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2009年5月29日 (金)

ジェイムズ・M・ジャスパー『ジレンマを切り抜ける 日常世界の戦略行動』鈴木眞理子訳

 ゲーム理論や社会学の諸理論は理想的かつ典型的状況だけを考えていて、現実の人間行動の複雑さをとらえていないというのが、著者の出発点です。この手の学問は面白くなりかかったところで止まっているということで、現実世界の戦略行動が実際にどのようなジレンマに直面しているかをつぶさに記述した本です。
 確かに社会学はしばしば全体構造の検討に忙しく、個人と集団の営みを無視して機能分析に集中しがちですし、ゲーム理論は現実のわれわれのしばしば間違ったりもするような戦略行動をとらえ切れていないというのももっともでしょう。
 ただし、訳者があとがきで「非常に面白いけれども最初掴み所がなく思え、翻訳の過程では途方に暮れそうになったことも多々ありました」と正直に述べているように、読者としても同じ感想を持ちます。
 著者は定式化された社会学の立場を認めず、定式化自体を拒んでいるせいか、一応のまとまりはあっても内容は漠然としています。たくさん出てくるジレンマも著者が断っているとおり、決して解決されるわけではありません。この点で、昔読んだギュルヴィッチの現象学的法社会学が、現象を細かく分類しすぎて何とも掴み所のない奇っ怪な理論になってしまっていたのを思い出しました。もちろん、本書の問題提起としてはなかなか鋭いものがありますので、研究者には有益な本だと思います。
 しかし、私のような怠惰でせっかちな読者は、具体的なジレンマの解決事例を示してくれたらわかりやすいのにとついつい思ってしまいます。定式化を批判するなら新たに定式を提示した方が説得力は増すはずだからです。さらに言えば、実際、ジレンマは何らかの形で行動を通じて解消されるはずですし、実際に最善の解決に至らなくても、人間の非合理な行動が意外な解決法を見いだすという例も発見できると思うからです。ただし、著者はあまり行動経済学の方法は取り入れていないようです。
 このあたりアメリカの学者らしく、話題は一見豊富に見えて、実は守備範囲は意外と狭いのかもしれません。ヨーロッパにしばしば生まれてくる博物学的知性とは違う感じです。ヨーロッパの学者はアメリカに行くと、みんな専門の話はしないし、文学などの教養もないし、会えば天気の話しかしないと嘆いている人も少なくありません。著者はそこまで極端ではないと思いますが、そういう香りがちょっとします。たとえばドストエフスキーなんかは読んでいない感じです。ま、これは私の勝手な思い込みですが。

(新曜社2009年3200円+税)

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2009年5月28日 (木)

友枝敏雄・山田真茂留[編]『Do! ソシオロジー 現代日本を社会学で診る』

 通信教育で担当している者科学の教科書が絶版になってしまったので、新たな教科書を探しているところです。いろいろと目を通している中では、値段も手頃で設題もついているので、本書にしようかなと思っているところです。
 学説史的記述はなく、現代日本社会のタイムリーな社会学的諸問題が検討されています。現実の社会問題を自分で考えることが社会学だという主張はもっともですし、諸学者にも取っつきやすいのではないかと思いますが、「自分で考えてみましょう」という設題に対して提出されてくる学生の答案の出来を考えると、いささかぞっとしないでもありません。
 箸にも棒にもかからないような答案を添削するのは大変なので、問題はアレンジするつもりですが、教科書を写せばいいような問題にすると、今度は死ぬほど退屈な作業になります。通信教育の担当者に共通する悩みです。しかし、年に数枚は実に良くできた答案も読むことができるので、それはそれで実に楽しみでもあります。この本ではどんな答案が返ってくるでしょうか。
 本書のほかにも社会学の教科書をざっと見てみたのですが、不思議なことに、複雑系やカオス、あるいはネットワーク科学の成果を取り入れたものがほとんどありません。社会心理学や行動経済学とも交流がないようで、ましてやレヴィットの『ヤバい経済学』やヴェンカティッシュの『ヤバい社会学』もちっとも出てこないのは、あれだけアメリカに留学している人が多いのに、どうしたことでしょう。
 社会学もいつの間にか旧態依然とした社会学の固定観念の枠組みにとらわれてしまったのでしょうか、もうちょっと他の分野の学問的成果を活かすようなところがあってもいいと思います。もっとも、ポストモダンの思想なんかは結構触れている著者がいますので、全体にもう少し時間がかかるのかもしれません。

(有斐閣アルマ2007年1,800円+税)

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2009年5月27日 (水)

