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2009年7月31日 (金)

若林亜紀『国破れて霞ヶ関あり ニッポン崩壊・悪夢のシナリオ』

 特殊法人の内部告発でデビューした著者ですが、もはや完全に独立営業のライターになっちゃいました。たいしたものだと思います。厚労省にも弁護士をつけない本人訴訟で勝利するし、半端でなく根性がある人です。
 文章には行動力と正確なデータに裏付けられた迫力と説得力があります。アイスランドに取材しては金融破綻現場の雰囲気をふつうの人びとから聞き出し、文部科学省のお役人の住む官舎に張り込んでは入学式当日に「私立ですか、公立ですか?」と尋ねてみたりします。当然文科省の子どもたちの多くが「ゆとり教育」を避けて私立に進学していることがわかります。
 本書によると、ゆとり教育の旗振り役だった当時文科省の寺脇研なんかはそもそも子どもがいないそうで、あんな抽象論をとくとくと語るのも頷けます。今はどこかの大学の先生ですもんね。体質的には適職でしょうけれど、何だかなあ。雇うほうにも問題がありますよ、これ。
 さらに著者は自衛隊の予備役の訓練に自ら参加して、予備自衛官としての顔も持っていたりします。自衛隊の駐屯地に寝泊まりし5日間の実戦訓練を受けたときのルポですが、自衛隊の内部の雰囲気もよく伝えてくれています。
 しかし、何と言ってももともと厚生労働省の研究所にいた著者は、今までのいきさつも含めて厚労省にはひとかたならぬ憤りを感じているようです。悪事の証拠もたくさんつかんでいますし。
 意外だったのは、雇用・能力開発機構の存続に森永卓郎や玄田有史が尽力していたこと。なーんだ善人面して結構露骨な小悪人だったのかということがわかっちゃいました。きっとつまらないしがらみでもあるのでしょう。でも、正直がっかりです。
 著者の描く日本崩壊という悪夢のシナリオが実現しないことを祈るばかりですが、やっぱ役人はえげつないです。そもそも扱うお金の額が違いますし、その使い途は想像をはるかに超えています。
 しかし、話はお役人に限りません。今や日本国中の職場がお役所化していますので、今後いろんなところで現実にシステムが崩壊していくことになるような気がします。くわばらくわばら。

(文藝春秋社2009年1429円+税)

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2009年7月30日 (木)

西澤晃彦・渋谷望『社会学をつかむ』

 本書の「はしがき」で著者が、有斐閣が入門書を著者二人に任せるというのは冒険で、10年前にはありえない人選だったろうと述べているのは、読んでいくとよく分かります。両著者とも本だけではなく映画などのサブカルチャーまでも丹念にフォローしていて、現代社会の現象にとにかく常に興味津々という感じが伝わってくるからです。
 各章でいろんな議論が丹念に紹介されていて、社会学者というのが、結構どうでもいいようなことを難しそうに議論していることも分かります。これはもちろん私の読み方に問題があるためでしょう。
 ところで、ある編集者から聞いた話では、上野千鶴子のような人は学会の仕事は「業界のお仕事」と呼んで小馬鹿にしていたとのことですが、その本人の業界向けのお仕事も簡単にまとめて紹介してあって、え、そんなんでいいのという感じがしました。ま、お仕事なんだからそんなものかもしれません。
 著者たちはべつに悪意があるわけではなく、正確にまとめて紹介してくれているのですが、岩波・朝日系の著者たちの進歩的議論にしばしばついて行けない私としては、それがバカさを際立たせるために紹介されているのではないかとつい思ってしまうときがあります。
 おそらくそんなことはなくて、著者たちはいたって真面目に大家の先生方の理論を紹介しているのだと思います。著者たちは多少ピンクがかっているくらいで、大学の先生としては標準的なイデオロギーだと思います。要はこちらのものの見方が歪んでいるわけです。
 これではちゃんとした判断ができそうにありませんが、冷静に見て本書は社会学の入門書としては実によくできた好著だと思います。ネットワーク理論もフォローされていて、主流派の先生方世よもはるかに守備範囲が広いと感じます。マニアックなところは気に入っています。社会学を履修する学生には読んでもらいたい本の一つです。

(有斐閣2008年2300円+税)

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2009年7月29日 (水)

日垣隆『「無駄な抵抗はよせ」はよせ』

 先日高校の同窓会に行ってきました。全員50歳記念同窓会ということで、32年ぶりに会ったりすると、にわかには誰だかまったく分かりませんが、顔の真ん中あたりを見ていると忽然と思い出したりするのが不思議で、お互いにジジババになりかけていて大いに盛り上がりました。
 中には18歳の時の記憶からすぐに特定できる人もいれば、着ぐるみを着たように太っていて「えーっ」て感じの人もいます。男性は太ると特にヤバい感じです。高校のとき体育会系で坊主頭が印象的だった連中は、今改めて坊主頭に近い髪型になっているので、一目で分かったりもしました。
 それにしても、さすがに50歳というのは老いの入り口にいるのは確かで、10歳以上若く見える女性陣でも名刺を出したら老眼で読めなかったりします。同期の学年ですでに物故者となった人も10名ほどいて、なるほどそんなものかなとしみじみさせられもしました。合掌。

