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2009年4月27日 (月)

日下公人『2009年の日本はこうなる』

 いつもながら、日本は心配ない、大丈夫、自信を持ちましょうという本です。長谷川慶太郎の本も趣旨はよく似ていますが、著者の本は天才的なひらめきに満ちていて、もう一つ壁を突き抜けた明るさがあります。
 著者はまた、政府の要人や官僚とも言葉を交わす機会が多い人なので、彼らのナマの反応が窺われて興味深いものがあります。ODAをバラまく外務省のお役人に「国民はどうですか(喜んでいますか)」と突っ込むと、答えがなかった(48頁)といったくだりは、相手の当惑が目に浮かぶようです。
 農協のでたらめぶりも本書では3頁くらいで概観できます。先日『農協の大罪』という本を買ったので、いい予習になりそうです。農業は日本に食料を輸出する国に技術や肥料や種子を提供して現地生産するというのは、すでに始めている人もいるそうですが、安全で良質な作物の輸入確保のためには妙案だと思います。
 子どもを3歳まで育て上げた女性には1000万円を支給するというのも面白いと思います。「日本人は国際水準の二倍くらい賢くて、三倍くらい働き者で、四倍くらい精神が高潔で、五倍くらい文化水準が高いと考えれば、一人につき一千万円を払っても決して高い買い物ではない」(164頁)というのがその根拠です。なんて積極的で素敵な発想なのでしょう。

(ワック株式会社2009年1200円+税)

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2009年4月26日 (日)

長谷川慶太郎『それでも、「平成恐慌」はありません。―これが、世界経済再生のシナリオ』

 デフレ基調の世界経済で生じたアメリカの金融破綻は、確かに世界中に影響を及ぼしていますが、そこから抜け出すには公共事業投資しかなく、そうなってくると、技術力では世界的に圧倒的優位に立っているわが国には、工作機械を中心に世界中から発注が相次ぎ、一人勝ちするだろうという話です。
 わかりやすく明るい話です。こんなに希望に満ちていていいのだろうかというくらい良いことが書かれています。とりわけ先端技術の情報に関しては、著者自らが現場に足を運んで書かれているだけに、有象無象のお茶の間エコノミストとは違って、独特の説得力があります。御年82歳でもまだまだ現場を取材する気力と体力が衰えていないことには驚かされます。
 本書で特にはCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)という、企業の債務不履行を対象にした怪しい保険について、簡にして要を得た説明がなされていて勉強になりました。これに手を出している金融機関が全部やられてしまったのが今回の金融破綻なのだそうで、著者はこれをサブプライム・ローンよりも深刻な原因とみています。
 また、アイスランドやハンガリーの通貨危機についてもわかりやすく説明されていたのに感心させられましたが、ハンガリーの通貨が「フロリン」と記されている(71頁)のは「フォリントForint」の誤りです。著者にしては珍しいことですが、外国の知人から聞いた音をそのまま表記したのではないかと思われます。
 マスコミの報道だけを見ていて気が滅入る人には、元気と勇気を与えてくれる本だと思います。

(ワック株式会社2009年838円+税)

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2009年4月24日 (金)

ロック『人間知性論』(大槻春彦訳)

 かれこれ20年以上も前になりますが、イギリスの歴史家クリストファー・ドーソンの『進歩と宗教』を読んでいたとき、科学の発展は必ずしもデカルトの理論によるものではないという記述が目にとまり、いつも何となく心の中に残っていました。最近ベーコンの新しさを再発見したことで、思想史的にも科学史的にもそれが裏付けられる見通しが立ってきました。これだけで一冊の本が書けそうです。
 ロックはデカルトより後の時代の人なので、当然のように、当時ビッグネームだったデカルトをかなり意識的に批判していますが、ベーコン以来の事物に即した観察や発見を重んじるところも窺われてなかなか面白いと思いました。
 「普遍的真理は、事物自身の在り方を適正に考察するとき、この在り方の結果として人々の心の内に生じたのであって、事物について適正に用いられるときは事物を受け入れ判定するように自然に仕組まれてある諸機能を使って発見されたのである」(130頁)
 このちょっとわかりにくい表現によってロックが言おうとしていることは重要です。ただ、これをデカルトを批判しながらも体系的に論じようとするとしたら、結局デカルトのかけた罠に落ちることになりはしないかという気がします。
 というのも、ロックがデカルトを意識しているということは、やはりそれだけデカルトの枠組みの中にとらわれているわけで、実際、その点はあまり面白くありません。人間においてはほとんど白紙の状態で単純な観念から複雑な観念が生み出されてくると理論的に言われれば、それはその通りかもしれませんが、デカルトと無縁のベーコンがふんだんにもっていた「現場の知恵」が薄れてきます。
 もちろん、この議論があるからこそ、ヒュームのようにもっと開き直ってみたり、カントのように経験論と合理論を総合する立場も考えられるのですが、哲学史の教科書からはみ出している部分に関心がある私としては、そのあたりで読む気がだんだんなくなってきます。
 というわけで、ロックの残り3巻を読むよりは、またベーコンに戻ろうかと迷っているところです。
 ところで、余談ですが、こうして読んでみると、かのマイクル・ポラニーが思った以上にロックの影響を露骨に受けていることもわかってきました。ただ、私の考えではロックのあまり面白くないところをもらっていると思います。しかし、書き方はあまり器用ではないにしても、マイクルはベーコンに連なる即物的観察力を重んじる伝統を理解していたはずです。
 ちなみにポラチェク(ポランニー)家では英語が用いられていたと兄のカールがどこかで言っていましたが、基礎的教養も英米系だったようです。マイクルはT・S・エリオットとも親交がありましたし、エリオットの詩の良さもよくわかっていたんでしょう。文学好きだったようですが、それ以上に英米文化の深いところをつかんでいたように思います。