橋本治『いま私たちが考えるべきこと』

 世の中には「自分のことを考える」のがそのまま「他人のことを考える」になってしまう人がたくさんいると著者は言います。共同体を中心にすべてを考えていれば、人はそうならざるをえないでしょう。ムラ社会であっても、会社であっても同じです。そこにある「私たち」の本質を著者は「前近代」ととらえ、答えのない未来に向かって自分で考える「私」を「近代」として対比させて考えています。これは著者による実に新鮮な社会学の試みです。社会学のややこしい問題もこの見方をとることで、すとんと腑に落ちるところがあります。
 著者がすごいのは次のようなことをさらっと言ってしまえるところです。
「いま私たちは『自分の所属する“自分たち”』を超えた、『私たち』を考えなければならない」(147頁)
 そして、この「私たち」というのは前近代のように答えが過去にあるようなものではなく、「自分と他人とで作り上げるもの」となります。これは実に魅力的な社会理論です。今日の先端の社会科学の理論的達成とも重なる点がありますが、著者は外来の思想などに一切頼らず、あくまで言葉と論理だけを用いて、ここまで考えています。今日のわが国が誇るべき思想家の一人です。
 私が昔フランス語を教わったY先生は橋本治と東京大学で同じクラスだったそうですが、当時文学的な志の高かった同級生のうち「作家として筆一本で食べているのは橋本治だけだ」とおっしゃっていました。しかし、いつの間にか思想家にもなっていたとは、これまた大変なことです。
 また、内田樹は橋本治の論理と小田嶋隆の文体に影響を受けたとどこかで言っていました。この論理に小田嶋隆の文章の呼吸が加われば内田樹になると言われると、なるほどそんな気もしてきます。

(新潮社2004年1300円税別)

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2009年5月26日 (火)

西加奈子『きりこについて』

 自分がブスだということに気がついた女の子の「きりこ」が主人公かと思ったら、ちょっと違いました。猫の「ラムセス二世」がイケてます。この小説の始まりはちょっといまいちかなと思いかけましたが、さすが力のある小説家です。いつものように後半に加速して、とってもよい世界に連れて行ってくれました。みんなを勇気づけてくれる物語です。
 著者の小説はいつも最後に盛り上がります。最後は群像劇のようにもなるのですが、人間の外見と中身と性という扱いにくいテーマを見事に料理してくれたのは賢い猫でした。この点で人間が猫に学ぶことは少なくありません。
 著者はかなりの愛猫家で、猫語についても造詣が深いようです。猫が語るという意味では夏目漱石の猫以上です。なぜかは最後にわかります。新聞の新刊紹介に、本小説執筆中に著者の愛猫が世に召されてしまったとありましたが、そのこともこの小説に深みを与えているのでしょう。
 小説後半である会社が設立されます。もちろんフィクションですが、その経緯にネットワーク理論としても興味深いものがありました。ある種の「弱さ」を抱えた人たちがネットワークの中心となっていくというのは、そのとおりですから。そういえば、猫もまたネットワーク作りの名人でした。作家の観察力と直感はすごいですね。
 ところで猫といえば、普段お世話している中国人留学生たちのほとんどが猫嫌いであることに驚かされます。みんな猫は不潔だというのです。ちょっとカルチャーショックです。中国はどうやら猫にとって天国ではなさそうです。猫が住みよい国はいい国だと小室直樹が言っていましたが、そうかも。

(角川書店平成21年1300円税別)

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2009年5月25日 (月)

『キケロー弁論集』

 四半世紀以上前のことですが、ヒュームの人性論を読んでいて、キケロの弁論が注釈に引用されていたので、これは困ったなとつぶやいていたら、東大生のS君が翌週ささっと訳してレポート用紙に訳注まで付けてプレゼントしてくれました。当時彼は2年生だったと思いますが、未だかつてあれほど勤勉かつ博識で親切な人を見たことがありません。連絡が途切れて久しいですが、今頃どこで何をしているのでしょう。
 キケロの文章に触れるのはそれ以来ですが、ヨーロッパ人は高校でラテン語を習うとき、しばしばこれを読解教材とすると聞いています。こういうものが教養の基礎になっているとしたら、法廷での弁論の名手になる人が出てきても不思議ではないと思います。暗唱している人なんかもいるのかもしれません。
 日本人的な感覚でいうと、キケロは思いっきり目立ちたがり屋で、自画自賛も遠慮なく行なうので、政敵も少なくなかっただろうなと思いますが、特に「カティリーナ弾劾」において敵を追い詰めるときの迫力は半端ではありません。映画に出てくるアメリカの辣腕弁護士みたいです。
 それにしても当時の政情は政敵の暗殺や地域住民の虐殺、収奪が絶えないもので、この中で執政官という職務に就いていたのですから、改めて世の中は悪人だらけだったし、今も国際政治の現場は相変わらずその延長線上にあることがわかります。当時からそうですが、政治の実権がでたらめな人間に握られたら最後、その国は弱体化し、消滅するしかないようで、それは、企業社会でも同じですね。仮につぶれないとしても、従業員の自由は大幅に制限され、長期間にわたって辛酸をなめ尽くすことになるでしょう。
 実際、そんなでたらめな人間ほど執権を握りたいという欲望は並外れているのですから、周囲は気圧されて認めかねないところがあります。でもひとたび認めたりしたら、イランや北朝鮮のようになっちゃうんですけどね。