 さてその同窓会の写真が先日内輪のサイトにアップされたのですが、冷静に第三者的な目で見てみると、明らかにそれなりの年配の人の集まりでしかありません。ところが、確かに、ほとんど知らない人なんかは単にどこかのおっさんだったりしますが、よく知っている友人は18歳のフィルターを通して見るので今写真で見ても18歳に戻るのが不思議です。
 当時の「女の子」たちにメールアドレスを聞きまくっては、3次会のバーでまめにメールを送っている不埒な友人もいて、半ば冗談とは言え、気持ちは分からなくもないと思いました。
 作家の中村真一郎が、自分が若い頃の50代の女性なんておばさんだと思っていたが、自分が50代になったらそうは見えなくなり、実は60代はもちろん、70代になったら70代の女性の美しさにイカレるようになった、というようなことをどこかで書いていました。老人ホームで恋のさや当てが高じて殺人事件が起こってしまうのも道理です。
 3次会までつきあっておっさん連中から昔話を聞くと、実は皆さん当時から結構「ビバリーヒルズ青春白書」みたいだったということも分かって、人間はいくつになっても行動パターンは変わらないことが少し実感できました。
 ただ、人気のある女性のタイプは、次第に見た目の美しさよりも、気立てがよくて明るいタイプで、思うに老後を共に暮らしていけそうなタイプにシフトしているような気がしました。 次の大きな同窓会は還暦同窓会になるそうですがそのときには「ビバリーヒルズ老年白書」もありでしょうか。

 ようやくここから本題です。
 老いていく肉体や精神にいかに抵抗するかというのがテーマです。結論からいうと、かなり抵抗できるようです。対談相手の日航の機長さんは60歳を過ぎても現役です。視力も含めてすべて20代の健康体の数値を維持しているとのこと。すばらしい。
 特に視力の維持回復のためのトレーニング3秒ずつ遠くを見ては近くを見たりすることを毎日5分間続けるだけだそうです。これはやらない手はありません。また、ウツ対策としてセレトニンの分泌を促すにはふつうに咀嚼したり歩いたりとリズミカルな運動をすることが効果的だそうです。結構ふつうのことですが、毎日やっているかというと結構そうではないのが問題の原因でもあるのでしょう。
 また、いわゆる「ナンバ歩き」が大腰筋を鍛えるために運動能力がアップするということも触れられています。東大の小林寛道教授によれば、「胸から下の動きにナンバ型フォームを取り入れることによって、飛躍的に運動能力を高めることができます。走りを速くし、ジャンプ力を高めることもできる。脚の筋肉に加えて、体の深部にある太い筋肉の力が加わることにより、これまで出なかったような強い力が出るのです」(117頁)とあります。
 これは私自身体感しています。30代後半は5分と持たなかったのに、ナンバをマスターしてからは、学生たちとバスケットボールのゲームが1ゲームできるようになりましたから。これは年をとってもかなりいけます。今後いろんなスポーツでどんどん実践してほしいものです。
 著者の日垣隆氏も毎日5キロのジョギングをしているそうで、さすが身体が資本のライターだけあります。見習うつもりです。でも、無理せずスロージョギングにしておきます。
 なお、最後の対談者岡田斗司夫氏のダイエットは無理がなくていい感じです。痩せたい方は必読です。何事も無理してストレスをためると効果がないことも分かります。

(ワック株式会社2009年857円+税)

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2009年7月28日 (火)

三宅久之『政権力 一国のリーダーたる器とは』

 テレビでは毒舌でおなじみの三宅さんですが、さすがに元新聞記者だけあって、文章は明快でバランスのとれた記述です。もちろん彼らしく言いたいことは言っていますが、番組でのイメージとはずいぶん違います。政権交代が実現しそうな昨今の情勢の中で、実にタイムリーな出版だと思います。
 戦後の吉田内閣から政治記者として様々な政治家とつきあってきただけあって、本人しか書けないような生々しい情報も多々盛り込まれています。その中でも田中角栄の斬新な発想と行動力は、歴代首相の中でも群を抜いていたことが分かります。
 本書は戦後政治家列伝にもなっていますが、自分が物心ついたときのあの政治家はこんなんだったかと改めて教えられることが多く、いろいろと興味深いものがあります。昔1987年から90年にかけてときの政治状況についてもそうです。私の記憶には竹下首相が交代したり、小渕さんが出てきたりというところがすっぽり抜けているので、記憶のリハビリみたいな感じです。
 そういえば、当時3年ぶりに日本のテレビを見たら、中高年の芸能人がみんな少しずつ老けていてぎょっとしたことを覚えています。何だか久しぶりの同窓会みたいです。同窓会と同じで、これもしばらくすると慣れてしまいましたが、無敵だった阪神タイガースが最下位を低迷するようになっていたのはもっと不思議な感じでした。きょうびまたそんな感じになりつつありますが。
 それにしてもはたして政権交代はなるのでしょうか。一番戦々恐々としているのは官僚かもしれませんが、意外に高をくくっているのかもしれません。政治家を操縦する手練手管をもってすると、当選2~3回程度の政治家ではとうてい太刀打ちできないそうです。
 こうした戦後政治の官僚支配が定着したのは吉田内閣が長期政権を維持し、当時の古参政治家たちに政権を返さなかったことがきっかけになっているということも、本書ではうまく描かれていました。
 さて、今度はどうなんでしょう。

(青春出版社2009年770円+税)

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2009年7月27日 (月)

