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2009年8月30日 (日)

山本七平『比較文化論の試み』

 私が短大で担当している比較文化論の授業ではしばしば具体的な異文化摩擦などの事例をとりあげることがありますが、その事例も徐々に入れ替えないと、学生はともかく、こちらが飽きてしまいます。そこで新しい教科書が出るたびに一応目を通してはいますが、そういつもいつも適切な事例があるわけではありません。
 そもそも「比較文化」というタイトルの本があまりありません。これは大学のカリキュラムの中には存在しますが、実態は各大学の教養過程での英語教員の救済科目みたいなところがあって、正面切った原理的研究のようなものは比較文化という形ではあまり書かれていないようです(「異文化コミュニケーション」というタイトルでは、異文化摩擦の事例なら最近はかなり出てきましたので、それはそれなりに重宝していますが)。
 それで、比較文化論という形でネット検索で最初に引っかかってくるのがなんと本書だったりするのです。本書は以前読んだことがあり、記憶ではちょっと違う感じの内容だったと思いはしましたが、この際また読んでみました。
 しかし、あらためて読み直してみると、わかりやすくていい本でした。事例として面白いのは、日本人とユダヤ人が遺跡の発掘をしていて、人骨の処理をしていると、決まって日本人が気分が悪くなってくるのに、ユダヤ人はなんともないというエピソードで、著者はここから臨在感(背後に何かが存在するという感覚)の違いを論じていきます。ちなみにユダヤ人は聖地や聖所に臨在感を抱くようですが、日本人については、そうしたことまったくないわけではないにしても、さほどでもないようです。
 要するに、ある文化に所属する人には共通する感じ方のパターンがあり、そのことを事実としてまず知ることと、それが何なのかということを異文化の人に対して説明することが必要なのだという話です。実際、比較文化論の目的はこれに尽きています。
 対立概念で物事をとらえるというのも西洋文化に特徴的なことですが、これはもともとすべてを一元的にとらえるセム人の文化に、イランから二元論が入ってきて影響を受けながらも、対象はあくまでも一元的に考えるという思考方法で、そこにヘレニズムの多数決原理も加わったものがローマ法として規定された、なんてことがあっさりと書かれていて(92頁)、大変に刺激が強い本です。
 基本的にこの図式は間違っていないと思いますが、いろいろと自分なりに確認したい点もあります(イランの二元論ほうが早いのではないかとも思いますが)。いずれにせよ、とりあえずたくさんの宿題をもらった気になる本ですが、この機会に再読しておいてよかったと思います。

(講談社学術文庫1976年刊1992年19刷420円)

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2009年8月29日 (土)

ウエイン・W・ダイアー『ダイアー博士のスピリチュアル・ライフ』

 自然や宇宙との一体感を感じ、そのエネルギーを受け止めて発揮できるようになれば、奇跡のような偶然と幸運に巡り会うことができるようになるというのが本書のメッセージです。
 確かに穏やかな心持ちで毎日を送り、笑顔を絶やさず周囲の人びとに善行を施し続けると、その人自身のうちに宇宙の無限のエネルギーを呼び込むことになるのかもしれません。実際、マザー・テレサは生前のインタビューで「今まで一度もお金に困ったことはない」と言っていました。困りそうになると世界のどこからか必ず救いの手が差しのべられたそうです。
 周囲に変な人や困った人がいても、その人たちは自らの魂を磨くための名教師だと思わなければならないそうですが、これはなかなか抵抗があります。大学のようなところは一般企業以上に変な人ばっかりですよ、とはサラリーマン経験者の職員の談ですが、実際、教師とは呼びたくないような大学教師ばかりです。これは魂を磨くチャンスにあまりにも恵まれすぎているというべきでしょうか。
 しかし、とにかく自分の心がけ次第でどうにかなることは思いの外たくさんあることを教えてくれる本です。やはりこの世は魂の修練の場のようです。スピリチュアリズムの人びとはみんなこの感覚を持っているようですが、こう思えたとたんにすでに問題の多くが解決しているように思われます。
 本書で理想とされ、著者本人も実践している生き方には、禅宗の修行で高い境地に達したお坊さんのような快活さがあります。何を見ても「呵々大笑」という感じで、周囲の人びとも幸せにしてくれるような人になれるなら、こんなすばらしいことはありません。
 一番印象に残ったのは、著者がイスラム神秘主義のルーミーを引き合いに出しながら、私とあなた、彼、彼らというのは「神秘主義の庭では区別することができない」と述べていることです。私たちが皆深いところでつながっているという認識は重要で、その不思議なつながりこそが、あのマザー・テレサを助けてくれた人びとのそれであり、また、私たちの自発的なネットワークを支える当のものでもあるのでしょう。
 本書には自分の日々の心がけを大いに反省させられますが、ふだん口の悪い私でも悔い改めればいいことが起こるでしょうか。それも、ただ批判がましいことを口にするのを我慢するだけではダメですね。かえってストレスをため込んでしまいます。むしろ、根本から相手の幸せを願うような人格にこちらが成長しなければならないのでしょう。
 イメージで言うなら、宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」の中の「イツモ静カニ笑ツテヰル」という感じでしょうか。でも、あれだってあくまでも「そういう人に私はなりたい」のであって、なってよかったねという話ではありません。なっていたらもはや詩人でなかったのかもしれませんが。
 いずれにせよこれは日暮れて道遠しです。でもそうやって奇跡が起こってくれるなら、やってみる価値はあります。それに、何はともあれお互いにハッピーなほうがいいですから。まあ、私に関していえば、修行は明らかに不足していますが、少しだけでも近づくように努めます。
 ところで、この本がアメリカでベストセラーになるというのは、ちょっと不思議な気がします。同じくベストセラーであるD・カーネギーの名著『人を動かす』と似たところがあります。しかし、要するにベストセラーといってもこれを買った人が本当に読んでいるかは疑わしいですし、仮に読んだとしても、その通り実践できる人はほとんどいないということなのでしょう。でなければあんなにしょっちゅう他国に戦争を仕掛けないでしょう。

