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2010年2月28日 (日)

荒川洋治『黙読の山』

 著者のエッセイ集が出るたびに読むようにしていますが、本書はいつの間にか入手し忘れていたため、あらためて注文しました。
 いつも通り心と体に染みわたる文章です。このそこはかとなく柔らかい語り口が大好きです。
 内容は本についてのエッセーがほとんどで、著者の紹介をきっかけに新たな作家の本を読むようになることも、また新たな楽しみです。
 本書で紹介されていたガルシン『紅い花』、加能作次郎『世の中へ・乳の匂い』、見順『いやな感じ』、渡辺京二『逝きし世の面影』、ブッツァーティ『神を見た犬』、ラープチャルンサップ『観光』については、どれもすこぶる面白そうなので、近い将来必ず読むつもりです。手帳に書きとめておきました。こうしてここにも書いておきましたから、忘れないでしょう。この本のタイトルや作家名を検索にかければ瞬時に出てくるのがブログのいいところです。

 それにしても、著者のように本当に文学が好きで、作家や作品の話ならいつまでも語ってくれそうなタイプの人というのは最近は稀少生物のようになってきているのではないかという気がします。学生時代にはそんな友達がそれなりにいましたが、今の学生たちはどうなんでしょう。
 思えば私の職場でも文学好きはほとんど見かけませんが、まあ、大学の先生というのは仮に文学研究者でも、字句にこだわるのが関の山で、ハナから期待はしていません。どうかすると作品自体に何の関心も持たないといったタイプも珍しくありませんし。
 しかし、ふつうの趣味人とか愛好家といったタイプの人は、気がついたら長らくお目にかかることがなくなっています。最近読んだこれこれの小説は面白かったよという会話がないのです。
 みんなお仕事が忙しすぎるのでしょう。たとえお勉強はよくされていても余裕がない感じです。残念ながらその手の人は魅力的とはいえませんね。
 来月は出張ついでに旧友に会って、久々に文学の話をしてくるつもりです。

(みすず書房2007年2400円+税)

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2010年2月27日 (土)

内田樹『邪悪なものの鎮め方』

 以前出した行政法のテキストを改訂しようと思って、このところ法律の本ばかり読んでいたため、ブログの更新が滞ってしまいました。何せ、法律書を丹念に読んでいると、一日一冊どころか、2週間くらいかかってしまうからです。とりわけ面白い法律書(なんてものも稀にはあるのです)は困りものです。そちらの本についてはまた別に紹介します。

 というわけで、久しぶりに趣味の読書に復帰しました。内田先生の新刊です。いい本です。おすすめです。ことに日々「邪悪なもの」にさいなまれている人には有益です。まあ、実際に多くの勤め人がそうなんじゃないかと思いますが、組織の中で権力が絡むと、邪悪な人たちは百鬼夜行のようにぞろぞろと徘徊し始めます。
 そんな怪しいものに出会う前に避けることができればいいでしょうけれど、そうもいかないのがサラリーマンのつらいところです。そうそう、学会とか研究会でもお目にかかります。そうなってくると、どうやってそいつらをやり過ごすかということになりますね。
 しかし、邪悪なものというのは、自分では善人だと思っている人に宿ることがしばしばなので、当人とサシで話をしていると他人の痛みに対しては呆れるほど鈍感でお気楽だったりします。使命感に燃えていたりするといっそうたちが悪いのです。
 テロリストなんかがふだんは模範的市民として通っていたと報じられても、別に驚くことはありません。たぶん本当にいい人だったのでしょう。それが驚くべき行動と矛盾していないのが邪悪さの邪悪さたるゆえんです。

