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2009年10月 6日 (火)

内田樹『昭和のエートス』

 1960年代の初めまで、私たちの周りに「真ん中でぽっきり折れた」人生を抱え込んだまま戦後社会を生き抜かねばならない人びとが多く存在した、と著者は言います。戦後の風潮に軽々と乗っていけた人ではなくて、戦前と戦後の自分に折り合いを付けることが難しかった人びとというのは確かに存在しました。先輩のお父さんがそういう人でした。私の先生の一人にもそういう人がありました。著者によれば吉本隆明や江藤淳などは紛れもなくそういう人だそうです。
 だから、昭和的なものを回想するとき著者はいたたまれない気持ちになると言いますが、それと同時に、「1950年代から60年代初めまでに日本社会に奇跡的に存在したあの暖かい、緩やかな気分を『昭和的なもの』として私は懐かしく回想する」(31頁)とも言います。それは私も多少分かります。あれは高度成長時代にどんどん失われていって、第一次石油ショックあたりでその息の根が止められたのでしょう。あの時代の雰囲気はアニメの「となりのトトロ」や「クレヨンしんちゃん:オトナ帝国の逆襲」なんかにもよく出ています。「三丁目の夕日」なんかもそうですね。
 昭和人の「いたたまれなさ」というのは私には想像の範囲でしかありませんが、先生を通じて多少は想像できるだけましかもしれません。暖かくて緩やかな昭和的なものは自分の子ども時代に多少経験があります。著者は1950年生まれなのでちょっと見方が違いますが、それでもある意味では同世代なのかなという気がします。元々世代は10年ではなくて30年が単位ですから、、そう思えば著者と私などは当然同世代です。
 本書はエッセー集なので他のほんとな言いようが重なるところも多々ありますが、冒頭のこの昭和論は読み応えがありました。本書のタイトルにもなっているだけのことはあります。それと、最終章の「アルジェリアの影」というカミュ論はよかったですね。こういう角度から論じたものは初めて読みました。言論以前に行動が正しかった思想家なんていないだろうと思っていたら、カミュがそうだったんですね。
 ただ、267頁で「弱冠二九歳」という表現があるのはいただけません。著者の文章には時々あまり一般的でない外来語が説明なく使われますが、これらも「弱冠」と同じような使い方だったとしたら、一種のこけおどしと解釈せざるを得なくなります。これからもファンをやめることはないと思いますが、ちょっと残念です。編集者もしっかりしておくれなもし。

(バジリコ株式会社2008年1600円+税)

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