(渡部昇一訳三笠書房2005年1300円+税)

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2009年8月28日 (金)

日下公人『[ベストセレクション]未来の読み方 明日が見つかる7大法則と51の小法則』

 新刊なので早速入手して読んでみましたが、2004年の『時代はいつもこう変わる』とほぼ同じ本でした。インターネット上で入手すると、こういうことがよくあります。でもまあよしとしましょう。
 というのも、著者の本は何度読んでも感心させられるところがあるからです。今回も以前読んだはずなのに新鮮な驚きを覚えた箇所がありました。こちらの問題意識も徐々に変わっているせいだと思いますが、今回は演繹と帰納をうまく説明しているところに感心させられました。
 すでに正しい理論や法則ができていて、これを適用していくのが演繹法で、わが国の教育はこれ一辺倒だという指摘には唸らされました。確かにこれは文化輸入国に適している思想ですね。外国人タレントの言ったことや行なったことを追いかけていればすむわけですから。
 これに対する帰納法は、あらかじめ答えが決まっているわけではないので、とにかく材料を集めて仮説を練ることになります。しかし、この世のどこにもないことを考え出していこうとすれば、帰納法によるしかないというのは確かで、そのこと自体はイギリスのJ.S.ミルなんかが指摘していることでもあります。
 日下さんのすごいのは「帰納法は無駄が多いが、そのかわり楽しい思考法でもある」という指摘です。材料から何を抽出するかは人それぞれで、それは感覚的な考え方であるとも述べています。そして「その中で宝石のようなアイデアにぶつかり、仮説が次の発見に結びついていく。つまり、帰納法こそ文化の時代の思考法、先端国の思考法なのである」(147~148頁)というわけです。
 これは科学的発見の現場の空気をよく伝えていると思います。この「楽しい」というのがとりわけ重要です。あのノーベル賞を受賞した島津製作所の田中さんはこんな感じで実験に取り組まれていたのではないでしょうか。
 このところミルやさらにはベーコンにさかのぼって、このあたりの事情を調べていたのですが、本書からいい指針を得ることができました。感謝です。

(PHP研究所2009年1,000円税別)

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2009年8月27日 (木)

木村藤子『幸せの風が吹いてくる』

 本書の帯には「青森の神様」と書かれていますが、これは本人は心外でしょう。本当は透視能力者です。人はみんな修行のためにこの世に生を授かり、自分の欠点や悪い行ないに気づいてはそれを改めることで幸せになれるというメッセージです。
 江原啓之の本もそうですが、人生論としては実にまっとうなことをおっしゃっています。要するに努力しなさい、そして、勉強しなさい(教養を積んで知的世界を広げなさい)ということなのです。
 著者のもとには全国から相談者が大勢来るそうですが、中にはすべてを解決してくれる「神様」と期待して相談に来る人もいるようで、本書にも出てきますが、ときには泣き叫ばれたりして苦労しているそうです。有名になるとそうしたわかっていない人びともたくさんくるのでしょうね。
 著者によれば、先祖の祟りのようないわゆる「霊障」は滅多にないとのことで、ほとんどは自分の行いが原因となっているとのことです。結局はこの世での因果応報ということです。本人の努力で何とかするしかありません。
 ところで、もしも本当に霊障だったり、不成仏の霊にとりつかれたとしたら、南無阿弥陀仏を唱えたり、般若心経を唱えたりするとよいとのことです(81頁)。このあたりなんとも面白いところです。わが国は昔から神仏混淆でしたが、こういう伝統的な神様もこれでいいんですね。天皇家が早くから仏教に帰依していたからでしょうか。そのパワーは全国に及んでいるようです。
 著者のような人がかつては全国の村々にいて、人びとの悩みを聞き、相談を受けていたのでしょう。すぐに金を請求するインチキなのもいますが、そうじゃない人がもっと増えることで、日本人の宗教意識が改めて確認されることになれば、今よりずっといい世の中になりそうな気がしますが、どうでしょう。

