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2009年9月21日 (月)

橋爪大三郎『永遠の吉本隆明』

 著者と勢古浩爾の吉本隆明論はいつか読もうと思っていましたが、出張先でたまたま本書を入手したので読みました。いわゆる団塊の世代より上の人たちはみんなかなり影響を受けていたようですが、どのように影響を受けていたのかよくわからないところがありました。本書を読むと、なるほどと思われるところがありました。
 以前恩師の一人の栗本慎一郎が深夜番組に出ていて「選挙になんか行かない」と言っては司会の愛川欽也から「大学の先生がそんなことを言っていてはダメでしょ」とたしなめられていたのを覚えています。思えば栗本先生はその当時のスタンスは吉本隆明のそれと同じだったということがわかりました。著者はそのあたりのことを次のようにまとめています。
 「吉本さんは、権力を無化するための社会思想を、いわば幻のようなものとして構想し、生涯にわたって追求しなくてはならない、という大きな代償を払ったと思うのです。とても良心的で、潔癖で、野心的な試みだけれども、よしんばこの試みがうまくいったとしても、けっして制度をつくるものにはなりません。政党もできませんし、地域社会もできないし、NGOやNPOもできないし、要するに何もできないのです。ということは、この世の中でそれをつくるのは、吉本さんのようにはちっとも考えない別な人たちだということになるので、結局、自民党が政治を握り、官僚が日本を動かし、株式会社が勝手に儲け、そして若者は商業的な文化に溺れているという、そういう現象と並行的な思想になるのです。そういう現象を、指をくわえて見ているしかない。これが、団塊の世代の無力感です」(35頁)
 これなら投票に行くこともあり得ないですし、しかし高貴な社会思想に取り組んではいるので、吉本隆明の影響を受けた知識人は確信犯的に投票に行かないということがあったのだと思います。(その点では栗本先生は数年後に衆議院議員に立候補して当選することになったわけですから、思想的には劇的な変化があったのでしょう。そのあたりからフォローしていないのでわかりませんが。)
 さて、今回の政権交代については吉本隆明も栗本先生も一体どのようにこれをとらえているのでしょうか。ちょっと興味があります。結局官僚支配をどのように脱することができるかということが今後のポイントでしょうけれど、著者の本書での官僚理解はちょっとユニークなので、以下に引用しておきます。
 「官僚というのは、人民、市民のニーズに基づき、彼らから税金をもらって、彼らの役に立つことをエージェント(代理人)として行なう。最小の税金で、最大の効果を上げようという、パブリックサーバント(公僕)です。ところが日本の官僚は、人民、市民から距離を取れば取るほどよいと考え、自分が手にしている行政上の権力に、限りなく魅惑されている。そして人事の面でも、予算の面でも、政党や議会の制約なしに活動できたら、どんなにいいかと思っている。そこで特殊法人をつくったり、
既得権益を手放すまいとしたりして、自己運動していくわけです。そして何が大事で、何が大事でないかということが理解できない。その方向感覚を失っていますから、基本的にはオタクなのです」(98-99頁)
 そう、官僚オタク論です。しかし、思えば、私企業も役人化していて、わが国の隅々までこのニヒリズム的傾向が広がってしまっているのですから、官僚だけを嗤ってすませるわけにはいきません。その意味では、今回の政権交代がニヒリズムを克服するための第一歩となることを願いたいところです。著者もそう思っているのではないでしょうか。

(洋泉社2003年720円+税)

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