この年末年始に帰納法について文章をまとめるにあたって、この学生時代の論理学の教科書を引っ張り出して読んでみました。ついでに図書館にある何冊かの論理学の教科書にも目を通しましたが、形式論理学の解説書としては本書が一番よくできていました。
これに合わせてベーコンとミルの帰納法も調べてみましたが、本書ではそのあたりも正確にまとめてあって、原書にあたって正確な記述を心がけているように思われ、著者の誠実さに感心しました。こんなことは当たり前のようでいて、専門の学者でも手を抜いていい加減な記述でお茶を濁す人が少なくないのが実情です。
大学当時の論理学のI先生が選ばれただけのことはある本です。今でもネット上には載っていますので、注文すれば入手できるかもしれません。昭和42年初版で15年以上版を重ねていますから、かなり息の長い本ですが、それだけのことはあります。こうした基本的な事柄と思考を押さえてある本は、こちらがあらためて物事を基本的に考えようとするときに、本当に参考になります。
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帰納法と言えば、個別の事実から一般原理を引き出すという、いわば実証科学が拠って立つとされている方法ですが、カール・R.ポパーなどは「帰納法は存在しない」とまで断言して、『科学的発見の方法』などで思いっきり攻撃しています。しかし、ポパーに言われなくても帰納法がヘンなことは論理的には誰でもよくわかります。
そういうポパーの論理は反証可能性も含めて確かに論理的によく構築されていますが、正しければいいってものでもないのが実は科学的発見の現場の論理のようです。ポパー自身、科学的発見は形而上学と深い関係があることを認めてもいるので、そのあたりは決して石頭ではないのですが、では形而上学と科学的発見の関係はどうなのかというと、そこは論じていなくて読者としては不満が残ります。
この点は自身並外れた科学者でもあった科学哲学者のM.ポラニーが『個人的知識』や『知と存在』でしっかり展開しています。ポパーの反証可能性についても「自己ー批判的な厳格さの偽りの装い」と言って批判している箇所があります(『個人的知識』255頁)。ポラニーは『個人的知識』では形而上学的立場あるいはキリスト教的立場をほとんどさらけ出してまで発見の論理を展開していて爽やかです。懐疑的な立場を批判する以上、自身の信念を前面に出さざるをえないのでしょうけれど。
ちなみにポラニーは、1919年にハンガリー人でカトリックのマグダ・ケメーニと婚約する数週間前の10月18日に、カトリックとして受洗していますが、奥さんの話ではいつまでカトリックだったか判然としないそうで、一説にはポラニーは1934年頃からプロテスタントの立場に立っていたとも証言されています(Moleski,Martin X.,Personal Catholicism, Washington,D.C.,2000,p.51)。
ポラニーは形而上学の重要性についてはおそらくポパーと同様の考えをもっていたと思われます。しかし、そのポラニーはポパーとは違って帰納法自体については何も文句をつけていません。現場の科学者たちにとっては仮説と検証を自在に行き来し、修正を重ねることが重要だったからでしょう。帰納法自体はいい加減な論理ですが、実験さえしっかりしていればいいというのが科学者の流儀のようです。
帰納法が発見の論理につながるというのは、ミルの議論が有名です(ところで、ミルの英文は昔さかんに東大入試に使われたそうですが、確かに適度に構文が込み入っていて偏差値の高い受験生向けの問題に適しています)が、ベーコンも独特です。しかし、このあたりを科学史や科学哲学と結びつけて研究している人はあまりいないようです。
ベーコンの帰納法が顕在表や欠如表そして程度表といった表を用いるのは、発想が古来の修辞学や記憶術にあるからだと思います。ロッシの『魔術から科学へ』は思想史としてはいいのですが、科学的発見の論理からベーコンの帰納法に光を当てた論考があったら是非読んでみたいと思います。あ、そうです、林達夫の著作集の未読の巻を調べてみます。
以上、論文には書かなかった研究上のこぼれ話です。こうやって書いておけば、いつか何かの役に立つかもしれません。読んでくれた人には長くなってすみませんでした。
(内田老鶴圃昭和42年900円)