(主婦と生活社2009年1200円+税)

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2009年8月26日 (水)

荒川洋治『世に出ないことば』

 著者の文章を読むといつもいい気持ちにさせられます。実にいい文章なのです。本についてのエッセイでは、とり上げられた作家の本を無性に読みたくなります。単行本としては値段が高めの本ですが、必ず買うようにしています。気がつけば新刊が何冊か出ていたので、またぼちぼち買いそろえるつもりです。
 本書で紹介された作家の中で気になったのは、オコナー、シュティフター、ホーソン、わが国の作家では黒島伝治や三浦哲郎です。名前は聞いたことがあったのですが、著者の紹介が見事なために読書欲をそそられます。
 また、あまりにも著名でも読んだことのなかった『ドン・キホーテ』も「セルバンテスは四〇〇年たっても、それ以上たっても人間を『とらえる』ものの正体をさきがけて書ききった・・・幻想の谷間で生きる人間の姿はすみからすみまで、その光も影さえもほろにがい」(111頁)という風に紹介されると、読まなきゃなという気にさせられます。
 著者にはいつも独特の目の付け所があり、その何ともいえない柔らかな語り口と相まって、一般的な文芸評論家の書くものとはまったく異なる世界を開いてくれます。伊藤左千夫の『野菊の墓』の最後に、亡くなった民子の死を悼む大勢の人が登場するシーンがあるのですが、「こんな人もいたのか、と思う。泣くことで、はじめて、この小説に姿をあらわす人たちもいるのだ」(203頁)と言います。著者がこういうところに注目するということ自体に新鮮さを覚えます。
 著者は、作品を評価しようとつねに身構えている批評家の態度とはまったく違って、作品世界に入り込んで、そのことばの世界を味わい、楽しんでいます。この姿勢が貫かれているからこそ、こちらの読書欲も刺激されるのでしょう。

(みすず書房2005年2500円+税)

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2009年8月25日 (火)

日下公人・武田邦彦『つくられた「環境問題」 NHKの環境報道に騙されるな!』

 わが国は1990年にはすでにほとんどの環境問題は解決していて、実際にその頃には公害病の新規認定患者がいなくなっていたそうです。なるほどそういわれてみれば、当時は確かにそうした言葉をとんと聞かなくなっていました。
 武田氏によれば、生産力拡大によって出た利益を環境整備に投資できるようになり、これに技術革新が加わってなされたことだそうです。節約や規制といったことではなかったというのも面白いことです。役所はむしろ新たな環境問題をつくり出すことで、利権の拡大を狙っていたようです。
 日下氏の発言で初めて知ったことは、1972年のストックホルムでの国連環境会議で、当時ベトナム戦争で枯れ葉剤を使用していたアメリカが、国際的な非難をかわすために日本の捕鯨問題を打ち出したという事実です。会議開催の前夜にアメリカは鯨の大きな模型をつくってきて、会場周辺で「日本人はクジラを食う」と宣伝し、ストックホルムの街中をクジラだらけにしてしまった(32頁)そうです。クジラの問題にもこんなウラがあったんですね。
 とりわけ武田氏の議論は、今日の環境保護団体からはまるで蛇蝎のように嫌われていますが、南極の気温が地球温暖化を取りざたされる今日でもまったく変わっていない(どころか多少寒冷化している)という点と、南極の氷の量も変わっていないという点については、事実として認めなければいけないでしょう。実際、NASAやIPCC、WMO(世界気象機関)やUNEP(国連環境計画)が一致して認めていることですから。
 これを認めない筆頭がNHKでIPCCの報告書に書かれていることも無視して、南極の氷が溶ける扇情的な映像を繰り返して流しています。でも南極の周辺部ではいつも氷が溶けているのです。仮に温暖化したら水蒸気の量が増えて、それは南極ではすべて雪として降ってくるので、実は温暖化すると南極の氷は増えるとはIPCCですら渋々認めていることなのだそうです。
 たぶんNHKではエライさんの思い込みを正せる人が局内には存在しないのです。昔ナベツネの親友だったエビジョンイルなんて人がいましたが、今もそんな感じの人が各部署で幅をきかしているのでしょう。一党独裁体制みたいですね。
 まあ、元々NHKに限らずマスコミというのはインチキ体質なのでしょうが、いくらなんでもこれは事実がはっきりしていることなのに、保身に走りすぎでしょう。役人や御用学者じゃあるまいし、侠気のある人物はいないのでしょうか。学校秀才ばかりを採用するからこんなことになるんじゃないですか。