勝間和代『無理なく続けられる年収10倍アップ勉強法』

 勇気づけられる本です。彼女がどうやって勉強してきたか、そして今も勉強しているかということが具体的に公開されています。基本的に勉強は楽しくないと続かないのですが、これを楽しくするためにいろいろと環境面からお膳立てする(投資する)ところから実にしっかり考え抜かれ、工夫されています。著者のサービス精神は本当に行き届いていて感心させられます。参考文献も学習機材も具体的にウェブサイトまで記載されていて、読者がたどりやすくなっています。
 「意志に頼らず仕組みで補えば勉強は必ず続けられますし、成果も出ます」(217頁)と言い切っているところがすごいと思います。なるほどそうでなければ、著者のように一年ちょっとの勉強で公認会計士試験に合格したりできないでしょう。著者の友人には独学1年とちょっとで司法試験に合格した人なんかがいるそうで、そのあたりは東大には少なからずいそうではあります。
 しかし、勉強自体には王道はないというのも著者の強調するところで、基礎を大事にした、しっかりした勉強の姿勢が大切だと言います。ラクしてどうのこうのというものではないところが信頼できます。面白いのは、短期間で成果を出す人に共通するのは「辛抱強く、半年間、基礎力をつけることに集中できる」ということだそうです。

 もっとも私は今後資格を取るような勉強はしないと思いますが、英語や速読についてはさらに自己研鑽を積みたいと思っていますので、やはりとても参考になりました。まあ、年収が上がることにはおそらく直結はしないでしょうが、英語でも本を書いて講義ができるくらいにはならなきゃ研究者も生き残っていけないご時世になりつつありますし。それに著書のマーケットが広がるというとらえ方をすると、ちょっと楽しくもなります。
 英語学習に関しては、著者の勧める英語のオーディオブックは面白そうなので聴いてみたいと思います。『チーズはどこへ消えた』なんかが英語も易しいそうですので、手始めに入手してみましょう。『ザ・ゴール』なんかも話として面白いので、オーディオブックで聴くのは楽しいかもしれません。カーネギーの『人を動かす』もあったと思うので、また探してみます。
 著者はこう言います。
「ブルーカラーの人が技術や体を鍛えるように、ホワイトカラーの人たちも、日夜、頭を鍛えないといけなくなりました。しかし、その頭の鍛え方、特にどうやって、わくわくしながら学ぶかというノウハウはまだ、うまく流通していません」(87頁)
 だからこそ本書が売れているわけですが、確かにそれだけのことは書いてあります。
 ただ、読者が本書を読んで感心しても、実践しないと意味はありません。こういうときは素直に著者の言うことをきいて努力しなきゃいけませんね。そうします。

(ディスカバー・トゥウェンティワン2007年1,500円+税)

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2009年7月26日 (日)

友枝敏雄・山田真茂留編『Do! ソシオロジー』

 初学者のための社会学入門書です。現代の社会問題に対する社会学的なものの見方を易しく具体的に述べた本です。教養科目の社会学の教科書として編まれた本のようです。
 ジェンダーやネオリベラリズム、グローバリズムやリスク社会論にもにもそれぞれ一章ずつ割かれていて、執筆者たちの今日的な問題意識が色濃く反映されています。記述が具体的なだけに政治色から無縁ではいられなくなるのですが、思想的にはリベラルで心情左翼的な人が多いようです。まあ、大学の先生に多いタイプですから、よほど保守的な人でなければ、あまり気にはならない程度です。
 各章に考察課題が二題ずつ付いていて、教科書としても使いやすいかもしれません。値段も手頃ですし、採用候補にいてれておきましょう。
 ただ、以前にもほかの最近の教科書を読んで感じたことなので、社会学会全体の傾向なのかもしれませんが、複雑系やカオス、行動経済学やネットワーク理論あるいは『ヤバい経済学』や『ヤバい社会学』のような各分野の最先端の問題意識がほとんど反映されていないのは気になります。せいぜい参考図書の欄で社会心理学者山岸俊男の『安心社会から信頼社会へ』(中公新書1999年)が挙げられているくらいです。これでも著者の見解が変化した『社会的ジレンマ』(PHP新書2000年)のほうが適切だと思います。
 本当なら何でもありのような社会学という分野も、こうしてみると思いのほか知的に閉鎖的な気がしますが、何か業界のお約束事でもあるのでしょうか。まさか斯界では一流とされる著者たちが揃いも揃って不勉強というわけではないでしょうし。
 いずれにしても、わが国にも社会科学全般にわたって幅広く関心を持っている読書人は少なからずいるはずですが、この業界が頑ななままだと、そういう人びとの関心はいずれ引きつけなくなると思います。

(有斐閣2007年1,800円+税)

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2009年7月25日 (土)

神田昌典監修『図解! あなたもいままでの10倍速く本が読める』

 フォトリーディングという一種の速読法の解説です。ただし、これは一般的な速読法とは無意識の潜在記憶を活用する点でまったく違います。本書を読んで、その考え方と仕組みはなんとなく分かりましたが、実際に講習を受けないと、本だけでは身につかないようです。
 ちなみに速読法は一般に活字を10~20字のまとまりでとらえながら読むというのが基本で、眼球のトレーニングによって次第に数行を一度にとらえることができるようになると、かなりのペースで本が読めるようになります。したがって、速読トレーニングにはたいてい眼球の運動トレーニングが含まれていて、何だか変な機械を用いてやると業者もあるようです。だいたい30万円くらいで1コースが修了するようです。
 ところが、フォトリーディングは、ぼんやりと見開き頁全体を見ながら1秒に1頁のスピードで頁をめくったりするので、はたから見ると驚かれることになります。もっともこの作業はリーディング全体の一工程に過ぎず、独自の集中法やチャートの作成も必要です。ただ読むだけではなくて、結構手間がかかるのは意外でした。
 これは単なる速読法ではなくて、要点をまとめたるトレーニングになり、たくさんの活字情報を処理する場合の武器になりそうです。おもしろいと思ったのはそうした思考法で、わかりやすい文章を自分で作成するときの方法につながると思います。本をその作り方から丸ごと頭に入れるということは、本を書くことのシミュレーションでもあるからです。ベストセラーを出すライターがしばしばこのフォトリーディングを実践しているというのは分かる気がします。
 というわけで、私もいつかインストラクターの指導を受けてみたい気もしますが、だいたい一回の講習で10万円かかります。微妙な値段ですね。思いきって自己投資すると新たな世界が開けるでしょうか。考えておきます。
 ところで、本書を読むのにはそんなに時間がかかりませんでしたが、この本だけではなく、教則本や技術指導の本あるいはスポーツのルールブックなどはフォトリーディングには向いていないように思います。小説なんかもそうでしょうね。使い方次第でしょう。

