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2009年10月21日 (水)

ヘルムート・プレスナー『ドイツロマン主義とファシズム 遅れてきた国民』松本道介訳

 最近松本道介の本を読んでいないなあと思いながら自宅の本棚を眺めていると、以前買っておいた本書が目に入ってきたので、この際あらためて読んでみることにしました。
 名著です。特に前半はドイツ人の著者によるドイツ文化論、ドイツ精神論として見事です。そこには自己省察と自己批判の苦しみを伴った勇気ある批評精神が息づいています。
 随所にへぇーっと思わされる指摘に満ちていますが、カトリック対啓蒙主義という緊張関係を経験していないドイツは、近代の道具立てがしっくりこず、常に「遅れてきた」感情を抱いてきたというところは、ハンガリーの思想家I・ビボーの主張とも重なっていて興味をひかれました。プロテスタンティズムからロマン主義という流れも、この啓蒙主義ショックから来ているというのは新鮮な指摘です。ビボーがプレスナーを読んでいたかどうかは調べておくつもりです。
 また、ドイツ人の立場からみると、第一次世界大戦後の民族自決運動の中で彼らだけがオーストリーと分断されたと感じていたことがわかりました。この視点は今までまったく気がつきませんでした。
 ところで、著者によればドイツになかったとされる啓蒙主義ですが、この思想というのは人間性に対する無条件の信頼(というより信仰)に支えられているので、宗教の代用品にもなりうる(もちろんあくまで代用品でしかない)のですが、何より人びとにそこはかとなく自信を与えるというはたらきがあるようです。
 よって、フランス人はもちろん、啓蒙主義を曲がりなりにも経験した国民は、全体にあまり根拠のない自信を持っているように見えます。ハンガリーやポーランドなんかはその部類に属するのではないでしょうか。
 というようなことはもちろん本書には書かれていませんが、そうした想像をもたらしてくれるような記述なのです。繰り返しも多く、整理された語り口ではありませんが、魅力的なところがあります。
 というわけで、本書で歴史と宗教の関わりから述べられることについてはかなり面白いと思いますが、どういうわけか、著者の本来の専門である哲学については、今ひとつ盛り上がりに欠けました。マルクスとキルケゴールのところはまだしも、カントとヘーゲルを論じたところは何について論じているのかがピンと来ずじまいでした。
 私自身カントもヘーゲルもそれなりに読んできたつもりですが、なんだか論じられている事柄が歴史や宗教のようにはしっくり来ないのでした。どうしてでしょうね。ドイツ人の思想家にとってカントとヘーゲルは重石のようなもので、何を考えていても常に思考の足かせになっていると聞いたことがありますが、著者にとってもそうなのかもしれません。
 翻訳者が言うように、著者のプレスナーは「自らの哲学(哲学的人間学)よりも、哲学史家あるいは精神史の批判的考察者としてその力量を発揮した人なのではないか」(365頁)との指摘が当たっているように思います。
 とはいえ本書が名著であることは間違いありません。前半部だけでも十分にショッキングな面白さが味わえます。読んでおいて損のない本であることは確かです。また、訳文と解説には松本道介らしい息づかいが感じられて、彼のエッセーのファンとしては嬉しい限りです。

(講談社学術文庫1995年1000円)

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