アラン『幸福論』神谷幹夫訳
この翻訳は私にはまったくなじめませんでした。訳文がかなり短く分けられていて、それがかえって理解を妨げるようなところがあります。また、文末にやたらと「のだ」が用いられています。アランはそんなにくどくないと思うのですが、違和感があります。赤塚不二夫の「これでいいのだ」も脳裏をよぎります。外来語も頻出し、訳者は時代に合わせようと苦心されたのでしょうが、マシーンとかメカニックとかナイーヴなんかはあんまり気持ちのいい言葉ではありません。
一読して意味のわからないところは他の翻訳にもありますが、ともかく通読していると改めて感動させられるところがあるのが、この本の特徴だと思います。しかし、この翻訳に限って言えば、感心して付箋を貼ったところがひとつもありませんでした。意味がなかなかまとまって伝わってこないからです。
たぶん原文と対照させながら読むと意味が通りはするのでしょうし、むしろある意味で8冊も刊行されている『幸福論』の翻訳の中で、「私の訳こそ正確なのだ」という自負すらそこはかとなく伝わってきます。語学的にもひょっとしたら一番正確なのかもしれません。でも、日本語的には随所に疑問符がつきます。
たとえば、「われわれは人を何か考え込ませるような説教をぶって、死にかけている人のとどめを刺そうと、人間の弱さや苦しみをうかがっている司祭には見慣れている」(195頁)とあって、この「司祭には」に違和感を抱かざるをえません。ただこれは頭の中で「司祭なら」とでも置き換えると、まあ何とかわかります。
教室のフランス語購読ならこれくらいの話し言葉でも、みんなはわかってくれます。でも、日本語の本として考えるなら、もう少し読者の立場を代表して編集者が苦言を呈してくれないと困ります。
6月から7月にかけて、市民講座でアランの断章から5編選んで、一日ひとつずつを合計5回かけてじっくり読んでみます。いくつかの訳本を対照させながら原文を検討しようと思っていますが、ある意味で本書も、何でこんな日本語になるのか考えてみるうえで、いい教材になるかもしれません。
(岩波文庫1998年700円+税)
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