(フォレスト出版2005年1000円+税)

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2009年7月24日 (金)

新明正道『社会学史概説』

 岩波全書セレクションとして復刻された本ですが、初版は1954年です。今でも学説史のスタンダードとして読まれ続けているだけのことはあります。英米仏独だけではなく、イタリアやロシアの社会学説史まで視野に入っていて、その文献処理能力は並外れています。各国語文献の速読ができたのでなければ、ものすごい勤勉さで毎日朝から晩まで研究されていたのだろうと思います。
 こういう業績があってはじめて、先日読んだ『ブリッジブック』のような好著も出てこられるのでしょう。私立大学通信教育協会編の通信教育用テキスト『社会学』などは、学説史的記述に関してはほとんどそのまま引き写しているようなところがあります。そうでないところは文章がヘンだったりして、かなりのポンコツぶりですが、幸いにして品切れ絶版になってしまいました。それにしても、巻末に執筆者が本書を参考にしたとは断ってあっても、ちょっとヤバかったのではないでしょうか。
 もっとも、その代わりに来年のテキストを選定しなければならなくなったのですから、科目担当者としては大変ですが、学生にとっては木で鼻をくくったような解説の本がなくなって、幸せなことです。いい本を選びたいと思います。
 とはいえ本書は値段が張りすぎて、残念ながら候補からは除外せざるをえません。

(岩波書店2007年2800円+税)

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2009年7月22日 (水)

玉野和志編『ブリッジブック社会学』

 今日の社会学の入門書のほとんどが現実の問題を社会学的に考えるというスタイルをとっていますが、では大学に入って講義を聴いてみると、実は西洋の社会学理論にしょっちゅう言及しながら話が進められていくことに気づかされます。
 なーんだ、それならやはり学説史的理解は欠かせないだろうということで、入門書のスタイルでコンパクトな学説史が試みられているのが本書です。でも、とおりいっぺんのまとめ方ではなくて、マルクスによりもたらされた理論的刺激により、ウェーバー、デュルケーム、ジンメルのそれぞれの展開が柱になっている学説史的系譜がわかりやすく語られています。社会学の発想はこの御三家に尽きるとまで言い切っているところがすばらしい。
 かといって、その後の社会学者たちの仕事も丹念にフォローされて、その理解の仕方も要領を得ています。フーコーの議論の現実政治における意味もしっかりと指摘されていました。今までほとんど読んだことのなかったブルデューやギデンスの仕事についてはいろいろと教えられました。
 5人の著者による共著ですが、文体にも内容にもばらつきがなく、一人の著者が書いたかと思われるくらい読みやすくできています。相当念入りに編集作業が行なわれたのではないかと思います。また、章ごとの読書案内も初学者にとって実に有益です。
 いい本なので通信教育部における社会学のテキストに指定したいのですが、ちょっと値段が高いのが難点です。1500円~1600円くらいだといいのですが。

(信山社2008年2300円税別)

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2009年7月20日 (月)

プラトン『ソクラテスの弁明 ―エウチュプロン、クリトン』山本光雄訳

 この翻訳は初めて読みましたが、岩波文庫の久保訳よりもはるかに読みやすい文章です。家内が大学のゼミで読んだときの本ですから、さすがに紙もかなり日に焼けているのですが、活字の組み方も当時の文庫にしてはゆるくていい感じです。
 それにつけても本書の特に「ソクラテスの弁明」は何度読んでも味わいがあります。今私が取り組んでいる本の最後のところで悪法の問題に突き当たっているのですが、その点にこだわりながら読んでみるとやはり新たな発見があります。編集者もいろいろと適切な助言を与えてくれるので、最後の章の出来映えが少しはよくなりそうです。
 基本的な問題は法を守るということの積極的な位置づけです。正義は何かと問い続けていたソクラテスは、あくまで「無知の知」を実践していたわけですから、これが正義だというように何か固定的な正義について語っているわけではありません。そのことと、法に従って死刑判決を受け容れることとの関係はどうなっているのか、ということです。
 もっともこれは、自己の信奉する正義の御旗の下に権力に抵抗するという典型的な近代的反権力、革命思想と対比させてみるといいのかもしれません。不正に対して決して不正で応じないというのはそういうことなのだろうと想像します。
 もう一つは死についての相当にさっぱりした考え方で、それはこんな感じです。

 「すなわち死んでいることは二つのうちのいずれか一つである。つまり、それは全然存在しないようなもので、死んでしまっている人は何ものについてもなんらの知覚を持たないか、それとも言い伝えのように魂にとっては一種の転生であり、この世の場所からあの世の場所への転居であるか、である。そこで実際もしなんらの知覚もなくて、人がよく眠って夢さえ一つも見ないときの眠りのようなものであるなら、死はすばらしい獲物であるだろう」(96-97頁)

