中村雄二郎『臨床の知とは何か』
師匠の本を久しぶりに引っ張り出して読んでみました。弟子の中でも師匠から最も遠い方面にいて、勝手な研究ばかりしていると思っていた私でも、自分でも本を書くようになってみると、結局のところ、師の設定した問題の中でものを考えてきたのだということがあらためてよくわかりました。
そういえば数年前に同じ門下の後輩が企画してくれた研究会で発表する機会があったのですが、発表が終わってから後輩に「中村先生と話し方がそっくりで、笑いをこらえるのに必死でした」と言われて驚いたことがあります。師匠の影響はいつの間にか身体的なものにまで及んでいたようです。
中村先生というのは東京の下町生まれで、陽気で短気で喧嘩っ早いお芝居好きのおっさんです。ビートたけしが演じるようなキャラクターなのです。本からは想像がつかないかもしれませんが、ゼミ中は結構言いたい放題の発言で面白かったです。土曜日は朝からフランス語の読解、午後は各週で英語かドイツ語の読解ゼミを夕方までやっていました。えらく長いゼミですが、面白かったです。たまに早く終わるときは、テキストの間に演劇のチケットが顔をのぞかせていました。時間が近づくとそわそわしはじめるので、実にわかりやすかったです。いずれにしてもこれだけつきあっていたら、影響を受けないほうが不思議です。
さて、本書は情念の問題から出発した著者の思索の歩みをたどりながら、頭でっかちな西洋思想ではなく、人間の生きる現場の思想を構築しようとするものです。著者の他の本もそうですが、本書も問題の集約から始めて、さらにその問題群の広がりを示唆するというスタイルがとられています。問題をまとめる手際の良さは天下一品です。
こうして著者のいう「臨床の知」というものを見ていくと、本人が言うとおり、西田幾多郎の「行為的直観」や鈴木大拙の日本的霊性の問題につながっていくことがわかります。あらためてこの二人にも注目しておく必要がありそうです。
ところで本書をよく見てみたら著者サイン本でした。新刊で出たときすぐに買って、ゼミのコンパのときにサインをしてもらったような記憶が甦ってきました。先生のやや癖のある筆跡を見ると、当時の様々な思い出も甦ってきます。
最近昔のペンパルがあらためてメル友になってくれているので、ちょっとノスタルジックになっていますが、いずれにしても余計感慨があります。こういうのはスピリチュアルな経験だと勝手に思っています。
(岩波新書1992年550円)
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