 本書で印象に残ったのが「呪い」についてのいくつかの考察です。中でもアメリカが日本にかけた呪いというのが「日本は第二次大戦の結果4等国に転落し、精神年齢12才の国民が再び世界的強国になるのは不可能だ」というもので、なるほどこれを振り払うためにわが国は驚くべき経済成長を戦争の延長としてやり遂げてきたことがわかります。
 しかし著者がすごいのは、この呪いと同時にかけられていたもう一つの呪い、すなわち「呪いはそれをかけたものによってしか解除できない」(130頁)という無意識的な「目に見えない呪い」を指摘するところです。
 この呪いを解くには、日本は世界の一等国だということをアメリカに認めてもらうしかなくなるわけですが、アメリカはそんなことをした覚えは全くないのだから、何だかいつも過剰に忠誠を尽くしてくれるのを怪訝に思っているような気がします。
 この呪いによる説明は、日本の戦後の不思議な対米追従外交のパターンをうまく説明してくれます。アメリカ牛肉輸入再開をめぐって著者は日本人がアメリカに心中立てして死んで見せて、そのあと亡霊となって蘇り、アメリカを呪い殺したがっているのだと見ています。
 なるほどこうした筋書きを心の底で描いていると言われてみれば、そんな気がしてきます。いや、たぶんそうなのでしょう。
 しかし、フロイト的に言えば、このように言語化することで意識的に問題を捉え返すと、呪縛から抜け出せるかもしれません。著者の狙いもきっとそこにあるのでしょう。
 合気道の実践に裏付けられた著者独特の身体感覚的考察も、いつも通り冴え渡っています。頭だけで考えていては絶対到達できない境地というのを垣間見せてくれます。人生を生きやすくなる思想です。

(バジリコ2010年1600円+税)

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2010年2月16日 (火)

芝池義一『行政法読本』

 最近は行政法の教科書類も面白いものが揃ってきました。私の学生時代は無味乾燥なものが多かったことを思うと、隔世の感があります。行政法は公務員試験の科目として、面白くはないけれどやらなくちゃという感じで、みんな嫌々ながらやっていたという記憶しかありません。
 当時公務員に受かった連中でも、この法律科目を面白いと思っていた人はおそらくほとんどいなかっただろうと思われます。ただし、受験技術的にはパターンが限られていて、勉強の効果が現れやすい科目でもあったので、専門学校で受験科目として指導する立場になったときには結構楽でした。
 実は私は行政法の公務員受験用参考書を書いてもいるので、重要な法律改正があると、そのたびに改訂版を出さなければなりません。近年では行政訴訟法の大改正がありましたので、その時改訂してはいましたが、昨年は政権交代もあり、そして、何よりも行政法の優れた研究所や教科書が充実してきたため、この春にはまたそうした諸成果を取り入れた改訂版を出すつもりです。
 本書もそのために読んでいるのですが、なかなかいい本です。特に、20題以上収録されている具体的な設問が理解を助けてくれます。学説の対立にはスペースを割かずに、身近な設題によって基本概念が理解出来る仕組みになっています。公務員試験用として全体を把握することができるいい本だと思います。
 初学者に優しい作りですので、通信教育部の教材にしたいのですが、価格がどうしても高くなるのが問題です。参考書に挙げておきましょう。

(有斐閣平成21年2800円+税)

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2010年2月15日 (月)

橋爪大三郎『民主主義は人類が生み出した最高の政治制度である』

 タイトルだけを見るとえらくストレートにおバカな民主主義礼賛のようですが、標題となった章のタイトルには「陳腐で凡庸で過酷で抑圧的な」という枕詞がついていますし、よく見ると、カバーにも小さな字で記載されています。
 本書が出た当時は、そのへんの含みにまったく気がつかず、書店で平積みになっているのを見て、このタイトルゆえに敬遠した記憶があります。福田恆存ファンの友人が「けっ」てな感じで語っていたこともあって、私もそのまま読まずじまいになっていました。今思うに当時その友人も本書を実際に読んでいたわけではなかったようです。
 その後著者の他の本にも親しむようになって、古書店で見かけた本書を手に取ってみて初めて、これは要するに「されど民主主義」ということだったのかと悟った次第です。われながらバカでしたね。
 著者の他の本と同様、本書にも著者らしい鋭い指摘がたくさんあり、勉強になりました。特に、民主主義については「民主化運動によってゆさぶられないという意味で、民主主義は安定している」(115頁)という指摘に感心させられました。プラトンやアリストテレスもこのような指摘はしていなかったような気がします。
 そのほか、清教徒革命当時に形成された軍隊の仕組みがシビリアンコントロールの原型だということも教えられました。軍隊内部の上下関係と、市民社会の対等な関係がブレンドされているわけですね。
 また、アメリカが何かとイスラエルの政策を支持するのは、どちらも宗教的人造国家だという共通点があるからだという指摘も面白かったです。「イスラエルは中東におけるミニ・アメリカである」(88頁)ため、イスラエルの建国が否定されると、アメリカ建国の正統性も揺らいでしまうからというわけです。
 いろいろ勉強になりました。折に触れて読み返すつもりです。

(現代書館1992年2060円)