(ワック株式会社2009年857円+税)

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岩下宣子・吉村景美『これが美しい「食べ方」のマナーです ケース別[ふるまい方]』

 マナーの本として実によくできています。単なるべからず集ではなく、歴史的な期限やどうやったら美しく見えるかというノウハウが、わかりやすいイラストとともに適切に説明されています。
 通読してみると、やはり知らなかったことや誤解していたことが多くて勉強になります。和洋中の基本マナーはもとより、料亭や茶会に招かれたときにも本書に目を通しておくときっと役立つと思います。また、各章末に○×問題があるのも理解を助けてくれます。
 結局のところ、マナーというのは相手や周囲の人に対する心遣いが基本となっているので、いろいろな人に具体的に優しく接するためのガイドラインだと考えると、単なる作法の暗記にとどまらない広がりを持つと思います。
 それぞれのマナーを覚えることも重要ですが、ただそれらを機械的に暗記するのではなく、その背景にある心遣いを会得することで、未知の事態にも適切に対処することができるようになることでしょう。
 通信教育のスクーリング授業では、CAを志す各地の専門学校生たちに講義をすることもしばしばありますが、講義の話題とは別に、彼女たちにはぜひ一読を勧めたいと思います。もっとも、すでに教科書か何かになっている可能性もありますが、聞くだけは聞いておきましょう。
 著者たちは「現代礼法研究所」というのを設立していますが、実際、この分野はうまく展開すると、いろんなところから引く手あまたになるかもしれません。マナー講師というとエドはるみのギャグみたいですが、各大学の就職指導講座でもしばしば登場しますもんね。専門的知識はともかくマナーだけでもしっかり教えていると、企業には歓迎されます。いっそカリキュラムの実質を礼儀作法だけにしてしまってもいいくらいです。

(亜紀書房2007年1300円+税)

 

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2009年8月24日 (月)

ジョン・ロック『人間知性論(四)』

 ようやく第四巻を読み終えましたが、この巻が一番興味深かったです。といって、四巻から読んだとしても、脈絡がわからないでしょうから、やっぱり楽はできないのかもしれません。
 ロックの経験論は人間が直感的に真理を認識できるという事実が前提とされていて、その経験を確実なものとして構成しているので、ヒュームのように癖とか習慣で観念連合が自ずとできあがるとかくいうのではなく、そのあたりは実にはっきりしています。経験を言語との関わりで論じていても、不安になることがありません。出発点が合理論的なのはちょっと奇妙な感じもしますが、題材はあくまで経験の範囲なので、本人としては何も矛盾を感じてはいなかったのだと思います。
 ロックは信仰の人としての立場も鮮明で、信仰によってできることとそうでないこととの違いもしっかりとわきまえていて、要するに一級の哲学者です。もうちょっとたいしたことないのかと勝手に思っていましたが、とんでもないことでした。結果的にカントに近い部分もありますが、もっと生真面目な感じがします。
 この点ではカントはもっと冗談の分かる人だと思いますが、ロックは戦闘的でかなり生真面目なので、あんまり余裕がない感じです。レトリックなんか大嫌いのようですし。しかし、それだけロックのほうが論理的に突き進むところがあります。下手に冗談を言うと怒られそうですが、哲学としては魅力的なところがあります。
 翻訳については、これだけのものを本当によく訳されたと思いますが、独特の訳語にはなじみにくいものも少なくありませんでした。「真知」knowledge, 「理知」reason, 「理会」understand, (でしょうか、索引に載っていません)「複雑観念」complex idea  とか、もう少し現代的にやれそうですが、新訳が出てくれるとありがたいですね。いずれにしても真剣に取り組むのなら、原書に目を通しておく必要がありそうです。
 さて、以前にも書きましたが、マイクル・ポランニーの『個人的知識』はこのロックの影響をかなり受けている気がします。宗教的立場も近いと思いますし、そのあたり誰かちゃんと論じてくれる人はいないでしょうか。

(大槻春彦訳岩波文庫1977年800円+税)

