カール・R.ポパー『果てしなき探求(下)』
本書を注文していたら下巻だけ3週間以上かかりました。上巻に載っていたこの巻の目次からすると面白そうだったので、早速読んでみましたが、ちょっと期待はずれでした。必ずしも上巻でもう少し読みたいと思っていた事柄が下巻で展開されているわけではありませんでした。私が個人的に気に入った表現はむしろ上巻の方にありました。
しかし、ボルツマンやアインシュタインやシュレディンガーなどの錚々たる物理学者たちを相手に科学理論を徹底して論じたりするのは、守備範囲の広いポパーならではのことでしょう。彼らに対しても少なからぬ示唆を与えているところは本当にすごいことです。しかし、ポパーの理論の独特なところはなかなか一般的には理解されにくいと思います。
実際、文系理系を問わず「帰納は神話である」(90頁)と言われてぎょっとする学者たちは少なくないはずです。科学は反証をつねに可能とするスタンスで作られた推測や仮説で十分であり、帰納なしでうまくやっているのだと言われても、にわかには信じがたいでしょう。
しかし、よくみてみると、これは慎重に練り上げられた科学理論なのだということがわかってきます。もちろん、本書だけではわかりづらいところもたくさんあるので、ポパーの主著を一通り読んだあとに再読するといいかもしれません。
あらためて畏るべき頭脳だと思いますが、ポパーの議論は正論だからといって必ずしも人気があるわけではないようです。結局自然科学者たちは、ラクをして適当に実証主義風に実験を処理し、理論を構築しているように見えなくもないのです。そのことにもおそらく何らかの理由があると思いますが、私はむしろその理由の方に興味があります。
学会などに顔を出すと、ごく一部の例外を除き、学者のほとんどはバカじゃないかと思うことがあります。しかし、そのバカの理由には社会学的にいろいろと興味深いものがあります。まるでみんなして学問という約束事の踊りを踊っているように見えます。
そして、その約束事は決して象牙の塔の中だけで作られたものではなく、いつの時代も世におもねる空気が練り込まれています。一千万人が行くなら我も行こうという小賢しさで、つねに探りを入れるように世の中の空気をうかがっているのです。曲学阿世とはよく言ったものです。でもおそらくどこの学会もそんなんばっかりですよ。
(森博訳岩波現代文庫2004年1000円+税)
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