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2009年9月15日 (火)

吉本隆明『ひきこもれ―ひとりの時間をもつということ』

 本書のタイトルはいいですね。著者が幼いころから基本的にひきこもり系の人だったことも語られていますが、ひきこもって得意なことに集中し、10年くらいがんばれば、誰でも何かになれるし、そこから群れずに自立して生きていきなさい、というメッセージは素敵です。
 著者はいつもゆっくりゆっくりと力を込めて思索している人ですが、直感ですべてをつないでしまう傾向があるので、ときどきどうして?というところがあります。『言語にとって美とは何か』では、原始人がはじめて海を見たとき「う」と言ったとかいうのは気合いでしか語ることができないことがらです(私の後輩の一人は「み」はどこから出てきたんだと突っ込みを入れていました)。言語の起源が気合いだとでもいのなプロレスラーみたいでいいですけどね。
 いずれにしても、著者のインタビューに基づいた本は話し言葉のリズムが感じられて、独特の味わいが出てきます。たとえば内臓の働きに関係のある第二の言語なんてのは、論じられると皆目わからなくなるところですが、肉声で語られると、そんなものかなという気がしてきます。
 論理的でなくても説得力があるのは「人間の性格は胎内で人間として身体の器官がそろって働くようになった胎児のころから一歳未満の乳児のころまでのあいだに、主に母親との関係で大部分が決まってしまう」(42頁)という主張で、言われてみるとそんな気がしてきます。親の影響もこの頃にこそ決定的なものなので、たとえば親から子へと自殺願望が転移するということになるようです。
 もっとも、これを克服するのが子のつとめだとも思います。シモーヌ・ヴェイユの言うように、仮に人が無意識で人を殺したいと思っているならそれを明るみに出して、なおかつ「そんなことをしてはいけない」と禁止すればいいのです。これがまた新たな抑圧を生むというのは、フロイトが科学コンプレックスから当時の先端理論だった「エネルギー保存の法則」を自身の分析理論に適用しようとしたからです。
 ただ、著者はそうした場合でも無意識に気がつくことから始めなさいと言うことでしょうね。というか気がつかないと何も始まらないからです。まあ、こういうのはどちらが正しいというものではないのでしょう。解釈の物語として何を選択するかということだと思います。著者も魅力的な思想家ですが、わたしはヴェイユを選びます。

(大和書房2002年1,400円+税)

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