手島孝『学としての公法』
戦後の法解釈学ではたとえ行政法でも公法と私法という分類を用いないのが主流で、公法という概念自体を用いない教科書も少なくありません。しかしその同じ行政法を運用する現場では公法概念を用いる方が便利なことも徐々に指摘されてきています。
先日読んだ櫻井敬子の入門書にはそのあたりの事情が書かれていて、なるほどと思わされましたが、そのとき引き合いに出されていたのが本書です。本書では公法の意義とその具体的な範囲が明確に書かれているので、学会の潮流に反しているようで、法律解釈の現場からの要請に応えているという画期的な本です。
思えば、政治学などでは昔から行政国家現象ということが言われていて、現代社会では行政サービスが肥大化し、それに伴って行政府の権限が過剰に大きくなるといけませんね、というノリでした。行政が肥大化するということは、当然その根拠となる法律条文がほかならぬお役人によってのべつ幕なしに制定されてきたということと表裏一体をなしていて、このことを法学では「法化」などと呼んでもいます。
民主政治というのは国民の意志によって動くので、個人の要求にどんどん応えていけば、必然的に行政国家になり、条文や施行細則だらけの法化現象が起こってくることになるでしょう。
そしてそのとき、私権の拡張と相互的な衝突だけでなく、それを抑えるべき公共性が確立されないと、やっぱり法解釈に正義が反映されないのではないかということです。正義の要請はかつての西洋のように神や国王からではなく、国民国家の公共性という(これも神の代理品みたいなものですが)少なからずフィクショナルな観念から出てくることにしたのが近代法治国家の取り決めです。
こうして自己原因に基づく法的正義、つまり、法はその正しさを法の中にしか求めないという正義観が生まれてくるわけですが、宗教的正義でもなく政治的正義でもないこの正義観が根付いてこないと本当の意味での近代民主主義にはなりません。そして、著者の意図はこうした法的正義が具体的に示される領域として公法を捉え直すことにあるようです。
特筆すべきは、著者の教養が古今東西にわたって広く深いため、話があちこちの古典の内容に飛んでは時々主題に戻ってくるという不思議でとらえどころのない叙述スタイルになっていることです。
きっと著者の講義を聴くとめっぽう面白いのでしょうけれど、この「ですます」調でなおかつくだけた感じの文章は、読む方としてはちょっと戸惑います。一般的な法学者の語り口ではないので、きまじめな人にはつらいかもしれません。早くポイントをまとめてくれ、と言いたい人もいるでしょう。もちろん極めて大事なことも書かれていますが、理論書という感じではなくて、不思議な味わいの本です。
おそらくかつて法学者に教養があった時代の法学者に向けて書かれた本なのでしょうが、今の法学者は生活も研究もすべての面で余裕をなくしていて、教養人とはほど遠く、とても著者みたいに読書していないと思われます。
というわけで、たまたま私は面白いと思って読みましたが、この内容で一般書というわけにもいかないので、一般的な読者がつくことはあまり期待できそうにありません。でも、法学部の学生なんかには是非とも読んでもらいたい本です。
(有斐閣2004年2200円+税)
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