八杉龍一編訳『ダーウィニズム論集』
ダーウィンの『種の起源』登場後の様々な議論が手際よく編集された本です。当時の学問、思想状況を知るのに便利です。まあ、読んで面白いものばかりではありませんが、ジョン・デューイの「ダーウィニズムの哲学への影響」という論考は、さすがに哲学者らしくこういう議論の料理の仕方に一日の長があります。まず、文章の流れがいいという点で際立っています。今までデューイのものを面白いと思ったことはなかったのですが、今回ちょっと見直しました。
また、ダーウィンよりも早く別個の脈絡でハーバート・スペンサーが進化論を提起していたことも知ってはいましたが、論考を本書で読むことができたのは収穫でした。ここに書いてあったのか。スペンサーの退屈で膨大な量の諸著作の中から探し出す手間が省けました。
なお、ヘッケルの論考の中で「比較言語学の分野での新しい発見」として「言語は、近くにある物体の指示やまた欲求をあらわすのに役立ったわずかの単純な獣類的の音声から徐々に発達してきたものです。若干の未開民族ではこんにちでもなお、言語はあまり完全でない形態のままにとどまっています」(110-111頁)とあります。当時の比較言語学はかなりレベルが低かったのでしょうけれど、こんなところに西洋人の先験的優越意識が現れているのは面白いと思います。
実際のところ、当時の植民地政策の中で、諸民族の言語はこんな風にランク付けされていたのでしょうけれど、そうしてみると、進化論というのも西洋人が自分たちの優越性を確認する議論として待望していたとみることができそうです。だんだんとそうした見方が裏切られていくのが20世紀の歴史ですが、実際のところ、まだ頭の中が19世紀以前の西洋人はうようよしています。くわばらくわばら。
本書ではカトリック教会が進化論に反対したことは一度もないということがちらっと書いてあって、興味を惹かれました。そういえば渡部昇一がダーウィンを高く評価していたことを思い出しました。渡部氏は以前優生学的処置も認めていましたが、それも思想的脈絡があってことなのでしょう。
一方で実際、モンキートライアルはアメリカのプロテスタント教会の話でしたから、いずれにしても進化論は神様の領域に踏み込むところがあるのでしょうね。自然選択説は殺伐とした思想に導かれかねませんがダーウィン本人はそのあたり曖昧に見えます。またいずれ『種の起源』をじっくり読み直してみるつもりです。
ショックを受けた周囲の人たちにとってはただ事ではなかったのですが、機械論的自然観か目的的自然観かという問題の立て方よりも、ベルグソンみたいにエラン・ヴィタルとか言う方が感覚的にはしっくりきますが、これも結局は神様ですね。答えはそもそも明確な形では出せないものなのでしょう。オカルト的になりそうな人びとを眺めるくらいのスタンスで行くのが賢い気がします。
(岩波文庫1994年670円))
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