ベーコン『ノヴム・オルガヌム(新機関)』桂寿一訳
大阪で通信教育部の学生さん相手に集中講義をしてきました。大阪は初めての経験ですが、さすがにしゃべくりの本場で、ジョークに対する感度が実にいい土地柄なので、気分よく3日間を過ごすことができました。
私も小中学生自分はと大阪の学校にお世話になったこともあって波長が合うのかもしれませんが、明らかに東京とは笑いのポイントが違います。違うだけではなくて、ポイントがたくさんあるようです。次は名古屋で、その次は東京です。教える科目が比較文化論というのがちょっとできすぎた話みたいですが、本当です。フィールドワークを兼ねてやっています。
さて、本書を読んだのはこれで3度目です。最初は今ひとつピンときませんでした。二度目はかなりわかってきました。三度目の今回はまた新たな発見がありました。さすがに古典というのは奥が深いもので、論じ甲斐があります。
今、自分の研究としては帰納法についてちょっと考えてみようとしているところですので、こうして何度も本書を読み直しているわけですが、帰納法というのは考えれば考えるほど変な論理です。論理ではあっても理論ではなくて、手続きにすぎないように見えながら、実はそのことがかえって正確な直感や奇抜なアイデアを呼び込むという効果があるようなのです。
実は、19世紀末から20世紀初頭にかけて、ハンガリーのブダペストからやたらと科学的発見や新技術の発明が出てきたという科学史上の事実があるのですが、そのとき流行っていた思想は論理的には帰納法に基づく実証主義で、理論的としてあまり面白とは言えないものでした。簡単に言って、そんな詰まらない思想から驚くべき発明や発見が出てきたのは何故なのかが気になっていたのでした。
でも、考えてみれば、自然界のすべてを貫き、人間を含む森羅万象を完全に説明できる大思想・大理論があれば、後はその法則に従って自然を解明していくだけで、自動的に新たな発見や発明も可能になる、というようなことはありません。ヘーゲルの理論を下に物理学上の発見をした人がいるというような話はないわけです。
そういえば、J・S・ミルは演繹法では原理から出発するので論理の枠内のものしか出てこないが、帰納法は事実から出発するので、新たな発見を伴うことにならざるを得ないと言っていたそうですが、それはそうです。発明や発見というのは理論でやるものではないようです。
なお、本書でよく知られているのは人間の抱きがちな幻想・妄想(イドラ)が学問の妨げになるという議論ですが、ベーコンの帰納法についての断片的ながら鋭い考察にはもっと驚かされます。
「推論によって立てられた一般命題が、新たな成果の発見に役立つことは決してあり得ない。なぜならば自然のもつ繊細さは、推論のそれを何倍も越えるものだから。しかし個々的なものから正当に順序立てて抽出された一般命題は、逆に新たな個々的なものを用意に指示し・提示し、したがって諸学を働きあるものにする」(77頁)
というような表現はすでにミルを先取りしているようです。
今度は別の翻訳と原書を対照させながら検討してみます。
(岩波文庫1978年、2005年第13刷660円+税)
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