 これだと易々と死を乗り越えられそうな感じですが、だからといってさっさと実際に乗り越えられてもらっても、取り残された人は困るでしょう。その困った人たちの一人がほかでもないプラトンだったので、このような謎と魅力に満ちた本が残ったのでしょうね。

(角川文庫昭和51年改版)

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2009年7月16日 (木)

若林幹夫『社会学入門一歩前』

 何ともつかみどころのない社会学という学問を、つかみどころのないまま入門して、一歩進んでしまうというアバウトでかつ新鮮な入門書です。大学の社会学の履修者には是非読んでもらいたい本です。いろんな問題がいきなり論じられていて、きまじめな学生は面食らうかもしれませんが、思えば私も若い頃こんな感じで手当たり次第に本を読んで、サブカルチャーにも接してはいました。もっとも、私の方はこんな風に社会学的には考えてはいなくて、もっと雑念だらけでしたが、それでも何の因果か私も社会学と近い学問分野を選んでしまいました。
 著者とはあまり年も違わず、読んできた本がかなり共通しているので親近感がわきます。それでも巻末の読書案内にはいろいろと未知の面白そうな本が紹介されていますので、これからフォローしていってみます。許光俊『クラシックを聴け!―お気楽極楽入門書』なんて本が、題名とは裏腹に学問的に高度な内容だとのことで「騙されてこの本を読んだ人は幸いである」(232頁)とあれば、読まずにいられなくなります。
 語り口が優しい感じで、きっと大学でもいい先生なんでしょうね。著者の専門である都市論の本もいずれ読んでみるつもりです。

(NTT出版2007年1600円+税)

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2009年7月14日 (火)

『世界の大思想6 ベーコン』

 岩波文庫の『ノヴム・オルガヌム』に感心させられたので、帰納法についてほかに何か面白いことを言っているかもという期待をして「学問の進歩」「ノヴム・オルガヌム」「ニュー・アトランティス」の三巻が収録されている本書を読んでみました。
 結果としては「ノヴム・オルガヌム」の第一部と「学問の進歩」の後半部分に面白い記述がありましたが、それだったら岩波文庫で間に合っていました。ちょっと徒労感がありますが、ま、そんなものでしょう。ベーコンにしても、そうそう鋭いことばかり言ってもいられないでしょうし、帰納法というのが事物に語らせるものである以上、あまり理屈をこねくり回さなくてもいい、という側面があるのかなという気もします。
 ベーコンは氷に塩を混ぜると温度が氷点下に下がることを見つけた人でもあり、きっと科学的実験は大好きだったのでしょう。アイスクリームなんかは作ってみなかったのでしょうか。アリストテレスもよく読み込んでいて、実験の論理を支える思考法について様々な提言をしていますが、さすがにこのあたりは当時の科学の限界もあって、ちょっとついて行けません。ただ、文章の調子がいいので内容がつまらなくても、さほど読むのが苦痛になりません。
 本書でちょっと面白かったのは、未完ながらSF小説のような「ニュー・アトランティス」で、大アトランティス大陸が滅びた陰でひっそりと高度な文明を維持していたニュー・アトランティスというユートピアの話です。ベーコンにこんな側面があったんだと驚かされます。ガリバー旅行記のような毒に満ちたものではありませんが、それなりに楽しめました。名文家としてのベーコンの持ち味も十分に出ていて、これは是非とも生前に完成させてほしかった小説です。もっとも、この先をどんどん書き続けたら、かなりの長編になっていたはずですが、還暦を過ぎて書き始めて、65歳で没したベーコンには、そこまでの時間は残されていなかったのかもしれません。

(服部英次郎、多田英次、中橋一夫訳河出書房新社昭和44年)

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2009年7月 9日 (木)

J.S.ミル『コントと実証主義』

 A.コントの『実証社会学講義』はとても全部読む気になれない本ですが、ミルのような知性がしっかり解説してくれると助かります。しかし、実はコントに関心があって読んだのではなく、ミルが実証主義をどうとらえているかという点に興味があったので読んでみたのでした。ミルは有名な『論理学大系』において帰納法と演繹法を論じるにあたって、自然界の斉一性を重視していたことが知られていますが、実証主義も基本的に帰納法に依拠しているので、そんなことが書かれていないかと思って読んでみました。
 実際それは「継起の斉一性」という表現でちらりとは出てきましたが(63-64頁)、詳しくは『論理学大系』を見よとのことで、うーん、楽はできないようです。ただ、ほかに驚かされたのは、ミルがコントは科学哲学のうち、探求の方法すなわち発見の原理の追求において比類なき成果を上げたと評価しているところです。
 今までコントにそんな面白いところがあるなんて考えもしませんでしたし、中公の世界の名著あたりを読んでみても、そんなことは感じたことがありませんでした。ただ、本書の記述を読んでも具体的にどのようなことで優れているのかは今ひとつわかりませんので、また、コントについては読み返してみます。ただ、少なくとも清水幾太郎の解説ではまったく触れられていなかったのも確かです。
 ミルの記述は常識的で公平で好感が持てます。ただ、コントの思想が晩年妙な宗教を興し、全体主義的国家を志向するような思想を展開するのにはさすがに辟易している感じです。実際、自分が認めた本以外は有害なので焼き捨てよというコントの主張には改めて驚かされます。自由主義、多元主義をよしとするミルの主張はもっともですし、強引な体系化を進めようとするコントとはこのあたりではまさに水と油という感じですが、コントの思想の暴力性を窺い知るのにも役に立つ本です。
 そういえば、マルクスはコントのことをぼろくそに言っていましたが、体質的には近親憎悪だったのかもしれません。両者ともに自分の思想が同時代の決定版で、すべての問題に最終的解決を与えうるものだと信じていましたから。
 ただ、マルクスはヘーゲルを経由しているせいか、哲学的に深遠なものを感じさせる文体であることも確かです。そして、何よりコントほど荒唐無稽で無防備な議論ではなかったことが幸いしたのでしょう。