(岩波文庫1997年700円+税)

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2009年4月21日 (火)

アラン『幸福論』神谷幹夫訳

 この翻訳は私にはまったくなじめませんでした。訳文がかなり短く分けられていて、それがかえって理解を妨げるようなところがあります。また、文末にやたらと「のだ」が用いられています。アランはそんなにくどくないと思うのですが、違和感があります。赤塚不二夫の「これでいいのだ」も脳裏をよぎります。外来語も頻出し、訳者は時代に合わせようと苦心されたのでしょうが、マシーンとかメカニックとかナイーヴなんかはあんまり気持ちのいい言葉ではありません。
 一読して意味のわからないところは他の翻訳にもありますが、ともかく通読していると改めて感動させられるところがあるのが、この本の特徴だと思います。しかし、この翻訳に限って言えば、感心して付箋を貼ったところがひとつもありませんでした。意味がなかなかまとまって伝わってこないからです。
 たぶん原文と対照させながら読むと意味が通りはするのでしょうし、むしろある意味で8冊も刊行されている『幸福論』の翻訳の中で、「私の訳こそ正確なのだ」という自負すらそこはかとなく伝わってきます。語学的にもひょっとしたら一番正確なのかもしれません。でも、日本語的には随所に疑問符がつきます。
 たとえば、「われわれは人を何か考え込ませるような説教をぶって、死にかけている人のとどめを刺そうと、人間の弱さや苦しみをうかがっている司祭には見慣れている」(195頁)とあって、この「司祭には」に違和感を抱かざるをえません。ただこれは頭の中で「司祭なら」とでも置き換えると、まあ何とかわかります。
 教室のフランス語購読ならこれくらいの話し言葉でも、みんなはわかってくれます。でも、日本語の本として考えるなら、もう少し読者の立場を代表して編集者が苦言を呈してくれないと困ります。
 6月から7月にかけて、市民講座でアランの断章から5編選んで、一日ひとつずつを合計5回かけてじっくり読んでみます。いくつかの訳本を対照させながら原文を検討しようと思っていますが、ある意味で本書も、何でこんな日本語になるのか考えてみるうえで、いい教材になるかもしれません。

(岩波文庫1998年700円+税)

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2009年4月19日 (日)

上田閑照『私とは何か』

 著者は人並みはずれて勤勉で、他人の思想の解説は実に見事ですが、ご自分の言葉でものを考えることになると、妙に力が入りすぎるのか、いろいろと面白いことを考えているようなのに、それがうまく読者に伝わらないという、なんだか損な役回りというか、星の下に生まれた感があります。
 著者は昔はあまり一般的な著作を発表されていませんでしたが、その実力は周囲から高く評価されていて、大学院のころに同じゼミの先輩が著者の講演を聴くのを楽しみにしていたのが思い出されます。当時は、とにかくすごい人だから話を聞いておいたほうがいいという感じの噂が広がっていました。
 私のほうは「ふーん」と思いながら、著者の『十牛図』を立ち読みしてみても、いまひとつピンと来なかったので、講演会には行きませんでした。その後、鈴木大拙の解説などで多少は著者の文章に触れる機会はありましたが、書店で単著も出ているのを目にしながら、いつかはまとまったものを読まなきゃと思っているうちに、気がついたらほぼ30年が過ぎていました。
 本書はそんなわけでようやく読んでみた著者の単著ですが、うーん、なんとも不器用な人だと思います。残念ながら30年ほど前の印象は当たっていたところがあります。読んでいて、これはと思ったのは山川登美子、西田幾多郎、夏目漱石の引用の部分で、肝心の著者の文章が凡庸なのです。いいことも書かれているのですが、書くことと考えることとがうまくつながっていない気がします。
 京都学派周辺の人にとっては学識人格とも優れた哲学者であっても、そうした空気と無縁の一般読者にとっては、いわゆる「考える文体」を持った人でないと、どう転んでも学者でしかありえないのです。
 こういう人をどうとらえたらいいのでしょうね。ご本人が真面目すぎるのでしょうか。なんとも言えませんが、さしあたりここでは性急に判断せずに、別の本ももう少し読んでみようと思います。

