橋本治『小林秀雄の恵み』
小林秀雄の『本居宣長』が出た頃、私は大学の3年か4年だったと思いますが、今に至っても読んでいません。あの頃はとんでもないベストセラーでしたが、当時はベストセラーは読まないことにしていたので、手をつけませんでした。でも何だかとっても難解だということも聞いていたので、敬して遠ざけるという感じでした。
当時は吉本隆明の『共同幻想論』や埴谷雄高の『死霊』も難しくて高級な感じがしていましたし、フランス現代思想もぼちぼち翻訳され始めていたので、何だかインテリと大衆との間にめちゃくちゃな開きがあるものだという幻想があったように思います。
この点で橋本治はわからないものはどこの何がわからないのか、わかる点はとことんわかるということを徹底して考えて、きっちりと書いてくれる人なので、本当にありがたい人だと思います。
本書でまず驚かされたのは次の比喩です。
たとえて言えば、小林秀雄は私の親しい「じいちゃん」である。「また学校で、先生に怒られた! 友達に笑われた!」と言って帰ってくる孫の私に、「なんだ、そんなこと気にするでねェ。昔の人はな、こういうことしてたんだぞ」と言って、とんでもなく難解な例を持ち出して慰めてくれるー(183頁)
そして、「じいちゃんの言うこと」を「じいちゃんの言うこと」として直視した著者は、「なに言ってんだよ、じいちゃん。じいちゃんの言うこと違ってんじゃねェかよ」と思うようになってしまったと言います。そして、「そんな考え方をせざるをえなかったじいちゃんの孤独を見てしまったのである」(184頁)ということで、著者は『本居宣長』の再点検をするわけです。
小林秀雄の難解さにこうした文章でとことんつきあうのが著者のすごいところで、小林秀雄は明らかに美のポイントがわかっていた人ですが、じいちゃんから見たら孫に当たる橋本治もここを外していません。美がわかるということにおいて二人はあらゆるガクモンを敵に回し、共犯者のように連帯しているように見えます。
本書は難解な『本居宣長』の注釈だけで終わってもいい本ですが、最後に小林秀雄の思想家としてのすごさが次のように書かれています。
なにかを説くから「思想」なのではない。思索にとって必要なあり方を体現しているから「思想」なのである。小林秀雄は、彼を必要とした日本人に対して、そのようなあり方をしていた。小林秀雄は、彼を必要とした日本人にとって、仏だったのである(403頁)
ここまで言葉を到達させるのが著者の畏るべきところです。いつも著者の本は丁寧にすべてを言い切ってくれますが、これは半端なくすごいと思いました。
普段訳のわかりにくいものを書きがちな私にとっても、いろいろな意味で励ましてくれる本でした。私も彼らと連帯して、ガクモンやインテリを敵に回してがんばろうという気にさせられます。
(新潮社2007年1800円税別)
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