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2009年11月27日 (金)

カール・R・ポパー『科学的発見の論理(上)/(下)』

 いやー、ポパーはやはりたいしたものです。読み応えがありました。言っていることは至極最もです。科学を支えているのは形而上学的観念であり、自由な想像力ないしは創造力だということを基本にした上で、方法としては、それが批判に対して開かれているか、つまり、反証を受け容れる用意があるかということだけに集約します。
 このシンプルさと論理的明晰性が魅力です。もっとも、言わんとすることがあまりにもシンプルなので、結局のところ、どの本を読んでもメッセージはそこに帰ってきてしまうところがあります。
 というのも『果てしなき探求』を読んで、おお、これはなかなかいいぞと思い、代表作の本書にそこがもっと詳しく展開されているかと期待していたのですが、その点では期待はずれでした。
 本書はドイツ語版の刊行当時からウィーンの論理実証主義学派との対決を余儀なくされてきたので、敵を論駁するのにかなりのエネルギーが費やされています。自然科学とりわけハイゼンベルクの量子力学の理論的補強に資するところがあって、本書の後半は特にそうした記述が数式とともに展開されます。これは私の場合当然読み飛ばしますので上下巻二冊と言っても一冊分くらいの活字しか読んではいません。その点で今日については「一日二冊」ということになります。どーでもいいですが。
 さて、本書の中で私が最も関心をひかれるのは、ポパーが帰納法を認めていないという点です。そもそも自然界の斉一性と因果性を認めない限り、帰納は成り立たないのですが、ポパーはもっと極端に「帰納というようなものは存在しない」(48頁)と言います。この気持ちはよくわかります。
 自然界の斉一性も因果性の原理も、どちらも形而上学的前提だからというくらいの理由なら、現行のどの論理学の教科書を見ても書いてあります。ただ、それなら演繹法はもっといかんことになるでしょうから、その方向でポパーは帰納法に駄目出しをしているのではなくて、帰納法はそもそも無茶な推論だといっているのです。よく読んでみると結構ロマンチックな思想家です。
 ただ、本書は科学的発見自体については、それが何なのかということをちゃんと語っているわけでもありません。英語圏の版元が勝手につけた題名かもしれません。ドイツ語版原著は『探求の論理』ですし。しかし、いずれにしてもこのままでは、ポパーの哲学に基づいて科学的発見をしました、というわけにはいかないようです。

 この問題はもっと自分なりに展開できることがいくつかありますので、この冬休みに一本論文に仕立てたいと思っています。ただ、いつも論考を載せてもらっている学内紀要が、来年あたりから経費削減ということで廃刊になる可能性が濃厚で、そんなとこまで手をつけるほど経営が圧迫されているのかとあらためて不安になっているこの頃です。
 本学では連載された論考が単行本にまとめられるような学内紀要はその一誌だけなのですが(って自分の本ですが)、事務方のトップは一律に削るだけで事業仕分けができません。
 こんなことは本当は学問ではなくて経営のセンスの問題ですが、実際事務のトップにそんなことができるようならそもそも経営自体が苦しくならなかったはずです。困ったなあ。でもおそらく全国のどこの大学も似たり寄ったりの問題を抱えているのでしょうね。
 私にとっては原稿を書きためておくだけの話ですけど、紀要が廃刊になると、マイナスの宣伝効果は抜群です。特に同業者間での噂はたちまちのうちに全国に広がります。本当にいいのかなあ。

(恒星社厚生閣、上巻1971年3200円+税、下巻1972年3800円+税)

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