(村井久二訳木鐸社1978年1500円+税)

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2009年7月 8日 (水)

日下公人『日本人の「覚悟」 「芯」を抜かれた人は退場せよ!』

 いつもながら驚くべき博識と斬新な発想によって日本人に自信をもたせてくれる本です。実際、わが国の底力は相当のものだということは舶来好みのインテリの言論からはわかりません。著者のような人がいろいろと事実に基づいて語ってくれることではじめてバランスがとれるのかもしれません。もっとも、すべてのいいものは先進国からやってくると考えるのもまた典型的日本的な現象ではあります。
 感心させられたエピソードをいくつか挙げてみます。

  • 1891年に陸軍歩兵だった二宮忠八はカラスが羽ばたかずに滑空しているのをヒントにして、ゴム動力のプロペラ飛行機を開発し、滑走から飛行する実験に成功した。ライト兄弟の飛行に先立つこと12年前の出来事だった。
  • 江戸時代は、猫も年をとると人間の言葉が分かるようになると信じられていた。
  • 日本はオイルショック以降、省エネ技術が進み、石油輸入量が増えなかったため、これを当てにしていた当時のソ連は経済がガタガタになり、体制転換せざるをえなくなった。
  • 安部元首相は温家宝首相に「中国にも拉致問題はありますよね」と囁いて、思いっきり困らせたことがある。

 とまあ、こんなところに付箋を貼りながら読んでいます。情報や薀蓄は多岐にわたり、面白いったらありゃしません。
 ところで、日本の底力がすごいのは「友だちに誉められたらうれしいとか、互いに認め合う仲間の間で『すごい!』と感心されたいという欲求が満たされれば、日本人は低評価でも全力投球する」(96頁)というところでしょう。これが外国だったら、誉めるくらいなら金をくれということになりそうです。
 実際アメリカでは肩書きだけでなく、大学教授でも年収まで具体的に示さなければ、社会的に認められないそうで、(大学教授は年収は安いけれど企業からお金をもらえる有能な人は自分で研究所を作って羽振りがいいのです)このあたりは文献研究なんかやる人だと大変そうです。私なんか年収に関して同じ大学の教授から気の毒がられたことがあるくらいですから(その先生がもらいすぎているのかもしれませんが)、いずれにしても、ここがアメリカでなくてよかったです、ホント。

(祥伝社平成21年1,600円+税)

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2009年7月 7日 (火)

勝間和代『起きていることはすべて正しい』

 このタイトル、いいですね。新聞の連載記事で同じ言葉を著者が座右の銘としていることを知り、思わずつられて買ってしまいました。この点ですでに著者の術中に見事にはまっていたのかもしれませんが、この言葉、確かにその通りだと思います。自分だけがいつも正しくて、周囲はみんな間違っているという人は、たいてい独善的なだけで、そのことが原因で周囲からますます孤立するという悪循環に陥っているからです。
 本書を読むと、売れっ子には売れっ子になるだけの理由があることがよくわかります。実に積極的な人で、自分を売り込むだけではなく、周囲の人に多くのものを出し惜しみせずに分け与えることにも熱心なのです。これがまた好循環をもたらし、いろいろな優れた人びととの新たなコラボレーションを生み出すという仕組みです。
 本書の書き方も懇切丁寧に必要かつ有益な思考法や道具立てを紹介するということが徹底されていて感心させられました。巻末には参考文献リストや本人の用語集まで整理して掲載されています。ふつうならここまで手の内を明かさないというくらいのことまで書かれています。もっとも、この手の内を知ったところで、とんでもない努力が伴わないとうまくいきませんが。
 実際、本人は21歳で母親となり、正社員からパートに左遷されたり、子どもの耳鼻科通いでクビになりかけたり、本人がワーカホリックでメニエール病になったりと、もう大変な苦労をされているわけですが、これをすべてプラスに変えてきたというのですから、本当に頭が下がります。
 印象的だったのは、結婚や出産によって経験値が上がり、人間的な器が広がるということが説かれていることで、「仕事と家庭と両方あると、また別種の経験が広がるため、新しい気づきやメンタル筋力が生まれやすくなります」(51-52頁)と言っている箇所です。慧眼です。3人の子を持つシングルマザーでありながら、ここまで言い切れるところがすばらしい。
 また、具体的には仏教の「三毒」を追放するということで、「妬まない、怒らない、愚痴いらない」という心がけです。怒らないというのは私にとっては一番難しいところですが、これも最近加齢のためかずいぶん怒らなくなってきた気もします。
 いずれにしてもこのモットーは早速自分のものとして実行したいと思います。実際、妬んで怒って愚痴ってばかりなんてサイテーですもんね。このところ多くの人から有形無形の手助けをいただいて、本当に助かっています(ところで、昨日のヴィシュキ・アンドラーシュ氏講演会でご協力いただいた皆さん、ありがとうござました)が、これを意識的にモットーにすることで、さらにいいことが起きそうな気がします。
 また、このこととも関係しますが、一人だけの力では成し遂げられないことであっても、周囲の人びとの助けがあればできることがたくさんあります。そのためには、いかにして自分の応援団を作るかということが鍵となるのですが、これを著者は「Giveの5乗」という表現を用いています。つまり「自分ができることについては、なるべく多くの人に対して知恵なり、人脈なり、考え方なりを供給することを推奨しています」(316頁)ということなのです。
 5乗というのはすごいですね。私は2乗はおろか倍返しもできていない気がします。これも是非見習いたいと思います。といっても、私にはベストセラーを書く才能はないと思いますが、それでも自分なりの成功体験が増えることだけは容易に予想されます。
 また、著者は月に50冊から100冊の本を読んでいるとありますが、これも見習いたいところです。読書時間が毎日2時間キープできればこの数字は可能ですが、ただ、書籍代も月10万円から15万円ということで、これはちょっと真似のできないところです。私の場合は読む本がなくなってきたら「Book Off」ということにしています。
 いずれにしても今の状況を何とか打破する方法を考えながら自己研鑽に励むしかなさそうです。それにしても本当に勇気づけられる本です。

