的な事がらや運命が懸けられているかの真実で実質的で生きた公理」の重要さを指摘することができるのだと感じました。この公理をベーコンは「中間的公理」と呼んでいますが、これが社会科学における実践的真理を担保する哲学になっているのは実に面白いと思います。イギリスには先人にこういう人がいるから原理主義的社会科学が流行らないのかもしれません。
 ベーコンにこういう思想があったことに今回初めて気づかされました。収穫です。現在構想中の社会学の教科書に、これは是非とも加えなければと思っています。

(桂寿一訳岩波文庫1978年660円+税)

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2009年3月18日 (水)

高山正之『日本人が勇気と自信を持つ本 朝日新聞の報道を正せば明るくなる』

 副題通りの本です。朝日は独善的なだけではなく、とりわけ歴史に関しては不勉強で捏造記事が少なくないことがよくわかります。著者は新聞記者だったにしては珍しく、並外れた勉強家である上に、情報のポイントを正確につかみだして見せてくれるところが、単純な秀才にはできないところです。
 以下、朝日新聞が伝えない事実を列挙してみます。

・2002年日韓共催ワールドカップサッカー大会において、韓国が「審判員をカネで買収したことによる意図的な誤判定」の存在をFIFAが認めたこと。
・世田谷の一家四人殺害事件において、犯人は指紋をたくさん残していったため、その他の有力な手がかりもあり韓国に捜査協力を求めたが、拒否されたこと。
・拉致被害者の有本恵子さんのご両親が、生存情報が寄せられた手紙を持って社民党の土井たか子事務所に相談したら、その2ヶ月後に金正日は拉致を認め、有本恵子さんと夫の同じく拉致被害者石岡亨さんと娘二人が石炭ガスの中毒で死んだことが知らされたこと。

 というような事実です。ただしこうしたことは産経新聞にも載っていないので、しばしば記者クラブでの談合に基づいて同じ記事が書かれていることがわかります。新聞記者も同業者共同体の中で役人化して久しいのでこんなことになるのでしょう。
 このほか驚かされた指摘は、シドニーオリンピックの開会式で踊っていた先住民アボリジニが体を黒く塗った白人で、本物のアボリジニは「私たちを滅ぼさないで」と会場の外で座り込み抗議をしていたこと、また、かつての外交官試験は情実任用がまかり通っていたことなどです。
 後者の件では、祖父以来3代続けて外交官だったペルーの元日本大使なんて人の情けなさが偲ばれますが、事実がわかると納得できる情報というのは結構あるもので、本書はほかにもそうしたポイントを押さえた指摘がたくさんあります。
 やはりジャーナリストというからにはこうでなくては。

(2007年テーミス1,000円+税)

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2009年3月16日 (月)

坂本幸男・岩本裕訳注『法華経(下)』

 この巻では釈迦入滅後の教団の様子などにも触れられていて興味を惹かれました。ただ、このお経がいかにありがたく、霊験あらたかなのかということをしきりに繰り返されても、その核心のところが書かれていないので、そう言われてもちょっと困るなあという感じになります。熱い気持ちは伝わってきますが。
 中巻には、この世の一切は空であるとはちらっと出てきましたし、仏教の教科書的な記述も少しはありましたが、下巻まで読み終えてしまうと、え、それだけ?という気にさせられます。昔読んだものの今は内容をすっかり忘れてしまったあの上巻に戻らなくてはいけないようです。かすかに残っている記憶では、やはりたとえ話に妙味があったので、そのあたりが大事なのかなという勝手な予測を立てています。
 やはり西洋哲学的な読み方をしてはいけないのでしょう。しかし、インド文化の色彩はずいぶん濃いと感じます。当たり前ですが、比較文化論的、文化人類学的にも興味深い価値観がたくさん出てきます。これをもって舶来の思想としてありがたいものだと言われれば、雰囲気としては抗いがたい時代があったことはわかります。
 それにしても、このまま唱和してもありがたいというのはお経のどのあたりになるのでしょうか。日本人にとってもそのままありがたい箇所となると、あの辺かなとか想像してみたりもしますが、南無阿弥陀仏よりもずっとわかりにくい思想だと思います。
 時間があれば上巻をもう一度読んでみます。

(岩波文庫1967年760円+税)

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2009年3月10日 (火)