(岩波新書2000年660円+税)

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2009年4月15日 (水)

アラン『幸福論』(白井健三郎訳)

 業界ではシラケンさんと呼ばれている翻訳の名手によるアランです。またあのシラケンさんがあのだれそれの難解な翻訳に取り組まれるそうだ、すごいね、でもちょっと物好きかも、といった感じで噂されているのを聞いたことがあります。
 アランの翻訳の難しさは、文脈の中に伏線のように張り巡らされている論理の絶妙なつながりを発見することだと思います。文法的には一見何の変哲もないストレートな文章の連なりの中に、同じエッセー中で触れた言葉を受けて新たな表現で言い換えられたりするところが多々あるので、不用意に日本語に置き換えると逆説が逆説でなくなったり、反語が反語でなくなったりして悲惨なことになります。
 その点で本書はアランの精妙な論理が日本語で隅々までわかるように訳出されています。さすがです。この点でいずれ通して読むつもりで時々眺めている岩波文庫の神谷幹夫訳よりはるかに優れています。

 それにしても翻訳というのは難しいものです。単に原語がわかるだけでは、必ずしもいい日本語になるとは限りませんし、思い込みの強い研究者だと自分が著者になったようなつもりで意味を取り違えてしまったりします。そもそも日本語に難のある書き手が翻訳者でなくてもたくさんいますから、名訳というのは常に希有な僥倖だということがわかります。
 そもそも、英語みたいに膨大な学習者人口を抱えている言語でさえも、翻訳者としてすぐれている人はそんなに多くないですもんね。逆に、この人の訳ならやめとこうというひとなら結構います。でも東大英文科なんかを出ている翻訳者は教室の優等生のままで結構仕事に恵まれていたりもするから、理不尽だなあと思うことも少なくありません。日本語としてひどい文章がそのまま通ったりするのは、きっと編集者の日本語も怪しくなっているからでしょう。
 ただし、最近はAmazon.comなどで利害関係のない人から容赦のない批判が出たりするので、結構参考になります。内容はいいけれど、翻訳は一つ星なんてのがあります。読者の中にはすごい人がいるのです。変な訳が淘汰されていくとしたら、ネット社会も捨てたものではありません。

(集英社文庫1993年648円+税)

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2009年4月12日 (日)

ベーコン『学問の進歩』

 『ノヴム・オルガヌム』にいたく感銘を受けたので、これも再読してみました。以前には明らかに今とは違う関心から読んでいたらしく、今から見ると変なところに線が引いてあります。何だかちょっと小っ恥ずかしいような気もします。何しろ1983年に読んでいるので、この本から得られたことが何だったのかということさえ記憶に残っていませんが、どうやら当時はロッシの『魔術から科学へ』かホッケのマニエリスム論のような本から示唆を受けて本書を読んでいたようです。
 本書はベーコンが提唱する学問の大革新の壮大な計画の一部を披露したものです。気宇壮大とはこのことかと思わされます。様々な学問の革新についての傾向と対策が語られていく中でわかってくるのは、ベーコンが帰納法論理学を強調するだけの論理学者ではなく、人間を総合的に考える視点がしっかり定まったユニークな思想家だということです。
 ベーコンは机上の論理ではなく、現実の人間のありようを観察し、世界における論理的・合理的にとらえがたい現象の重要性をしっかりとらえています。もっとも、本書はベーコンの計画の中では序章に当たるものなので、個々の論点をしつこく掘り下げてはいませんが、その慧眼にはしばしば驚かされます。ノヴム・オルガヌムにつながる思考の萌芽は十分読み取ることができるので、いつか論文にまとめてみたいと思います。
 さて、具体的にベーコンがどんな点に着目しているかというと、感官や情念、身体、発見や判断、徳を表現する想像力、精神を落ち着かせもする愛の作用、自然に学ぶこと、個々の事実から離れることで誤りに陥ること、体系的知識はしばしば見かけ倒しだということなどです。この論点からしても、ベーコンが単なる論理学者ではないことがわかるでしょう。
 ベーコンの常識と実践的で経験的な思考を支えているのは聖書の教養です。特にパウロに対する評価が高いのには共感しました。ちなみに仮想敵はアリストテレスに代表される異教徒=ギリシャ的な体系的知識です。ただ、この大変な人を敵に回すだけあって、相当相手のことを読み込んでいます。なお、セネカやキケロ、あるいはカエサルなどは味方につけています。この時代の教養に追いつくのは大変ですが、私もちょっとでもあやかるべくこれから徐々に読んでいないものを減らしていこうと思います。
 ところで、ベーコンはシェークスピアと同時代ということですが、この著作もあの戯曲の底流にある世界観と共通する点がある気がします。それは決して奇をてらうようなものではありませんが、当時の人びとのコモンセンスを支えていた当のものです。「リア王」や「ハムレット」あるいは「あらし」の終幕のところで芝居全体を振り返るような時間の流れが感じられるあの箇所です。あの何とも言えない静寂さがいいのです。
 それはともかく、ベーコン本人の語り口も当時のスタイルなのでしょうが、結構芝居がかったところがあり、俗説ながらベーコン=シェークスピア説がある理由もわかります。訳文からの想像ですが、この文章はおそらく独特のリズムで綴られているのではないでしょうか。実際、本書は英語で書かれた最初の哲学書ということですし、その文体についての研究書もあるようです。研究書はともかく、本書の原書をひもといて英語原文を眺めるくらいはしてみるつもりです。演劇的知というのがベーコンにこれほど当てはまるとは思いませんでした。