(ダイヤモンド社2008年1500円+税)

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2009年7月 4日 (土)

池田晶子『人生は愉快だ』

 本書の帯に「死んでからでも本は出る」とあります。実際本書も入れると9冊出ています。本書も第1章の172頁分が書き下ろしですから、著者はいろんな仕事を並行して進めていたようですが、それにしてもこの膨大な仕事量には改めて驚かされます。これだけ書けば、本人も仕事に関してはあまり思い残すことはなかったのではないかと想像します。
 本書の第1章というのは、古今東西の哲学者・思想家たち30人についてそれぞれ短くコメントしたもので、簡潔ながら著者独自の視点が異彩を放っています。たとえば、著者はウィトゲンシュタインのところでこう述べています。
 「たいていの人は、世界が在ることそのこと、自分が居ることそのことが神秘なのだとは感じていない。神秘はどこか別のところにあると思っている。だから科学でありオカルトなのだ。本当の神秘を感じた人は哲学をする。しかしこの哲学的天才の見ていたものを、続く研究者たちは見ていない。亜流は魂を受け継がない。天才の技術や方法を真似ることはできても、その天才を真似ることはできない」(141頁)
 その通りですね。そもそも仮に著者が亜流の研究者だったら、こんなに仕事はできなかったでしょう。そして、それはわが国の読書界にとってはまことに慶賀すべきことです。著者こそは哲学者の魂を受け継いでいる当の本人だからです。
 ここでいう哲学者の魂というのは、自信というものについての著者の考え方に現れています。つまり、「誰にとってもそうであるところの考え」は、自分一人を超えていて、「それが自分を超えていることを知っているから、人は自信をもてるのですよ」(202頁)と言います。オリジナリティとかどうでもよいところで成立しているのが自信です。結果的に自分というものがよく出ることにはなりますが、それはあくまで結果であって、目的ではありません。こうした考える姿勢と生き方が一致しているのが哲学者の魂なのでしょう。
 著者はちょっと早めに人生を完結させてしまったので、哲学者の魂としてはついに非の打ち所のないものになってしまいました。えらいことです。今頃おそらくあの世で過去の哲学者たちと談笑していることでしょう。

(毎日新聞社2008年1500円税別)

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2009年7月 3日 (金)

プラトン『ソクラテスの弁明 クリトン』

 やはりこれは何度読んでも名著です。ソクラテスのとんでもなく凄いところが、しっかりとらえられています。ただ、年齢がいってから読むと、文庫本の活字の小ささが目にこたえます。角川文庫版の山本光雄訳はどうかと思って見てみましたが、あまり違いませんでした。最近の文庫だともう少し大きい活字になっているかもしれませんが、これからも繰り返して読むつもりなら、結局のところプラトン全集を買っておくべきかもしれません。
 実はプラトン全集はかつて大学院の博士課程に進んだときに、研究の方向を再確認するために全部読んだのですが、意図がよこしまだったためか内容をあまり覚えていません。当時は『テアイテトス』が気に入ったという印象だけが残っています。図書館から借りて読んだので線を引いたり書き込んだりできなかったことも手伝ったかもしれません。
 そういえば後輩の大学院生で本にバツ印をつけたり批判を書き込みながら読んでいるN君という面白い人物がありましたが、今頃どうしているのでしょう。これは著者と対話するわけですから、なかなかいい読書法だと思いましたけどね。ウォーコップや福田恆存を紹介してくれた好青年でしたが、語学も抜群にできてドイツ語や英語の原書も自在に読みこなしていたのに、残念ながら大学という制度からは外れてしまったようです。

 さて本書ですが、やはり「一番大切なことは単に生きることではなくて、善く生きることである」(74頁)というくだりは何度読んでもいいですね。そして、不正には不正を、禍害には禍害を報いてはならないという議論にクリトンが素直に同意してしまうシーンも感動的です。もっともこのあたりはプラトンの創作でしょうけれど、それはそれでいいと思います。
 おそらく池田晶子が言っていたように、ソクラテスという人は決して自らの信じる正義に殉じたのではなく、正義や善を愛するにあたって、死というものはおそらく本当にどうでもよいことだったのでしょう。死は考えてもわからないし、考えられません。死を恐れる自分というものを考えると、死んでしまってからならそれは考えられないし、死んだ後に残る魂があれば、それはもはや死を恐れていないはずですし、とまれ、いろいろと考えてみて、文字通り死を恐怖しなかったのがソクラテスです。理解はできます。とりあえず。でもあまり苦しみながら死にたくはないなあ。
 やっぱり哲学者というのはかなりの変人です。ソクラテスはその後に続く哲学者たちの中でもとりわけ群を抜いています。哲学に興味がある人はまずはこのソクラテスのヘンさ加減をしっかり味わうこといいでしょうね。

