« アラン『幸福論』神谷幹夫訳 | トップページ | 長谷川慶太郎『それでも、「平成恐慌」はありません。―これが、世界経済再生のシナリオ』 »

2009年4月24日 (金)

ロック『人間知性論』(大槻春彦訳)

 かれこれ20年以上も前になりますが、イギリスの歴史家クリストファー・ドーソンの『進歩と宗教』を読んでいたとき、科学の発展は必ずしもデカルトの理論によるものではないという記述が目にとまり、いつも何となく心の中に残っていました。最近ベーコンの新しさを再発見したことで、思想史的にも科学史的にもそれが裏付けられる見通しが立ってきました。これだけで一冊の本が書けそうです。
 ロックはデカルトより後の時代の人なので、当然のように、当時ビッグネームだったデカルトをかなり意識的に批判していますが、ベーコン以来の事物に即した観察や発見を重んじるところも窺われてなかなか面白いと思いました。
 「普遍的真理は、事物自身の在り方を適正に考察するとき、この在り方の結果として人々の心の内に生じたのであって、事物について適正に用いられるときは事物を受け入れ判定するように自然に仕組まれてある諸機能を使って発見されたのである」(130頁)
 このちょっとわかりにくい表現によってロックが言おうとしていることは重要です。ただ、これをデカルトを批判しながらも体系的に論じようとするとしたら、結局デカルトのかけた罠に落ちることになりはしないかという気がします。
 というのも、ロックがデカルトを意識しているということは、やはりそれだけデカルトの枠組みの中にとらわれているわけで、実際、その点はあまり面白くありません。人間においてはほとんど白紙の状態で単純な観念から複雑な観念が生み出されてくると理論的に言われれば、それはその通りかもしれませんが、デカルトと無縁のベーコンがふんだんにもっていた「現場の知恵」が薄れてきます。
 もちろん、この議論があるからこそ、ヒュームのようにもっと開き直ってみたり、カントのように経験論と合理論を総合する立場も考えられるのですが、哲学史の教科書からはみ出している部分に関心がある私としては、そのあたりで読む気がだんだんなくなってきます。
 というわけで、ロックの残り3巻を読むよりは、またベーコンに戻ろうかと迷っているところです。
 ところで、余談ですが、こうして読んでみると、かのマイクル・ポラニーが思った以上にロックの影響を露骨に受けていることもわかってきました。ただ、私の考えではロックのあまり面白くないところをもらっていると思います。しかし、書き方はあまり器用ではないにしても、マイクルはベーコンに連なる即物的観察力を重んじる伝統を理解していたはずです。
 ちなみにポラチェク(ポランニー)家では英語が用いられていたと兄のカールがどこかで言っていましたが、基礎的教養も英米系だったようです。マイクルはT・S・エリオットとも親交がありましたし、エリオットの詩の良さもよくわかっていたんでしょう。文学好きだったようですが、それ以上に英米文化の深いところをつかんでいたように思います。

(岩波文庫1997年700円+税)

|

« アラン『幸福論』神谷幹夫訳 | トップページ | 長谷川慶太郎『それでも、「平成恐慌」はありません。―これが、世界経済再生のシナリオ』 »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。