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2010年2月13日 (土)

野口悠紀雄『日本経済改造論 いかにして未来を切り開くか』

 著者の本がよく売れるのは、著者が他の誰も気がつかないことをしっかり実証的に指摘するからだと思います。本書はその特徴がはっきり出ています。
 なるほどと思わされた指摘を以下に列挙してみます。

1.わが国のバブル以降の長い経済停滞の原因は金融機関にあるのではなく、企業の収益低下にある。
2.郵貯は民営化せず、国債保有機関になるべきである。
3.日本企業の収益性が低いことの根本原因は、企業がリスクをとらないからである。
4.日本の家計の食料関連支出は、アメリカのそれの1.4~1.7倍で、家計支出中の比率は、アメリカが9%であるのに対して、日本では18%と倍になっている。
5.こうした高い食料品への過剰支出だけでも総額で年26兆円になる。
6.人口の高齢者比率は2030年で49%、2050年で60%を超える。
7.現在の年金システムは設定の段階で致命的な計算ミスをしでかして、ほ検量を低くしすぎたため、積立不足になった。それは決して賦課方式と高齢化に起因すすものではない。
8.現在未納率4割の国民年金の不足分は厚生年金の基礎年金部分が負担している。
9.日本の消費税制度にはインボイスがないため、益税が沢山発生してしまい、財源としても不確かなものとなっている。

 という具合で、テーマも多岐にわたりますが、それぞれ具体的な数値や根拠となる事実が示されているので説得力があります。決して雰囲気だけのお茶の間エコノミストのようなことはいっていないので、その点信頼できます。
 2005年の本ですが、今もわが国は同じ問題を抱えたままなので、内容はまったくと言っていいほど古くなっていません。古書店で100円ならかなりお買い得です。

(東洋経済新報社2005年1600円+税)

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2010年2月11日 (木)

木村晋介『竹林からかぐや姫 木村弁護士事件簿』

 最近テレビではあまり見かけなくなった木村弁護士ですが、古書店でこの第二エッセー集を見かけて、買ってきました。気になってWikiで検索してみたら、どうやらお元気そうでほっとしました。
 木村弁護士の文章はまったく法律家臭くなく、エッセイストのそれです。読者の気持ちがわかる頭のいい人なのだろうと思います。見習わなくては。
 さて、本書にも出てきますが、著者は三ケ月章のファンで、その著作にのめり込むのをきっかけに司法試験に合格したと書いています。私の友人知己を見渡してみても、三ケ月章ファンの法律家は熱血漢が多いという気がします。
 最高裁判事の藤田宙靖『行政法総論』にもそのまえがきで三ケ月章へのオマージュが述べられます。あれも熱い本でした。
 私も大学を卒業した後遅ればせながら三日月ファンになりましたが、『法学入門』や『ある法学者の軌跡』は読んでいても、肝心の『民事訴訟法』は読んでいません。いつか読まなきゃと思ってはいますが、いつになることやら。
 本書は著者の明るいキャラクターが窺われて、弁護士という存在にも少し親しみを持てるようになります。ホームドクターではありませんが、そういう弁護士をキープしておくのも大切なのかもしれません。
 昔、学生寮で1年先輩だった人が近くで弁護士を開業していますので、何かの機会に訪ねてみようかという気になってきました。

(筑摩書房1992年1300円)

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2010年2月 9日 (火)

北芝健『治安崩壊』

 著者を一度テレビで見かけたことがありますが、さわやかなナイスガイだったので、強く印象に残っていました。本書は今日のわが国の犯罪状況を解説してくれるだけでなく、元刑事である著者が犯罪から身を守るためのノウハウも極めて具体的に指南してくれていて有益です。うちの子どもにも読ませておきたい本です。
 題名どおり、わが国でも次第に状況は諸外国のおっかない都市のそれに近づいてきているのかもしれません。護身の心得は老若男女を問わず必要とまで言わないにしても、知っておいて損はなさそうです。
 現場の捜査官たちの見込みとして語られている世田谷一家殺人事件や北九州の一家殺人事件の背後関係には説得力があります。この事件に限らず、わが国での外国人犯罪にはほとんどといっていいほど暴力団が絡んでいるというのも驚きです。
 著者によると、治安活動に取り組む人にとって必要不可欠な要素とは「惻隠の情と、それに基づいて行動する勇気だ」(219頁)そうです。これは今日の世の中でどんどん失われていっている要素のような気がします。こんな要素を持ち合わせない人ほど役所や会社で出世していませんか?
 でも、本書からは著者のような立派な警察関係者が少なくないことも窺われて、少しほっとさせられます。まだまだ日本は捨てたもんじゃなさそうです。

