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2009年6月 7日 (日)

木村剛『日本資本主義の哲学』

 外国資本100パーセントのベンチャー企業を立ち上げ、その後日本の資本100パーセントの会社としてコンサルタント会社を経営してきた著者ならではの「現場の経験」が生きています。外資も内資もどちらも経営経験がある人というのはそうはいないと思います。著者がしばしば東大系の経済学の教科書だけ読んでいるような学者を厳しく批判するのも、この現場を知っているからでしょう。
 実際本書を読むと、資本主義というものの理解についてなるほどと思わされるところが多くて、本当に勉強になります。著者が山本七平の『日本資本主義の精神』を高く評価しているのも印象的でした。思えば山本七平も小さな出版社の経営者でした。会社経営で苦労している点で、共感するところも少なくないのでしょうが、何より両者に共通するのは、現場から世の中をよく見ているという点です。
 特に近年の大企業の不祥事は、経営者が責任をとらなくなってきているところにその特徴があるのですが、かつては機能集団を共同体的、つまりムラ的な集団として統治してきた日本の会社組織ですが、著者のいう「ムラヲサ」が裏切ることでモラルハザードが起きているという指摘は説得力があります。
 もともと弱肉強食で露骨な資本の論理を日本流に「ムラヲサ」の共同体的統治でアレンジして乗り切ってきたところが、トップから裏切りを始めるなら、共同体は崩壊するしかなくなります。そして、そういわれてみると世の中の至る所で官僚化が進んでいて、今や日本中の組織が無責任体制になってしまっています。
 著者は今こそ「ニッポン・スタンダード」の確立を呼びかけています。「親米でも嫌米でもなく、『アメリカ万歳論』でも『外資ハイエナ論』でもない、日本独自の日本スタンダードを確立しよう」(301頁)と。
 狂ったモラルを糾しさえすれば、この道は意外にすんなり確立できるような気がしてきます。ただ、狂い方が組織によってはかなりのものなので、そこが一番の問題でしょうね。

(PHP研究所2002年1,700円税別)

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