(服部英次郎・多田英次訳岩波文庫1974年500円)

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2009年4月 2日 (木)

青木健『ゾロアスター教』

 このところ、Niederhauser『東欧ロシア史学史』の翻訳原稿に文献注をつける作業にかかりきりで、更新が滞っていました。なにしろ数えてみたら担当のロシア史学史の章だけで450以上の膨大な注になったのですから、道理で時間がかかったわけです。
 私などは単なる翻訳に過ぎませんが、原著者のような歴史家というのはこういう大変な作業を含めて資料を読み込んでいくわけですから、心底すごいなあと思います。
 本書の著者なども、大量の専門文献を収集し、整理し、そして何より読みこなしている人だと思いますが、資料に埋没せず、漠然とした関心のある一般読者に向けてこういう本を出してくれると本当に助かります。
 本書はゾロアスター教の全体像が概観できる好著です。その始まりから展開、ヨーロッパでの過剰な思い入れを伴った受け入れられ方、そして、インドのカースト制の中に組み入れられて保存されてきた「パールスィー」の様子なども含めて、門外漢が知りたいと思うことが、漏れなく触れられています。
 専門家になると一般読者への思いやりがいつの間にか失われることも少なくないのですが、ここまで特殊な専門ということもあってか、そのあたりの配慮と謙虚な姿勢には頭が下がります。
 著者によれば、善悪二元論的世界観が提唱された後、教祖が予言した「世界の終末」がなかなかやってこないため、処女懐胎から救世主が登場するという考え方が苦し紛れに生み出されたそうです。そして、それにもかかわらずこの思想が計り知れない影響を世界の宗教史上に与えるに至ったというのは何とも面白いところです。
 元々の土俗性もしっかり書かれていて、初期の熱心な教徒たちは、犬が善なる創造物であるのはいいとしても、カエルは悪なる創造物であるとして、毎日カエルを殺す時間を設定し、熱心にカエルを探し出しては叩き潰していたそうです。このあたりはなんだかこの世界初の倫理的宗教という文化的意義や、その高い精神性との折り合いが付きにくい部分です。人間というのはつくづく変な生き物だと思います。
 また、ササーン王朝下のゾロアスター教文化においては、男性の服装に対して口うるさく批評しない女性が好ましいとされていたというのも興味深いところです。女性の美意識と男性に対する価値観がある程度確立していたからこその評価基準でしょうから、女性たちはそう虐げられていたばかりでもなかったのかもしれません。
 ホメイニ改革前のイラン女性たちのファッションがパリのそれと区別がつかないくらい進んでいたというのも、こうした昔からの美意識のなせる技だったのでしょう。しかし、原理主義に国家を乗っ取られると、とんでもないことになるというのもまた宗教のおっかないところです。今日のイランはもはや自力で現体制を改革することはできないように思われます。
 日本も相当なバカが政治をやっているところがありますが、こんなになってしまうと、おそらくすべてが破壊されるのでしょうね。この点、何のかんのと言ってもわが国は幸運でおめでたい国ですが、やはりそれは幸せなことでしょう。

(講談社選書メチエ2008年1500円税別)

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