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2009年5月25日 (月)

『キケロー弁論集』

 四半世紀以上前のことですが、ヒュームの人性論を読んでいて、キケロの弁論が注釈に引用されていたので、これは困ったなとつぶやいていたら、東大生のS君が翌週ささっと訳してレポート用紙に訳注まで付けてプレゼントしてくれました。当時彼は2年生だったと思いますが、未だかつてあれほど勤勉かつ博識で親切な人を見たことがありません。連絡が途切れて久しいですが、今頃どこで何をしているのでしょう。
 キケロの文章に触れるのはそれ以来ですが、ヨーロッパ人は高校でラテン語を習うとき、しばしばこれを読解教材とすると聞いています。こういうものが教養の基礎になっているとしたら、法廷での弁論の名手になる人が出てきても不思議ではないと思います。暗唱している人なんかもいるのかもしれません。
 日本人的な感覚でいうと、キケロは思いっきり目立ちたがり屋で、自画自賛も遠慮なく行なうので、政敵も少なくなかっただろうなと思いますが、特に「カティリーナ弾劾」において敵を追い詰めるときの迫力は半端ではありません。映画に出てくるアメリカの辣腕弁護士みたいです。
 それにしても当時の政情は政敵の暗殺や地域住民の虐殺、収奪が絶えないもので、この中で執政官という職務に就いていたのですから、改めて世の中は悪人だらけだったし、今も国際政治の現場は相変わらずその延長線上にあることがわかります。当時からそうですが、政治の実権がでたらめな人間に握られたら最後、その国は弱体化し、消滅するしかないようで、それは、企業社会でも同じですね。仮につぶれないとしても、従業員の自由は大幅に制限され、長期間にわたって辛酸をなめ尽くすことになるでしょう。
 実際、そんなでたらめな人間ほど執権を握りたいという欲望は並外れているのですから、周囲は気圧されて認めかねないところがあります。でもひとたび認めたりしたら、イランや北朝鮮のようになっちゃうんですけどね。

(小川正廣・谷栄一郎・山沢孝至訳岩波文庫2005年900円+税)

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