(小川正廣・谷栄一郎・山沢孝至訳岩波文庫2005年900円+税)

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2009年5月19日 (火)

リチャード・フロリダ『クリエイティブ・クラスの世紀―新時代の国、年、人材の条件』

 世界の幸せを引っ張っていくのはクリエイティブな人びとであり、そういう人びとが過ごしやすい都市が発展するという本です。創造性が新たな技術と製品を生み出すのですから、実にもっともな話です。それで、そういうクリエイティブ・クラスが育つための都市の条件として著者はテクノロジー(技術)、タレント(才能)、トレランス(寛容性)の三条件を挙げています。その指標の一つとしてゲイに対する寛容性を例に出したものですから、アメリカではかなり誤解され、攻撃されたようです。
 そういえばゲイに対する不寛容さはアメリカのような宗教的原理主義国家では、イスラム県ほどではないにしても、かなりきついものがあるのでしょう。その点でわが国は伝統的に寛容で、人気タレントもたくさんいるくらいです。
 案の定、著者たちの研究グループによるクリエイティビティの測定では、わが国はスウェーデンについて2位という位置に付けています。わが国がゲイの天国かどうかは別にしても、宗教的な価値観が文化に影響を与えていないということでは(宗教を経典宗教に限るなら)納得のいく話です。
 いずれにしても、才能のある人にとって居心地のいい場所であれば、世界中から面白い人がやってきてくれて元気な街や国ができるということは確かですから、近年、特に9/11以降寛容性を失ってきていたアメリカに対する警世の書ではあるのですが、わが国に対しては、われわれが気がつかない良さを教えてくれるところがあって、面白いと思います。 一方、本書を読みながら、勤め先のある岡崎市の活性化についての可能性を考えています。旧商店街をどのようにしたらいいでしょうね。いっそ大学のキャンパスを全部もってくるとかしてみるとどうでしょうね。
 実は、7月6日(月)にハンガリー関係の講演会を企画していますが、月曜日の午後にどれくらいの人が来てくれるかわかりません。現在、いろんなメディアで宣伝しては試しているところです。関心のある方は「知られざる思想家たち」のトップページなど覗いてやってください。お近くの方は是非足をお運びください。

(井口典夫訳ダイヤモンド社2007年2400円+税)

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2009年5月17日 (日)

吉田智子『オープンソースの逆襲』

 不特定多数の人びとに開かれたネットワークの創造性を最大限に引き出すのがオープンソースの畏るべき特徴です。グーグルがどういう仕組みで儲かっているのかということも本書ではっきりとわかりました。本書の説明もわかりやすく書かれていますが、おいしいラーメンのスープのレシピを公開した人びとをめぐるフィクションがところどころに挿入されていて、さらに理解を助けてくれます。マイクロソフトやリナックス、グーグルなどが登場し、ここ20年くらいのITの流れが鳥瞰できます。『ウィキノミクス』などを読んで、今ひとつわかりにくかったことも、本書を読むと実によくわかりました。
 ところで今留学生たちの使っているパソコンがかなり古くなってきているのですが、これなんかも本書にあるように、WindowsをLinuxに入れ替えると当分快適に使えるようになるはずです。ITサポート部門の人に提案してみましょう。
 それはともかく、いろいろなところに人びとの英知を結集する仕掛けを作ことによって、わくわくするような未来が開けてくるような気がします。組織としてのポイントはコーディネーターないしはネットワーカーをどのように活かすかということでしょう。リーダーはその見通しをもっているだけで、後は決断さえしてくれたら大丈夫なのですが、その決断ができなければ、逆に時代からどんどん取り残されてしまうでしょう。実際取り残されているところはどんどん倒産しています。
 こうなってくるときょうびは「う、やっば、もう手遅れかも」と思っている組織人も少なくないだろうと思います。世はまさに乱世ですから、そういう人は自分でネットワーカーになるしかないでしょうね。でも、乱世だからこそ、実際に自分でやってみると案外簡単においしいラーメン屋さんが繁盛することもあるのかもしれません。

