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2010年1月15日 (金)

P.K.ファイヤアーベント『知についての三つの対話』

 科学哲学者の中で一番私の肌に合うのがこの毒舌の情熱家ファイヤアーベントです。演劇好きの著者らしくこの対話編はスリリングでした。登場人物に託して言いたいことも思いっきり言っています。
 著者の他の本からも薄々わかっていましたが、ポパーのことをほとんど認めていないのですね。「ポパーは哲学者なんかじゃないって。彼は形式的衒学者だよ。だからきっとドイツ人は彼のことが好きなんだ」(103頁)なんて言っちゃってます。
 確かに、私もこのところ必要あってポパーを読んで、こまでは言いませんが、同じような感想を持ちました。ポパーって中身がないのですよ。それだったらマイクル・ポラニーのほうがずっとましだよねという感じは本書にも出てきて、同感です。(もっとも、著者の『自由人のための知』ではポラニーも批判されていましたが。)
 ポパーと言えば、実は、旧帝大系の学者さんの中には「ポパー命」のような人たちも少なからずいらっしゃるので、日本でも場所を選ばないと、こんなことは言えない空気があります。しかし、これをファイヤアーベントはもっとポパーシンパの多い欧米の知識社会で堂々と発言するのだから、ポパー学派ないしは批判的合理主義者たちから蛇蝎のように嫌われるはずです。ファイヤアーベント批判の大合唱本というのも出ているくらいです。
 しかし、ファイヤアーベントとは『自由人のための知』以来の付き合いですが、今にして思えば、私自身かなり影響を受けている気がします。特に、認識論や方法論を含む「根本的な問題の解決のためには専門家(医者や科学哲学者その他諸々の)からそれを奪い返し、市民の手に委ねよう」(241頁)という魅力的な提案については基本的に同意するのですが、その問題を具体的にどうしたらいいかということずっと考え続けてきましたし、今も考えています。
 本書の存在はこの文庫で初めて知りましたが、読み応えがありました。本当に面白くて魅力的な人です。自伝もまた読み返してみます。それと、本書の中で著者が評価しているレッシングやブロッホの本もこれから読んでみようと思います。

(村上陽一郎訳ちくま学芸文庫2007年1300円+税)

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