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2009年8月23日 (日)

谷沢永一・渡部昇一『人生の難局を突破し、自分を高める生き方。』

 九州に出張していました。専門学校の学生はどこも減少気味ですが、かえって学生の質は良くなってきているような気がします。思いのほか講義に集中する姿勢ができていました。通信教育は何といっても一般学生のレベルが一番高いのですが、専門学校生で短大の通信教育過程を併修する学生も悪くありません。
 モチベーションに一番問題があるのは通学過程の学生たちで、教える側にとってもあまりにストレスフルで心身ともにダメージを受けますので、今年は私は通学部の兼任授業をすべて外してもらいました(本当は事務職兼務を外してもらいたいところですが)。

 さて、本書はいつもの二人の対談本です。戦前戦後の大阪や山形県鶴岡の状況がわかって貴重です。とくに鶴岡は明治政府に最後まで降伏しなかったところで、報復を受けなかった藩士たちは西郷隆盛に恩義を感じて西郷南州遺訓を書き溜めたことでも知られています。ユニークな土地柄のようです。
 また、当時のタバコ屋のおばあさんのような縁談の「聞き合わせ」をする人は、お見合い相手を銭湯で待ち伏せして「下調べ」をするのが当然とされていたというくだりには驚かされました。これは世間の圧力の強さの具体例として覚えておこうと思います。
 なお、井伏鱒二の主要著作がことごとく盗作だったというのは谷沢さんが実証したことだったのですね。それにもかかわらず、多くの関係者が迷惑するせいでしょう。みんなあたかもグルのように口をぬぐっています。インターネットで検索してみるとなるほどいくつか記事も出てきます。猪瀬直樹なんかもはっきり指摘しています。
 それにしても、井伏鱒二が唐沢某とかT口ランディみたいな作家だったとは知りませんでした。文化勲章までもらっている大作家なので、これでは引っ込みがつかない関係者がうじゃうじゃいるはずです。ちなみに、この井伏鱒二現象と東京裁判を結びつける渡部氏の発言が、早速インターネットのブログ上で盗作されていたのは笑えました。新聞の投書欄もしばしば剽窃が行なわれますし、記者も他紙の記事をそのまんま書いて問題になったりすることがありますので、剽窃にはもはやアマもプロもない感じです。
 ご本人たちは平坦な人生を送ってきたといっています。そりゃまあ確かに動乱の時代ではありませんでしたが、それでもお年寄りの話を聞くことはやはり興味深いものです。人生の難局を乗り切るヒントに満ちているだけでなく、雑学も増え、日々の生活が楽しくなるような気がします。

(PHP研究所2002年1,300円税別)

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2009年8月18日 (火)

斉藤英治『頭の回転が良くなる10倍速読術』

 速読術の本はどういうわけか速く読めてしまうのが不思議です。著者の頭の構造が反映してわかりやすく書けるようになるからでしょうか。
 それはともかく、本書はかなりベタというかストレートなタイトルですが、内容はまともです。フォトリーディングやキム式のように超能力的なものではありません。私がやってきたのもこの方法です。
 著者は20種類以上の速読法を実戦してみて、これを基本とすることにしたようですが、右脳や直感を使うというタイプの速読法も否定しているわけではありません。いろいろ使い分けるといいというわけですが、一番普通の読書の延長に近いのが、この視点移動を基本にした方法だそうです。なるほど。
 実際、右脳や直感といっても、簡単にはマスターできそうにないのですが、つまらないと思った本は即座にやめるか、ぱらぱらとめくるだけにするというのも大事なことだという指摘は(これも右脳や直感の働きです)、本を一冊読まなきゃという強迫観念から解放してくれるので、気が楽になります。
 ま、速読術と言っても大量の情報を処理しなければいけない評論家やノンフィクションライターのような人は自然に身につけているようです。その方法を意識的に分析してみたのが本書のいいところだと思います。速読術に関心のある人は、特に講座なんかに通わなくても、まずこの本を読んでみるといいと思います。良心的な本です。

(KKベストセラーズ2002年1300円+税)

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2009年8月17日 (月)

