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2010年1月13日 (水)

森田たま『今昔』

 1951年に出版された同盟書籍の復刻版です。『もめん随筆』から14年を経て、著者57才の頃の本です。登場人物が次第に現代に近づいていて、登場する人の名前も林芙美子や芝木好子、平林たい子、久保田万太郎、草野心平といった最近の人が出てきます。岩波茂雄や小泉信三なんて人も出てきます。
 著者の文章の味わいは変わっていませんが、年齢のせいかもしれません。ちょっとさっぱりした感じになっています。それでも、このジャンルは「怪しうこそ物狂ほしけれ」の世界で著者の狂おしき世界が時々垣間見られてぞくっとさせられます。だからこそのファンなのですが、この著者の世界は独特です。
 本の装丁はきれいですが、復刻版にもかかわらず、新漢字、新仮名遣いに変えられているのが残念です。著者の文章は旧仮名遣いだとより一層美しさが引き立つのですが、そのあたりは先日書店で見た中公文庫版の『もめん随筆』は旧仮名遣いでしたので、感心させられました。
 旧版をおそらくスキャナーで読み取って、新仮名遣いに打ち直していったようで、「ございます」が「ごぎいます」(81頁)とあったりするのはそのせいかと想像されます。また、本文の割り付けがヘンなところもあって(94-95頁)ちょっと笑えます。しかし、年譜や著者の写真が載っているところはサービスが行き届いています。
 若いときの写真を見ると、雰囲気が作家の中沢けいに似ています。資質も似ているような気がします。そういえば大学の頃はキャンパスに中沢けいのほか、当時すでに漫画家としてはちょっと違った名前でデビューしていた山田詠美もいましたし、演劇では川村毅もいたし、文学を志している仲間たちにとっては完全に水をあけられた感じがありました。そして、そんな連中は原稿を書くでもなく新宿で悄然と朝まで飲んでいたりしていました。
 私もたまにつきあっていましたが、作家志望ではなかったのは幸いでした。かくいう私も実は当時サックスを吹いていたのですが、すでに同年代で天才的な腕を持つ西直樹なんてピアニストがいて、まあ同じような気分を別の場所で味わっていました。
 でもまあ、そんなメジャーデビューできない連中も、自身の才能に見切りをつけて、それぞれに立派なサラリーマンになっていったようです。ただし、私はまだちょっと道を踏み外したままでいるような気がしていますが。

(暮らしの手帖社2005年1600円+税)

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