荒川洋治『文学の門』
著者の文章にはいつも、曰く言い難い微妙なところを丁寧に触って確かめていくような感じがあります。そして、著者によって紹介された本や詩は新たな輝きを得てこちらに迫ってきます。
本書で紹介された蜂飼耳の『のろのろひつじとせかせかひつじ』(理論社)なんかは早速注文してしまいました。著者の適切な言葉で紹介されると、読まずにはいられなくなってしまいます。
本書の考察でなるほどと感じたことの一つに、話を途中で切ることの効用があります。それは「話の筋が通っていれば、それでいいのだ。不都合はない。『だらだらしないな。この人の話はみじかい」という印象を与え、安心感を与える」(116頁)ということになります。
さらに言えば「そもそも人の話を聴くことは、苦痛なことなのだ。できることならば、人の話は聞きたくないのだと思う。そうでないと感じているときでも、実はそうなのである、ということを話し手は、いつも心得ておく必要があるのだろう。[自分の話を途中で]切ることの意味も、そこにある」(117頁)ということです。
考える文章です。読点の多さが考えるリズムを刻んでいるようにも感じられます。
もう一つ引用しておきます。歌についてです。
「いま歌をつくる人たちは、自分が歌をつくることだけに興味をもち、歌をかえりみなくなったように思う。これまでの名歌をそらんじたり、しっかり文字に記すことのできる人は少ない。歌の歴史への興味もうすい。おそらく自分が『濃い』のだ。自分を評価しすぎているのだ。個性というものを過剰に信頼しているのかもしれない。そこからはいいものは生まれない」(210-211頁)
そうなんですよ。あっさり断言されていますが実に重要なことです。実際、ここ250年くらい個性というものに侵され続けてきたのが文学であり芸術だったのですが、それにもかかわらず、良い文学は奇跡的にも存在し続けてきました。
今日では、わが国でも著者のように文学が好きで文学を語れる人は希少生物のようになってしまいましたが、文学を心置きなく語れる世の中は良い世の中であるに違いありません。文学という営みの意義もそこにあるのだろうと思います。
(みすず書房2009年2500円+税)
| 固定リンク
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- ドイツ語で読む珠玉の短編(2026.06.23)
- 山本七平『小林秀雄の流儀』(2019.07.28)
- 田中圭一『うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち』(2017.02.20)
- 天外伺朗『宇宙の根っこにつながる生き方 そのしくみを知れば人生が変わる』(2017.02.19)
- 柴田昌治『「できる人」が会社を滅ぼす』(2016.12.30)
この記事へのコメントは終了しました。


コメント