(河出書房新社2005年1500円税別)

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川口創・大塚英志『「自衛隊のイラク派兵差止訴訟」判決文を読む』

 お世話になっている知人からいただいた本です。反戦市民団体を組織して裁判に訴えてみたら、判決文の中で、平成18年以降のイラク派兵は違憲であると明確に判示されました。画期的なことです。最近は裁判所も政治的判断を回避しなくなりつつありますが、保守派知識人にとってはまさかの坂がこんなところにという感じでしょう。
 第1審は予想通りの判決でしたが、高裁判決で違憲判断が出てきたのですから、控訴人はこのまま上告せずに判決を確定します。これで裁判所から自衛隊のイラク派兵は違憲というお墨付きを得たことになるわけです。政治手法としてこのやり方はこれからますます浸透していくと思います。
 すでに国民はこの度の政権交代によって、民意を国政に反映するのが他ならぬ投票行動だということにようやく目覚めたわけです。わが国はようやく普通の民主主義国家になってきたということができるでしょう。民主主義の軽佻浮薄なところもすべて投票者としての国民に跳ね返ってくることが、これからどんどん明らかになってくるでしょう。
 ただ、お人好しの国民なので、国境の外の無法の輩と今後どのように付き合っていくのか迷うことにもなると思います。外国ではカモのようにボコボコにやられて、国内では友愛とか「いのち」とかぬるい言葉でごまかすというのはバランスがよくありません。最近は犯罪者も国境を越えてやってきますしね。
 さらに民主党政権は、それに加えて外国人参政権もプレゼントしようというのですから、欲しいと言ってくる国があれば国民も領土もあげてしまいそうな勢いです。近代的国家意識が確立する前に解体させようというポストモダン的な実験をしたいのかもしれません。
 しかし、今後誰よりも政権担当者自身がこのジレンマに耐えられなくなってくるでしょう。アメリカに忠誠を尽くしながら反戦平和路線を貫くのはいわゆる統合失調症的状況です。それに加えてアジアから様々なプレッシャーを与えられると、そのうち国家を解散するなんて言い出しかねません。
 保守派知識人は本書をどのように受け止めるでしょうか。ちょっと興味があります。本判決の議論は法律論としては正論だと思います。憲法学者が興奮するのもよくわかります。しかし、これがいずれ数の論理によって政治に反映されるとき、どのような政策となって国民に跳ね返ってくるのかということはまだわかりません。
 いずれにしても、本判決によって今までよりも政治的な風通しはよくなるでしょうし、国民もより一層政治に関心を持たざるをえなくなるでしょう。時代の流れですね。
 これがうまく行かなければ鎖国でもしますか。

(角川書店2009年1500円税別)

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2010年2月 8日 (月)

マーシャ・ガッセン『完全なる証明 100万ドルを拒否した天才数学者』

 いわゆる「ポアンカレ予想」を証明したロシアの数学者ペレルマンの評伝です。1967年生まれのペレルマンは2002年にこの世紀の難問の証明を成し遂げますが、その後フィールズ賞も100万ドルの賞金も受け取りを拒否して隠遁してしまいます。
 本書はペレルマン自身を除く周囲の人の証言を可能な限り集めて作られています。周囲から照らそ出されるこの数学者には、極度に美しい魂の輝きがあることがわかってきます。また、そうした天才を育んだ旧ソ連の数学教育が、出鱈目な圧政下で多くの犠牲を伴いながらも学問的自由を守り通してきたことも活写されています。
 著者もそうしたソ連で育って数学に志しながら、結局一家でアメリカに亡命しました。ペレルマンと同い年生まれで、他人事とは思えなかったのでしょう。取材には著者がバイリンガルであることも大いに役立っています。
 それにしても、1980年代においてさえも旧ソ連では数学の大学院の試験に共産党史の知識が問われていたというのは驚きでした。さすが社会主義の本家だけのことはあります。当時すでに他の東欧諸国では数学などに政治が干渉するすることはなくなっていたのではないでしょうか。
 ポアンカレ予想というのは「なめらかで単連結の三次元多様体は球面に微分同相だろうか」という問いかけですが、まあ、そんなことはわからなくても本書は十分楽しめます。
 それにしても数学者の頭の中はどうなっているのか想像がつきません。本書の後半に中国人数学者の剽窃コンビが出てきますが、そういうセコい連中なら身近にも沢山いて、実にわかりやすいのですけどね。
 訳者解説にペレルマンの近況が語られていて、ちょっとほっとさせられます。決して悲惨な話ではなく、読後感は悪くありません。
 翻訳は全体に読みやすく、こなれた日本語ですが、前半の所々で意味のとりにくい箇所があって気になりました。何か単純なことだろうと思うのですが、言葉足らずのような気がします。いい本だけに玉に瑕とはこのことでしょうか。編集者もしっかり読んでほしいと思います。

