坂本幸男・岩本裕訳注『法華経(下)』
この巻では釈迦入滅後の教団の様子などにも触れられていて興味を惹かれました。ただ、このお経がいかにありがたく、霊験あらたかなのかということをしきりに繰り返されても、その核心のところが書かれていないので、そう言われてもちょっと困るなあという感じになります。熱い気持ちは伝わってきますが。
中巻には、この世の一切は空であるとはちらっと出てきましたし、仏教の教科書的な記述も少しはありましたが、下巻まで読み終えてしまうと、え、それだけ?という気にさせられます。昔読んだものの今は内容をすっかり忘れてしまったあの上巻に戻らなくてはいけないようです。かすかに残っている記憶では、やはりたとえ話に妙味があったので、そのあたりが大事なのかなという勝手な予測を立てています。
やはり西洋哲学的な読み方をしてはいけないのでしょう。しかし、インド文化の色彩はずいぶん濃いと感じます。当たり前ですが、比較文化論的、文化人類学的にも興味深い価値観がたくさん出てきます。これをもって舶来の思想としてありがたいものだと言われれば、雰囲気としては抗いがたい時代があったことはわかります。
それにしても、このまま唱和してもありがたいというのはお経のどのあたりになるのでしょうか。日本人にとってもそのままありがたい箇所となると、あの辺かなとか想像してみたりもしますが、南無阿弥陀仏よりもずっとわかりにくい思想だと思います。
時間があれば上巻をもう一度読んでみます。
(岩波文庫1967年760円+税)
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