絲山秋子『沖で待つ』

 昔、ハンガリーで小学生に2年間日本語を教えたことがありましたが、そのときの教え子の一人が日本語と日本文化を専攻するようになり、今年同書のハンガリー語訳を出版しました。おめでたいことです。作家のもとに足を運んでかなりきっちりとした仕事をしたように見受けられます。
 実際、確かに日本人の生活を知るには、なかなかいい小説です。日本の会社の馬鹿げたところや、とてつもなく下品な上司が出てくるところなど、実によく分かる部分がありますが、これも外国人には興味深いところかもしれません。思えばかつていくらか読んだハンガリーの現代小説も、ちょっと似たところがあります。ハンガリーでは小説が社会誌みたいになっていたときもありましたしね。
 わが国でも現代社会の風俗を写しているだけで芥川賞の要件を満たす傾向がありますが(審査員の作家先生方は自由業生活が長いせいか世におもねるところがあって「社会性」とか「現代性」という言葉に弱いようです)、これに文章のうまさというか独特の文体が加われば受賞間違いなしでしょう。もちろんそのハードルは決して低くないのですが、ただそれだけだと正直あんまり面白くないのも確かです。
 この点で、芥川賞を真剣に狙っている人にとって、小説を書くこと自体が何だか苦行のようになっているのではないかという気がしますが、どうでしょう。何で自分のではなくあの作品が、と思いながら見えない壁に突き当たっているなんてのはつらいことでしょう。心なしか芥川賞作家ってあんまり幸せそうな顔をしていないように見えます。
 これにひきかえ、直木賞作家やは何だか楽しそうです。賞とは今のところ無縁のように見える西加奈子などは、書くことを思いっきり楽しんでいる様子が行間からにじみ出ているというか、躍り出ているという感じです。いわゆる「純文学」って何なんだろうと思ってしまいます。ただ、いずれにしても作家本人にとって、これを書かざるをえなかったという迫力がある人は強いのだろうと思います。
 さて、本書は三編の短編から構成されていますが、ハンガリー語訳のほうは収録作品が五作あり二つしか重なっていません。どうやら別のアンソロジーになったみたいです。どれもが文句なく楽しいというタイプの小説ではありませんが、意外にウケるかもしれません。
 この中では一風変わったおとぎ話風の書き方ですが、三編目の石原慎太郎をモデルにした「しいはらぶんたろう」の人物造形は秀逸でした。これは結構笑えます。
 いずれにしてもハンガリーでも多くの読者がつくことを願っています。元教え子の仕事も増えて、いい作品をどんどんハンガリーに紹介してほしいと思います。

(文春文庫2009年457円+税)

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2009年8月16日 (日)

ジョン・ロック『人間知性論(三)』

 第3巻は言葉の使い方と正しい意志伝達についての議論が中心です。真偽の問題は命題のそれであるという発想がちらりと出てきたりするのは、言語分析のさきがけといえるのかもしれません。事物につくような単純な観念が連合したり、複雑な観念になったりするのは全部人間の側の都合だというところはロックらしいところですが、実体論的根拠がなくて唯名論的認識だけでもその実在性を人が疑っていない例として、「霊」の存在を挙げていたりするのは現代的でなくて面白いところです。実際「諸霊」の問題としていくつかの場所でページを割いてさえいます。思えばカントまでは霊魂の不滅は真剣に考えられていましたが、哲学が科学に近づこうとすると、この種の問題は避けられるようになるのかもしれません。
 正しく物事を認識し、正しく相手に伝えるためには事物につくことと、言葉の誤用を避け、定義をしっかりすることだというのが単純化した本書のメッセージです。この点でロックは法学や政治のレトリックは認めていないどころか目の敵にしてさえいます。しかし、表面的には単純ですが、実は懐は深いものがあります。
 というのも、事物につくために必ずしも知性が役に立つわけではないことをロックはよく知っているからです。たとえば、
「実在の本質を洞察したとすこしも称さず、実態的形相に苦労もせず、事物の可感的性質で事物相互を知ることに甘んじる無知な者が学識ある慧眼の人々に比べて、すなわち、事物をたいへん深くのぞきこんで、奥深く隠れた本質的なある事物についてたいへん自信をもって語る学識ある慧眼な人々に比べて、事物の違いをしばしばいっそうよく識り、事物を使うところからいっそう見事に区別でき、それぞれから期待してよいことをいっそうよく知ることができるのである」(168頁)
という感じです。
 そういえば、マイクル・ポラニーがロックを結構高く評価していたのは、このあたりの感性を評価してのことだったのかもしれません。

(大槻春彦訳岩波文庫1976年第2刷1997年760円+税)

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2009年8月12日 (水)

岩下壮一『カトリックの信仰』

 15年ぶりのハンガリーはいろいろと面白かったです。その変化には驚かされることがたくさんありましたが、ハンガリー人のハンガリーらしさは健在でした。それぞれの場所で懸命に生きている友人たちにはいろいろと勇気づけられました。国は違っても同じような問題意識を持ってがんばっている友人たちは、15年後の自分の姿かもしれません。少なくともそうあるように努力しなきゃ。感謝です。