(出版文化社2007年1,429円+税)

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2009年5月16日 (土)

セネカ『人生の短さについて』茂手木元蔵訳

 ベーコンを読んでいるとしょっちゅう名前が挙がるので、読んでみました。めっぽう頭がよく、政治権力の中枢にもいたこともあり、この世の絶頂もどん底も経験した人だけに、ストイックなことを言っても(ストア派の系譜に位置づけられる人ですから当たり前ですが)、辛らつな批判をしても説得力があります。足りないことがあるとしたら「可愛げ」でしょうか。教え子のネロから殺されるなんてのは、ネロもとんでもない人ですが、どこかで敵と思わせるところがあったからでしょう。周囲の雑音に邪魔されないストイックな生き方というのは謀殺を防ぐことにはならなかったようで、また、それを本人も運命としてまともに受け容れてしまうのが、すごいけど可愛くないところでしょう。解説にリヴィウスの筆によるセネカの最後が引用されていますが、見事な運命の受け容れ方です。歴史家が書き留めたくなるのも道理です。
 かつては権力の中枢にもいてその影響力をふるった人であるだけに、権力者の心理がよくわかっている人です。その俗物的側面をえぐり出すような描写はかつての自己批判も含んでいるのでしょうが、異様なほど鋭いので、死刑を命じられる原因を自らあえて作り出しているのではないかと疑われるほどです。これでは引退してから言いがかりを付けられても仕方なかったのかなという気がします。口は災いの元とは言いますが、それを地でいく人でしょう。他山の石としなければ。くわばらくわばら。
 しかし、単なる学者とは違って、権力者の猜疑心と恐怖感にさいなまれる心理を見事にとらえています。その点ではイタリアのG・フェレーロのご先祖さまのような人です。

(岩波文庫1980年460円)

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2009年5月12日 (火)

土屋賢二『ソクラテスの口説き方』

 いつもながらこの毒にも薬にもならないけれども抱腹絶倒のエッセーは、すごいなと思います。この芸は誰にも真似できないのではないでしょうか。そういえば、上杉清文の文章がちょっと近いかもしれませんが、味わいは異なります。最近最近上杉さんの本からは遠ざかっていますが、読みたくなってきました。また調べてみます。
 さて、本書ですが、ときどき哲学的にすごい展開になるのかと思わせられるところがありますが、次の行ではそれがまったくの杞憂だったことに気がつかされます。でも、ひょっとしたら本当に専門的にもすごい人なんじゃないかという気もするので(確か野矢茂樹がそんなことを論理トレーニングか何かの本の後書きに書いていたような記憶があります)、いつかは勁草書房から出ている専門書の方も読んでみたいと思いながら、まだ手に入れていません。このエッセーシリーズを読んでしまってからでも遅くはないでしょう。
 それにしても、著者は実際哲学の中の何が専門なんでしょうね。ウィトゲンシュタインとかの論理哲学でしょうか。あのあまり面白くない日常言語学派なんかをこんな冗談に変換しながら読んでいたのだとしたら、やっぱりすごい才能です。ベルグソンに『笑い』という本がありますが、別にあれを読んで笑えるというものではありません。その点では、笑いを論じるよりも著者のように笑いを作り出せるほうが、哲学などどうでもよい読者にとっては、はるかにすばらしいことだと思います。

(文春文庫2003年467円+税)

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2009年5月 9日 (土)

山下一仁『農協の大罪「農政トライアングル」が招く日本の食料不安』

 農協と農林族の政治家と農水省の官僚たちが見事にグルとなって日本の農業と食糧安全保障を破壊してきたことが実によくわかる本です。特に農協はいつのまにか結構な金貸し業者として組織防衛を図るようになっていました。
 何せ、大規模な専業農家を育てるのではなく、小規模の兼業農家による組合を維持するために、意欲的な専業農家に対してはさまざまな嫌がらせをしてきたというのが実態です。兼業農家は土日にしか農業をしないので、いきおい農薬に頼る農法となり、環境にも多大な悪影響を与えてきたわけです。それでまた、農協は高い農薬を売りつけることができるという循環が成立してきました。
 しかし、さすがに兼業農家も高齢化が進み、その結果農協の存続自体も危うくなってきていることに、少しは気がつき始めているようです。それでも何だか少子化の中の地方の弱小私立大学のようで、問題が深刻になっていることは頭でわかっているだけで、おそらく自己改革はできないでしょうね。
 本書の指摘でなるほどと思ったこととして、わが国は水資源が豊富なために工業が発達したということがあります。原材料のさまざまな加工の過程で、廃物や廃熱を処理する際に水が必要になるわけで、アラブなんかは油は出ても水がないために工業団地が作れないわけです。
 また、水田は森から養分を含んだ水を得ると同時に、水で病原菌を洗い流す結果、連作障害が起きないということも教えられました。家庭菜園でも同じ作物を二年連続で植えたりすると悲惨なことになりますからね。たいしたものです。
 さらに、水田というのは森林の保水効果とあいまって大きな洪水を防ぐダムとしての役割も果たしていて、日本の取水量300ミリというのは世界第一位なのだそうです。
 いろいろと勉強になりました。