坂本幸男・岩本裕訳注『法華経(中)』

 ずいぶん以前に本書の(上)を読んだので、書かれていたことの多くは忘れてしまいましたが、たとえ話の多いお経だという印象だけはありました。続きを読むとやはり同様のことを感じますが、内容を韻文の「詩頌」にして繰り返すところや、いわゆる「偈」というものに今回初めて気がつきました。法事でお経を唱えているとき、リズムが変わったり、歌になったりするのは内容としてはこんなことが書いてあるというのが面白いと思いました。
 いつも何も意味がわからないまま唱えていたわけですが、特に法華経というのはとにかくこの教典が世にもありがたいものだということが繰り返して出てくるので、それはそれでいいのかもしれません。内容は気が遠くなるような数字がたくさん出てきて、インドらしいなと思うところがありますし、女が生物的に男になってから悟りを開くというような、フェミニズムからは怒られそうな箇所もあります。
 仏教とは関係ないにしても、最近まで夫を亡くした女性を焼いてみたりしていたわけですから、あの地域の文化は結構女性差別的なのかもしれません。女性差別以前にカースト制度がありますしね。
 今度はできれば間をあけずに(下)を読むつもりです。

(岩波文庫1967年760円+税)

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2009年3月 5日 (木)

安部英樹『不良のタオ 無極山荘の仙人が教えた「老子」』

 著者は国際的な「不良」で、アラブやアメリカそして台湾と放浪しながら堅気ではない人生を送ってきた人です。台湾に居を構えるようになって知り合った道家の師のところに通うようになり、結局弟子入りすることになりました。本書はそこで得られた教訓とそれまでの半生を対比させながら、各章末に「俺の老子」という形で著者の消化した老子の教えがまとめられています。
 国際的に「道を極める」著者の生き方にはまず驚かされました。アラビア語や英語や中国語を駆使しつつ、世界の極道たちとも渡り合って生きていくのは、本人が頭脳明晰才気煥発であるだけでなく、人並み外れた努力家でなければなりません。当然、そこからくるストレスもとんでもないものでしょうから、そうやって気張って生きていくのがいつまでも持たないということも理解できます。また、そうした著者だからこそ、人生の途上で老子の思想と出会うのもまた必然だったのでしょう。
 経験に裏打ちされた著者の老子解釈には小難しいところが全くなくて、改めて教えられることも多いのですが、著者にとっては当たり前のこととして、何気なく書かれた次のような言葉にもどきりとさせられました。

 「人間は、生きていくための智慧と出来事への反省の心さえあれば幸せになれるのに、いつの世にも学問がいいことだと信じて疑わない人があまりにも多い」(73頁)

 これは学問をやると知識にとらわれ、結局は型にはまって自縄自縛になるということを戒めている箇所です。とりわけ学者はバカの代表格ですが、職場の人間模様を見ているだけでもその手の見本市みたいなものです。これは要するにバカが学者をやっているというのが実情だということでしょう。私は名ばかり大学教員で毎日事務仕事ばかりやっていますが、それでも自分を学者と規定するなら十分自戒しておかなければなりません。
 さらに言えば、人は知識によってばかりか経験によっても自縄自縛になります。それは学問に限らず反省を知らない人の常で、政治でもスポーツでも経営でもあるいは芸術でもみんな同じです。そして、バカが政治をやるとどんなことになるかは、現在身をもって国民が経験しているところです。
 この点で何よりも大事なものが「智慧と反省の心」というところがいいですね。確かにこれを失った人は思いっきり硬直しています。人によっては外見からでもわかるくらいです。
 そういえば「柔らかい心を持つことができなかったものは柔らかい脳を持つことになる」といって脳軟化症になった(と当時考えられていた)ニーチェを揶揄したのはG・K・チェスタトンでした。ニーチェはそんなに学問ばかりをした人ではなかったと思いますが、それでもチェスタトンから見ると心は硬かったのでしょう。チェスタトンの柔軟さというのは大変なもので、思えば彼もその行動様式は「不良」そのものだったかもしれません。
 本書の著者もなかなか魅力的な人です。

(講談社2008年1500円税別)

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2009年3月 3日 (火)

