梯實圓『妙好人のことば』
弟の17回忌の法事に行ってきました。道すがら読んだのが本書です。タイミングがよすぎる感じですが、お経を聞きながら真宗門徒の飾らないながらも深い信仰心を表わすことばを思い起こしていました。
鈴木大拙がとりあげて有名になった浅原才市以外にも、すばらしい人びとが味わいのあることばを残しています。
三河のおそのは「おさしつかえなし、ご注文なし」ということを二、三年いいづめにしてみなされ、きっと、お慈悲をいただくことができます、と言います。阿弥陀仏の絶対無碍の救いがこのようなふつうのことばで言い表されていて、忘れがたい味わいがあります。
讃岐の庄松(しょうま)は文字が読めないのに大無量寿経を読んでみよと意地悪な坊さんに言われて、平然と「庄松を助けるぞよ、庄松をたすけるぞよと書いてある」と答えます。
庄松は豪快な人物で、風呂たきとしてお代官さまの背中を流しながら、「盗み食いしてようくらい、肥えとる」といって、代官の背中をポンとたたき「ご恩忘れな」と言ったそうです。こんなことを平然として行ないながら「正直者」だということで代官からのおとがめはなかったそうです。庄松の人徳や器量のなせる技でしょうが、お代官もそれなりに人間ができていたのでしょう。
私も天下り役人たちにこんなこと言ってやりたいものですが、庄松みたいに人間ができていないので、やめておきます。
もう一つ挙げておきたいのはやはり、独特のリズムを持っている才市の詩です。
子の心
子の心は親の心よ
親の心
親の心は子の心よ
親子の心 二つなし ひとつ心
機法一体 なむあみだぶつ
なむあみだぶつの外になし
なむあみだぶつを 助けたり
なむあみだぶつに 助けられたり
ごおんうれしや
なむあみだぶつ
ここでは「親」というのは阿弥陀如来で、「機」は自分の身体のことだと思えばいいでしょう。阿頼耶識の境地は禅宗でなくても、才市にあってはこんな感じで到達できたのかもしれません。
それはともかく、私の祖母もいつも何かにつけてはありがたやと感謝しながら、「なもあみだんぶ」を唱えていました。妙好人とまではいかなくても、そんなご老人の姿を目にしなくなって久しい気がします。日本人は劣化しているのかもしれません。また、もしも現在の状態から宗教意識が再生するとしたら、どんな形になるのでしょうか。
今日の法事でも故人の霊を身近に感じることができましたが、何だか嬉しそうにしていました。冥界で元気というのもヘンですが、遺族がみんな元気だからでしょう。ありがたくもうれしいことです。
もっとも、こんなことはあんまりはっきり見えるとかどうとか言ってしまうと江原さんになっちゃうので、話半分で聞いてもらうようにしていますが、実は弟とはあっちの世界で一緒にバスケをやろうとひそかに約束しているのです。楽しみです。
(法蔵館1989年1,500円税別)
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