山本七平『比較文化論の試み』
私が短大で担当している比較文化論の授業ではしばしば具体的な異文化摩擦などの事例をとりあげることがありますが、その事例も徐々に入れ替えないと、学生はともかく、こちらが飽きてしまいます。そこで新しい教科書が出るたびに一応目を通してはいますが、そういつもいつも適切な事例があるわけではありません。
そもそも「比較文化」というタイトルの本があまりありません。これは大学のカリキュラムの中には存在しますが、実態は各大学の教養過程での英語教員の救済科目みたいなところがあって、正面切った原理的研究のようなものは比較文化という形ではあまり書かれていないようです(「異文化コミュニケーション」というタイトルでは、異文化摩擦の事例なら最近はかなり出てきましたので、それはそれなりに重宝していますが)。
それで、比較文化論という形でネット検索で最初に引っかかってくるのがなんと本書だったりするのです。本書は以前読んだことがあり、記憶ではちょっと違う感じの内容だったと思いはしましたが、この際また読んでみました。
しかし、あらためて読み直してみると、わかりやすくていい本でした。事例として面白いのは、日本人とユダヤ人が遺跡の発掘をしていて、人骨の処理をしていると、決まって日本人が気分が悪くなってくるのに、ユダヤ人はなんともないというエピソードで、著者はここから臨在感(背後に何かが存在するという感覚)の違いを論じていきます。ちなみにユダヤ人は聖地や聖所に臨在感を抱くようですが、日本人については、そうしたことまったくないわけではないにしても、さほどでもないようです。
要するに、ある文化に所属する人には共通する感じ方のパターンがあり、そのことを事実としてまず知ることと、それが何なのかということを異文化の人に対して説明することが必要なのだという話です。実際、比較文化論の目的はこれに尽きています。
対立概念で物事をとらえるというのも西洋文化に特徴的なことですが、これはもともとすべてを一元的にとらえるセム人の文化に、イランから二元論が入ってきて影響を受けながらも、対象はあくまでも一元的に考えるという思考方法で、そこにヘレニズムの多数決原理も加わったものがローマ法として規定された、なんてことがあっさりと書かれていて(92頁)、大変に刺激が強い本です。
基本的にこの図式は間違っていないと思いますが、いろいろと自分なりに確認したい点もあります(イランの二元論ほうが早いのではないかとも思いますが)。いずれにせよ、とりあえずたくさんの宿題をもらった気になる本ですが、この機会に再読しておいてよかったと思います。
(講談社学術文庫1976年刊1992年19刷420円)