(宝島新書2009年667円+税)

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谷沢永一『人間力』

 この連休中は出版予定のハンガリー法思想史研究の校正に没頭していました。専門的な内容ですが、面白い本になりました。完成したらあらためてお知らせします。その校正の合間にちょぼちょぼと読んでいたのが本書です。「にんげんりき」と読みます。司馬遼太郎の小説に出てくる言葉だそうです。
 著者の本を読むと、必ず面白い本が紹介してあるので、何といっても読書欲が刺激されます。紹介されている本の中には、有名でも意外と読まれていないものがあって、絶賛されたりすると、読まずにはいられなくなります。積ん読状態だった本も新たに読む意欲をかき立てられます。新たに買わなくてすむので経済的です。アダム・スミスの国富論も未だに積ん読状態ですが、そんなに面白いなら読んでおこうかという気になります。
 本書の後半は特に司馬遼太郎について熱く語られていて、やっぱり『坂の上の雲』は読んでおかなきゃという気になりました。熱さということでは、土方歳三について書かれた『燃えよ剣』を小朝が高座で見事に語っていたのを思い出しました。昔森鴎外記念館で話をしたタクシーの運転手さんも司馬遼太郎の作品について熱く語っていました。どうやら人を熱くさせる作家のようです。
 このほかにシュンペーター『経済分析の歴史』、三宅雪嶺『同時代史』、『エリアーデ日記』が気になりました。しかしシュンペーターの本なんか全7巻です。大変な本を挙げてくれるものです。読み出したら面白くてやめられないとのことですが、大変そうです。

(2001年潮出版社1500円+税)

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2009年5月 2日 (土)

『ベーコン随想集』

 ベーコンの人間観察の鋭さが窺われる本です。論文に引用するというほどではありませんが、ベーコンが単なる書斎派でなく、実生活でもいろいろと苦労があった人だったことが偲ばれます。本書では具体的で実践的な問題への対処法が披露されています。感心させられたところを少し引用してみます。
 「大胆は無知と卑劣の子であって、他の資格よりはるかに劣るのである。しかし、それにもかかわらず、それは判断が浅薄であったり勇気がなかったりする世間の大多数の人を魅了して、手も足も出ないようにしばる。それどころか、賢明な人々にも弱気になっているときには効果がある。そんなわけで、われわれは大胆が民主的な諸国において驚嘆すべきことをなしとげたのを見るのである」(60頁)
 何だかいわゆるひとつの「小泉劇場」のような感じです。昔からこの手の人間は何一つ変わっていないようですね。
 全編こうした知恵や警句の類が随所に出てきます。ベーコンがシェイクスピアと同時代人という事実も頭に入れて読むと、余計楽しむことができます。次のような文学的な比喩もなかなかのものです。
 「運命の歩みは空の銀河に似ている。銀河は多くの小さな星の集合もしくは塊である。小さな星は散在してよく見えないが、いっしょになって光っている。同様の、多くの小さな、ほとんど見分けのつかない徳性が、というよりむしろ能力や習慣があって、それらが人をしあわせにしているのである」(179頁)
 この後、「少し愚かなところ」と「バカ正直でないこと」が幸せにつながるという論理展開もユニークですが、ここだけでもなかなか味わい深いものがあります。話題は多岐にわたりますが、注釈が細かく付けられていて、理解を助けてくれます。
 かつて師匠から各世紀から一人ずつ選んで、現代思想の潮流の中で混乱しそうになったら、読み返すようにするといいと言われたたことがあります。今までは十七世紀はデカルト、十八世紀はカント、十九世紀はヘーゲルを折に触れて読んできましたが、これから十六世紀から十七世紀にかけての哲学者としてベーコンを加えたいと思います。

(渡辺義雄訳、岩波文庫1983年620円)

 

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