髙山正之『変見自在 サダム・フセインは偉かった』

 朝日を読んでいてよくわからない問題は、週刊新潮連載のこのコラムでストンと腑に落ちることが少なくありません。タイのタクシンが客家華僑だと聞けば一瞬にしてわかるようなことを隠すのは「日中友好」のためではあっても、ジャーナリストの仕事ではありません。幸い、著者には筋金入りのジャーナリスト魂がある上に、大変な勉強家です。学者が足元にも及ばない情報収集・文献処理能力がこのわかりやすいコラムに集約されています。
 ほかにも東チモール情勢やハイチの歴史的事情、アフガニスタンとパキスタンの関係などは記述としては数行ですが、見事に歴史的政治的ポイントが押さえられているので、本当に勉強になります。東チモールとポルトガルやハイチとフランスの関係については改めて教えられました。そうだったのか、なるほど。
 また、明治維新が「上からの革命」だったという説はコミンテルンの指令だったのですね。これはやっぱりという感じですが、歴史科学研究会なんかはきっと今でもこの路線をかたくなに踏襲しているのでしょう。いずれにしても、伊藤博文などの足軽出身政府が武士を馘にして日本に科挙制を導入したことがわが国に災厄をもたらした、という説明は実に説得力があります。
 明治20年に早速出された「官吏服務紀律」にはすでに「十七条にわたって官吏は物を買うな、無賃乗車をするな、威張るな、秘密を漏らすな、たかるなと、武士の時代にはなかった悪行の禁止が並ぶ。『上司も黙認すれば同罪で処断する』とあり、組織的な悪さもあったのだろう」(70頁)とあります。あいつら最初っからこんなだったわけです。今と何も変わっていません。民間の会社も大きくなると官僚化する上に「渡り」もあるので、今や日本中で同じタイプの小賢しい連中があらゆる組織の上の方で跳梁跋扈しています。
 最近はひとえにこの連載目当てにコンビニで週刊新潮を立ち読みするようにしていますが、それでも新刊が出たら買わないではいられないと思います。ほかの本もできるだけ手に入れて読んでおくつもりです。

(新潮社2007年1400円税別)

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2009年3月 2日 (月)

スディール・ヴェンカティッシュ『ヤバい社会学:一日だけのギャング・リーダー』

 アメリカのエスノメソドロジー社会学の流れは、ついにこんなに面白いノンフィクションを生み出すに至りました。映画化の話もあるそうですが、本書自体がすでに見事な構成ですから、そのままシナリオになりそうなくらいです。登場人物が実に生き生きと描かれていて、とても学者が書いたものとは思えません。
 それにしても、無法地帯のスラムにここまで入っていけたのは、ふつうの学者には無理です。著者は名前からもわかるようにインド系の移民ですからある程度入りやすかったのかもしれません。白人ならこうはいかないと思います。しかし、いずれにしても、あまり不自由のない中産階級の家庭に育った好奇心一杯の素直な性格がよかったのでしょう。これも才能でしょうね。
 この1990年代のシカゴの無法地帯では、救急車は呼んでも絶対に来ないし、警察はギャングと変わらずカツ上げにやってきたりはするため、ギャングよりも恐れられています。その中でギャングの中堅幹部や団地の自治会長が、住民の稼ぎの上前をハネながら地域一帯の安全を確保している様子は、なんだか原始社会の部族闘争のようです。
 ギャングの組織経営が大企業の経営とほとんど瓜二つの構造をしているということは、スティーヴン・レヴィットの『ヤバい経済学』にも出てきましたが、本書に出てくるギャングの縄張り争いやシマの獲得手法はアメリカの領土拡大=侵略手法とそっくりです。メキシコからテキサスやカリフォルニアを取り上げたり、ハワイを併合したのと同じことがギャングの世界でそれなりの正義感に基づいて行なわれています。やっぱアメリカですね。下々まで同じ構造をしていることは文化人類学的にも興味深いものがあります。

(東洋経済新報社2009年2200円+税)

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2009年3月 1日 (日)

高山正之『「モンスター新聞」が日本を滅ぼす』

 朝日をはじめ各紙がいかに事実をねじ曲げて報道しているかが、これでもかと証拠を示して書かれています。確かに、誰かが指摘してくれない限り、昨年のアメリカ下院議会でのマイク・ホンダ議員による慰安婦非難決議が、定足数をはるかに下回るたったの10人による「全会一致」で採択されたことなんか、ほとんどの人が知らないままで終わってしまいます。
 また、かつて三国軍事同盟を結んでいたはずのイタリアが戦後にいけしゃあしゃあと連合国の一員として日本から戦時賠償金をせしめていたというのも「へぇー」という話です。これって支払う側としては少しでも抵抗したんでしょうかね。
 また、フランクリン・ルーズベルトの露骨な人種差別的反日感情は書簡として残されてもいるわけですが、その通り政策として着実に実行されてきたことにはさらに驚かされます。
 著者はいつもながら複雑な歴史をコンパクトにまとめてわかりやすく書いてくれますので、本当に勉強になります。それにしても世界は改めて思うに悪人だらけです。その中で日本人がここまでお人好しで通ってきたのは幸運なことでもありますが、この行動パターンは急に改められるものでもないので、きっとこれからもこのまんまお人好しを続けていくことになるんでしょう。
 それでも多少は事実を抑えておく必要があるでしょうから、本書を読んだ上で、なおかつお人好しとしての覚悟を決めるのも悪くないかと思います。

(PHP研究所2008年1,200円税別)

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