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2009年9月 9日 (水)

橋爪大三郎『はじめての言語ゲーム』

 ヴィトゲンシュタインの本は大学院時代に『論理哲学論考』を原書で読んで、割と最近『哲学探究』を読んだところです。解説書はまったく読んだことがなかったので、本書がはじめての解説書です。
 ヴィトゲンシュタインの生涯と業績を丸ごととらえて適切な解説がほどこされています。単なる解説書ではなく、著者の思想形成にも大きな影響があったことがあらためてわかり、橋爪大三郎のこれまでの仕事の位置づけもわかるようになっています。なるほどこういう具合につながっていたのか、と読者としては二重の楽しみがえられます。
 そもそも私はヴィトゲンシュタインに関しては長い間『論理哲学論考』の印象だけでやり過ごしていたので、「言語ゲーム」の重要性を教えられたのは著者のいくつかの著作を通じてのことでした。
 だから、著者が以前からポストモダニズムに批判的だったのは知っていましたが、著者による言語ゲームの理解がポストモダニズム思想のような価値相対主義に陥らずに、意味と価値の生まれる土台を記述し研究する方向に行くというのは深く納得がいきます。
 ちなみにこの著者の立場が山本七平の比較文化論的考察のそれと結果的に近くなるのは面白いと思いました。それは世の中の人びとが疑問を抱かずに行なっている行動=事実を把握し、その根拠をことばにすることで、文化の軛から少し自由になるとともに、その行動に新たな試みを加えていくことが可能になるというものです。
 思えば著者の師匠の小室直樹は山本七平の影響を強く受けていますから、ぐるっと一周した感じがしますが、そうした考え方が「言語ゲーム」と相性がいいとは気がつきませんでした。しかし、そもそも人びとがそれと気づかずに当たり前のこととして行為しているというのが言語ゲームなのですから、当然といえば当然ですね。
 法哲学者のハートのことや、イスラム教や大乗仏教のことも著者の他の著作ではおなじみですが、ここであらためて整理されてみると、全部見事につながってきます。もちろん思想家といっても一人の人の考えですからどこかでつながっているのが当然でしょうけれど、大家ほど前期中期後期と分けられるのが世の習いのようになっています。
 こういうのは研究の便宜上そうなっているだけでも、大学院生なんかが「後期ヴィトゲンシュタインをやっています」とか言うと、周囲の人だけでなく本人も安心したりするわけです。ひょっとしてわが国の哲学プロパーの人たちには「みんな自分で考えることだけはやめておきましょうね」という暗黙の了解があるのかもしれません。
 その点さすがに著者は只者ではありません。本書では前期も後期も一貫して考え続けたヴィトゲンシュタインの姿を浮き彫りにしていて見事です。著者はヴィトゲンシュタインが、『論考』に不完全なところがあって、「語りえぬことについては、沈黙しなければならない」という命題が無効になったので、「じゃあ哲学を続けられる」(99頁)という具合に解しています。ヴィトゲンシュタインがこうして言語ゲームへと近づき始めると説明されると、確かに前期後期もすんなりとつながります。なるほど。
 ヴィトゲンシュタインに影響を与えた書物としてトルストイの『要約福音書』が挙げられていたので、最後の著作である『確実性について』と併せて読んでみるつもりです。

(講談社現代新書2009年760円税別) 

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