 さて、本書は日本から持ってきた本ですが、900ページ以上ある文庫本で、ちょっと旅行に持って来るには重たかったです。しかし、日本語の本の少ない環境でしか読めないと思って持ってきたのは正解でした。
 本書の理論的記述には見事な説得力があり、その語り口はどこか日本人離れしています。私が言うのはおこがましいですが、とんでもなく頭のいい人だったのだろうと思います。プロテスタントあるいは無教会批判も舌鋒鋭く、きわめて熱い人でもあったということがわかります。カトリックの良質の部分が凝縮されたような本です。私のような不逞の輩でも『公教要理』をしっかり読まなければという気にさせられます。やはりヨーロッパ理解の鍵ですからね。
 私の大学院時代の恩師のT先生は、著者のゼミに出たことがあり、後光がさしていたと仰っていました。きっと信仰と知性が一体となって輝いていたのだと思います。そんな人はおそらく世界的にも稀有な存在だと思いますが、きっと、わかる人にはわかったのでしょうね。

(講談社学術文庫1994年2000円)

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2009年8月 6日 (木)

ジョン・ロック『人間知性論』(二)

 2日から12日までハンガリーに出張中なので、更新が滞りがちになります。毎日チェックしてくださる皆さんにはお断りしておきます。すみません。
 15年ぶりのハンガリーはお店が増えていて、車が外車ばかりになり、西側の町と変わらなくなってきました。ただ、建物の外壁の多くは昔のままで、特に修復も色の塗りなおしもなくそのまんまというところは変わっていません。まだ確かめていませんが、1956年当時の市街戦の弾痕も意図的に残したままかもしれません。
 街の人びとの雰囲気は、失業者が高い割にはさほど荒れた感じはしません。先日は食糧の無料配給の行列を見ましたが、落ち着いた感じではありました。ボランティアなどは以前からごく自然に行なわれるので、こういうときの相互扶助の精神はスマートだなあと感心させられます。
 小学校でも「日持ちのする乾燥パスタなどがあったら家から持ち寄ってください」といった感じの寄付活動があったりするという話を、ハンガリー在住の日本人の知人が教えてくれました。地域の教会なんかもこうした活動は始終やっていて、構えたところがなくていい感じです。マスコミなんかまったく意識していません。元派遣労働者が10人未満だったという噂の日比谷公園の派遣村とはずいぶん違う感じです。
 もう一つ気がついたのはハンガリー人の若者たちの平均身長が伸びている感じがすることです。こちらが加齢に伴って縮んだのかと思ったくらいで、雲を突くようなというのは大げさですが男性で190cm、女性で180cm前後の若者をずいぶんたくさん見かけるようになりました。栄養状態が良くなったのでしょうか。
 社会主義体制のころ、お金のない学生や若手研究者がかなりひどい食生活をしていましたが、今はどうなんでしょう。誰かハンガリーの知人に聞いてみるつもりです。
 1980年代後半からハンガリーには旅行や留学でお世話になりましたが、当時の指導教授もまだご健在で何よりです。このところ同窓会づいていましたが、これもまた同窓会みたいな感じです。

 さて、ロックですが、出発前に読んだので記憶を頼りに書いています。読んでいて訳語に引っかかるところがいくつかありましたが、単純な観念から理性のみならず感情のはたらきも構成されているということを、かなり詳細に論じています。デカルトを意識しながらかなり挑発的な議論を展開しているように感じました。
 引っかかった訳語で今覚えているのは「有意的」という言葉で、注を見ると volition (意志、意欲)という原語だそうで、確かにこの言葉を適切な表現にするのは難しいのかもしれません。しかし、本当はこういうときにこなれた日本語にするのが翻訳の醍醐味なのではないかと思いますがどうでしょう。
 帰国したら第三巻と四巻を一気に読んでしまうつもりです。時間を置くと以前の議論とのつながりを見失いがちになるので、かえって非能率的です。それで、全体を通読してから、改めて感想をつづります。
 なお、滞在中には持参した別の本について書く予定です。

(大槻文彦訳岩波文庫)

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2009年8月 2日 (日)

