小林信彦『人生は五十一から』
題名に惹かれて古本屋で入手。私も今年で51歳になります。先日届いた高校の同窓会案内が「全員五十歳記念同窓会」ということでぎょっとしましたが、みんな紛れもなく半世紀を生きてしまったわけです。何せこれまでに私は一度も同窓会に出ていないので、いまだに自分の記憶の中では同級生はみんな18歳なのですが、いずれにしても当時の記憶がなければ、お互いに「太郎はすっかりおじいさん」なのでしょう。実際、孫を可愛がっているような人もあることでしょうし。
著者は「はじめに」で「五十を過ぎて、ようやく、世の中や人間関係のからくりが見えてきたときに、肉体の老化があらわになりました」と書いています。逆に、肉体が老化して体力勝負がきかなくなったために、世の中の見え方が変わってきたという面もあるかもしれません。
いずれにしても、ものの見方が落ち着いてくるのは確かですので、経済学者の間ではこの10年は「黄金の五十代」とかいって、良い仕事ができる時期だとされています。もっとも、理科系の才能は開花するのが早いので十代ですでに天才のような人もありますし、作曲家の多くは五十代ではすでにピークを過ぎているようです。
ただ、落語家と作家は五十歳以降に、野球で言うなら「タマが止まって見える」ため「体力があればヒットやホームランが打てる」と著者は言います。古今亭志ん生なんかはものすごく体力があったと言われてみると、確かに説得力があります。
自分の頭の方は置いといても、とりあえず体力をつけておかなければということは言えそうなので、トレーニングは続けています。この数年でナンバ走りを身につけたせいか、ずいぶん体力が付いた(というより楽な走り方を身につけた)ため、今でも学生たちとバスケットボールを楽しむことができます。
しかし、さすがにそろそろトレーニングの仕方を考えなければ心臓に悪そうなので、先週から「ためしてガッテン」でやっていたスロージョギングを取り入れ始めました。やってみると、こちらの方がはるかに楽で身体に合っています。何だか楽しいし、精神的にも良さそうです。効果についてはいずれ報告します。
もっとも、この年代はいいことばかりではありません。五十から六十にかけて鬱病にかかる人も多く、著者もかなりひどい鬱の状態からどうにか帰還したという経験があるそうです。本書にもその状態が出てきますが、「こうした心理状態だと、女性とのごたごた、借金、ギャンブルの落とし穴、病気―ちょっとしたことが引き金になって、あの世にジャンプするのは容易である」(26頁)とあります。
そういえば、尊敬する著作家の日垣隆氏も最近ようやく精神的危機状態から脱出されたようで何よりですが、いつ自分がそうなるかなんてわかったものではありません。私が研究しているハンガリーの法哲学者ショムローは四十六歳で自殺しています。私もいつの間にか彼の年齢を超えてしまいましたが、最近はショムローに限らず、中年期に自殺した学者や作家の気持ちも少しわかるようになってきました。年をとってみないとわからないことがあるのは確かですね。
本書は「現代恥語ノート」のような批評精神も読ませますが、故人を偲ぶ文章が光っています。著者と同時代人だった芸人たちは、今日の伝説化された存在ではなく、その当時のそれぞれに生きることに格闘している姿をとらえられているので、今もなお草葉の陰で喜んでいるのではないでしょうか。
江戸っ子で、芝居や映画あるいは落語に通じた著者は、週に一度くらいは会って話を聞きたくなるような横丁のご隠居さんという感じでしょうか。大人のエッセーです。
(文春文庫2002年448円+税)
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