(久保勉訳岩波文庫1927年1964年改版310円)

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2009年7月 2日 (木)

池田晶子『死とは何か さて死んだのは誰なのか』

 最後の「新刊」ということで、遺稿三部作の三冊目です。著者はソクラテスと同様に、「死とは何でもないものだ」と、また「ただ生きるよりよく生きる」ことが大事だと本気で思っていたようです。亡くなる直前まで、酸素吸入器をつけながら書いていたそうで、それは「よく生きる」ことにつながっていたのでしょう。
 著者は1990年の時点ですでに「禅の達人は、一切がただ可笑しくて、月を見ても呵々大笑するというではないですか」(45頁)と書いていますが、実際、こういう境地に達していたのでしょう。何事にも執着しないことで、かえって何事も楽しんでしまうというわけです。えらいものです。
 そして、この点がしばしばつまらぬことに執着しがちな大学の教授先生と大きく異なるところなのでしょう。これほどまでに自由闊達な、それでいて考える文体を獲得した哲学者は、わが国では坂田徳男くらいではないかと思います。
 思うに「哲学」というのは学と付いていますが、知を愛するという意味だけで、学(-logy)は不要です。おそらく舶来品の輸入にあたって体裁を整えるためにとってつけただけの話でしょう。最初、西周が希哲学と名付けたはずですが、いつの間にか「希」(こいねがう)の字もとれてしまいました。
 本当はフィロソフィーが「愛知」でもよかったのかもしれませんが、地名も人名もありますし、手垢が付いた感じがしたのかもしれません。そういえばフィロソフィーという地名や人名は外国ではあんまりないんじゃないですか。わが国では「哲学の道」とか「哲学堂」なんてのはありますが。
 いずれにしても、考えることが哲学からなくなってしまえば、ブランド品の輸入と変わりませんが、実際大勢はそうでしたからね。H大学の哲学科に行った先輩は、研究会で顔を合わせる東大の哲学の学生がみんな二言目には「東大です」と言うのを聞いて辟易していましたが、それは彼らに取ってみれば輸入業者なら大手一部上場の会社の方が有利だからでしょう。本当にできる哲学者はそうではないと思いますが、そういう人は大学の先生にはならずに市井でがんばっているのかもしれません。
 この点、著者は文筆業で一家をなしたわけですが、これもまたすごいことです。もちろん、これはこれでいろいろと大変だったようです。本書には大手新聞社系のビジネス誌で連載が見送られた没原稿なども収録されています。そこで著者は「哲学は役に立たない」と明言してはばからないため、編集部が気分を害したのだろうなと想像されますが、これも今だったらOKかもしれません。「哲学と人生とは、じつは真っ向相反する関係にあるのですよ。世の人ずっとそのこと勘違いしてきている」(51頁)という表現は味わい深いものです。哲学は実人生の立場からすると魅力的という以上に怖いものでもあるのですが、役に立つ哲学は怖くないどころか、そもそも哲学ではないのです。
 さて、著者はこう問いかけます。
「『正義』とは何か、『善』とは何か、それらを生き死ぬ我々とは、誰か」(214頁)
 この遺稿三部作がすべて同じ副題「さて死んだのは誰なのか」ですが、著者はいい問いかけを遺してくれました。多少なりともこの問いかけにこたえるべく、少しは発言もしてみたいとは思いますが、何より著者の魂に共鳴するべく善く生きなきゃいけませんね。

(毎日新聞社2009年1500円+税)

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2009年7月 1日 (水)

池田晶子『魂とは何か さて死んだのは誰なのか』

 この巻は遺稿集三部作の2巻目に当たります。テーマがテーマだけに、著者がこれを論じながらも、ついに論じきれないという苦闘の後が窺えます。魂というのは本人の意識や肉体を超えて、もっと本人らしいものなので、これは確かにソクラテスもプラトンもお手上げのはずです。しかし、著者が巫女さんのようになってみれば、感覚的にはしっくりくるものでもあるので、このテーマに惹かれるのはよくわかります。
 もっとも、これは答えがどうの語り口がどうのというより、その格闘ぶりに感心させられます。オカルトの方へは行かずに魂を語るなんてできないだろうと思っていましたが、実は本書には愛犬の存在とその魂がたっぷりと語られているのでした。編集の妙かもしれません。
 著者は「犬とは、犬の服を着た魂である。そして、人間とは、人間の服を着た魂である」(116頁)と言います。このコリー犬と著者のツーショット写真は目つきや表情がお互いに見事なまでにそっくりで驚かされます。これは明らかに二つの魂です。今頃あの世でいっしょに散歩しているのではないでしょうか。ついでながら、編集の中心人物の一人であるだろう著者のご主人の愛も感じられます。
 もう一つ感心させられたのは、デカルトの『情念論』からの引用です。それは「『嫉み』をいだく人びとの顔色が鉛色になりがちなのはなぜか」というくだりですが、デカルトが観察した以上のことを感じていることがわかって面白いと思いました。これを著者は「感情という精神の一作用の、塊(マッス)な感じ、不透明な感じをよくとらえていると思う」(231頁)と述べていて、それはそれで面白いのですが、このような何か黒々とした感じで大学構内をうろついている邪悪そうな魂というのもよく見かけるんですよね。なるべく遠巻きに観察して、近寄らないようにしています。くわばらくわばら。

(トランスビュー2009年1500円+税)

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