星新一『人民は弱し 官吏は強し』

 星新一のお父さんの伝記小説です。タイトル通りのお話で、自身の起こした製薬会社の経営を官僚組織が手を変え品を変え嫌がらせをし、会社の経営を立ち行かなくさせていく様子が見事に描き出されています。うんざりする内容ですが、著者はさすがに小説家です。読者を飽きさせない語り口は見事です。
 本書を読んで、官僚は仕事をしないというのは神話だということが分かりました。人を陥れたり罠にはめたりという仕事ならおそらく寝る間を惜しんでアイデアを出し、驚くべき集中力を発揮しているのだろうと想像されます。畏るべし官僚軍団。ゆめゆめ甘く見てはならないということですね。
 わが国を本当に支配してきたのはやはり官僚組織ですが、同時に民間の築き上げてきた資産を食い潰してきたのもその同じ彼らだったということが、本書を読めばよーく分かります。
 今は政権交代が現実味を帯びてくることで、少しそこに風穴が開きつつありますが、彼らの悪知恵はすでに民主党政権のその先を見ているのではないかと想像します。
 それにしても主人公の星一さんは立派です。官僚からどんなに執拗な嫌がらせをされても、いつも快活で、決して泣き言をいわず、へこたれません。戦前の官僚は今よりはるかに威張っていたようですが、たいしたものです。でっち上げられた事件でも彼が最高裁で無罪を勝ち取るに至ったのは、日本の司法界のトップが当時健全であったことを物語っていて、多少ほっとしました。(今は知りませんが、かのロッキード事件は最高裁の試金石だったはずでした。残念。)
 しかし、政界、マスコミを挙げて官僚に操られているというのは、戦前からあったんですね。読んでいて思わず今のことかと錯覚してしまったほどです。
 それにしても、当時も今も、官僚はスマートで表にあまり出てこない気がしますが、たまにテレビなんかに出てきたら、案の定とんでもない卑しい顔をしていて驚かされます。本人は気がついていないでしょうけれど、あれは人生経験を積んだ大人の目には明らかにバレていますよ。「うわ、ひどい顔だね、こりゃ」と思わず口走ってしまう人が全国のお茶の間には少なからずいると思います。
 しかし、この小説に出てくるようなことをずっとし続けてきたら、あんな顔になってしまのも道理だな、と思えてきます。

(新潮文庫昭和53年476円税別)

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2009年8月 1日 (土)

ポール・R・シーリー『あなたもいままでの10倍速く本が読める 常識を覆す速読術「フォトリーディング」』

 翻訳者の神田昌典氏が書いた図解の本を読んで、「フォトリーディング」についてさらに詳しく知りたくなったので、読んでみました。文字情報が多いため、より細かく具体的に分かります。しかし、実践しなければ意味がないと思って、ロックの人間知性論の手つかずになっていた第2巻を読んで(フォトリーディングして)みました。
 まずは就寝前に、目次と各章の見出しを眺めてとりあえず頁を全部目に入れてみました。それで、翌朝20分くらい速読の3倍くらいのスピードで頁をめくってみたところです。読もうと思わないのがコツなんですね。そうすると不思議なことに、この時点ですでに問題意識が本の中に入り込んでいて、そこから読み取りたい情報が現在頭の中にある状態です。読みたくて仕方なくなってきています。
 この調子で今度はスピードをコントロールしながら霊魂や自由や意志の問題をロックがどう論じているか確認していく予定です。すでに「心」の問題についてのロックの論じ方について、なるほどと思わされる箇所がありました、っていうのは、すでにページをめくっただけですでにこうした情報が入ってきているのです。
 これに加えてさらにマインドマップという図を描きながら読んでいくと、本の内容はほぼ再現できると思います。全体の作業に合計30分くらいかかりますが、こうして一冊を読んだという具合になるのがフォトリーディングのようです。この感覚は実に不思議です。これでいいんだろうかという一抹の不安もありますが、この読み方で頭の中にヴァーチャル読書空間が生まれてくるような感覚は確かにあるので、今のところその面白さのほうが勝っている状態です。ちょっとオカルトっぽい感じもしますが、悪い感じではありません。
 フォトリーディングは辞書や単語集にも応用がきくそうですので、それも早速試してみます。辞書を読むってありなんですね。この読書法は、要は人間の脳のとんでもない潜在能力を生かす方法のようです。これはオーソドックスな速読法とはまるっきり発想が違います。講習を受けなくて独学でどこまでやれるか分かりませんが、やれるだけやってみて、このブログでも経過を報告したいと思います。

 思えば今まで自分の身体を実験台にしていろんなことをやってきましたが、ナンバ走り、視力回復トレーニング、スロージョギングは確実に効果があります。別に私は健康オタクでもないのですが、結果的に体調がよくなると仕事もはかどりますので、健康診断の結果が思わしくない人や仕事の能率を上げたいと思っている人にはお勧めです。
 そういえばこのサイトも、もとはといえば、オーソドックスな速読法によって電車の中で読んだ本について書いているわけですから、まあ、いわばを実験台にする趣味の一環なのでした。
 やってみて損はないと思います。どれも楽しいですよ。

(神田昌典訳、フォレスト出版2001年1300円+税)

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