安部英樹『不良のタオ 無極山荘の仙人が教えた「老子」』
著者は国際的な「不良」で、アラブやアメリカそして台湾と放浪しながら堅気ではない人生を送ってきた人です。台湾に居を構えるようになって知り合った道家の師のところに通うようになり、結局弟子入りすることになりました。本書はそこで得られた教訓とそれまでの半生を対比させながら、各章末に「俺の老子」という形で著者の消化した老子の教えがまとめられています。
国際的に「道を極める」著者の生き方にはまず驚かされました。アラビア語や英語や中国語を駆使しつつ、世界の極道たちとも渡り合って生きていくのは、本人が頭脳明晰才気煥発であるだけでなく、人並み外れた努力家でなければなりません。当然、そこからくるストレスもとんでもないものでしょうから、そうやって気張って生きていくのがいつまでも持たないということも理解できます。また、そうした著者だからこそ、人生の途上で老子の思想と出会うのもまた必然だったのでしょう。
経験に裏打ちされた著者の老子解釈には小難しいところが全くなくて、改めて教えられることも多いのですが、著者にとっては当たり前のこととして、何気なく書かれた次のような言葉にもどきりとさせられました。
「人間は、生きていくための智慧と出来事への反省の心さえあれば幸せになれるのに、いつの世にも学問がいいことだと信じて疑わない人があまりにも多い」(73頁)
これは学問をやると知識にとらわれ、結局は型にはまって自縄自縛になるということを戒めている箇所です。とりわけ学者はバカの代表格ですが、職場の人間模様を見ているだけでもその手の見本市みたいなものです。これは要するにバカが学者をやっているというのが実情だということでしょう。私は名ばかり大学教員で毎日事務仕事ばかりやっていますが、それでも自分を学者と規定するなら十分自戒しておかなければなりません。
さらに言えば、人は知識によってばかりか経験によっても自縄自縛になります。それは学問に限らず反省を知らない人の常で、政治でもスポーツでも経営でもあるいは芸術でもみんな同じです。そして、バカが政治をやるとどんなことになるかは、現在身をもって国民が経験しているところです。
この点で何よりも大事なものが「智慧と反省の心」というところがいいですね。確かにこれを失った人は思いっきり硬直しています。人によっては外見からでもわかるくらいです。
そういえば「柔らかい心を持つことができなかったものは柔らかい脳を持つことになる」といって脳軟化症になった(と当時考えられていた)ニーチェを揶揄したのはG・K・チェスタトンでした。ニーチェはそんなに学問ばかりをした人ではなかったと思いますが、それでもチェスタトンから見ると心は硬かったのでしょう。チェスタトンの柔軟さというのは大変なもので、思えば彼もその行動様式は「不良」そのものだったかもしれません。
本書の著者もなかなか魅力的な人です。
(講談社2008年1500円税別)
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