(青木薫訳、文藝春秋社2009年1667円+税)

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2010年2月 5日 (金)

蜂飼耳・ミヤハラヨウコ『のろのろひつじとせかせかひつじ』

 童話です。荒川洋治が絶賛していたので読んでみました。その通りの本でした。
 美しい言葉とその背景にある登場人物の心の動きが印象的で、一つ一つのシーンが心に残ります。
 友情ないしは愛情の近いようでいて遠いような微妙な距離感がこの二匹の羊の間にあって、物語の柱になっています。こういうことが物語と文学の柱になるのかという新鮮な驚きがあります。地味だけれど確固たるオリジナリティーがあります。
 本書を読みながら、自分がこれまでの人生の中で体験してきたいろんな友情を思い出しました。私には幸いなことに、自分が死んだ後もまたどこかで会いそうな気がするような友人が何人かいるのですが、そういう友人たちのことが浮かんできます。
 夫婦でも恋人でもないのに深い縁を感じる友人たちというのは何なのでしょうね。もちろん、こちらが勝手にそう思っているだけでしょうけれど、何だかただならぬ縁を感じます。江原啓之ならソウルメイトと言うところでしょう。
 私は娘のために買いましたが、心優しい友人に贈る本としても最適の一冊です。

(理論社2009年1200円+税)

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2010年2月 4日 (木)

遠山啓『文化としての数学』

 数学は高校一年の秋の実力試験でどういうわけかフロックで90点以上とったのをピークにどんどんわからなくなりました。30歳を過ぎてから専門学校で公務員試験に出題される数学や数的推理、判断推理の問題を教えざるをえなくなったとき、あらためて勉強し直してみて、あ、そういうことだったのね、と腑に落ちるところがありました。できるようになったとは言いませんが、少なくとも数学に対するアレルギーのようなものはなくなりました。
 英語や法律も学校を出てから勉強し直して多少わかるようになりました。学校で勉強するのが嫌いなくせに学校で教えているとは、われながら不届き者だと思いますが、勉強のコツは多少心得ています。
 数学については、要するに点数だけ取るのだったら解法を暗記するのが一番効率がいい勉強法です。最初はよくわからなくてもとにかく解答を紙に書き写すのです。見ているだけではなくて手を使うのがポイントです。ここで面倒くさがらずに取り組むと、不思議なことにわかるようになります。このあたりのコツは精神科医で受験評論家の和田某の本に開陳されています。

 それでは受験数学ではなくて学問としての数学はどんなものなのかというと、これはまた別の面白さがあります。これも心得て数学に励んでいたら別の人生が開けていたかもしれないという錯覚に陥るくらいです。
 本書はそういう数学の概要を説いてくれる名著です。数学の歴史も鳥瞰できて便利です。文章も読みやすく、本当なら結構わかりにくいはずの内容の箇所でもすんなりと理解できます。
 若い時分にこういう先生の授業を聴いてみたかったものですが、解説代わりに戦後まもなく著者の講義を聴いた吉本隆明のエッセーが載っていて、これが良い味わいを出しています。実際、文章から想像されるとおりの先生だったようです。さらに吉本隆明が「あらゆる職から断たれて途方にくれていたとき、アルバイトの就職口を探してくれた」(244頁)そうです。

 ところで、本書に載っていたアメリカの大学生の学力調査結果は驚くべきもので、次のような問題がことごとく正答率30~50%台です。
1)175ドルの6%はいくらか?
2)7-6+2-4=
3)0.4, 2.5, 0.875を大小の順に並べよ
 ハイスクールで数学をやらなかった学生たちに限っての数字ですが、それにしても図抜けています。もっとも、わが国もゆとり教育以来急速にこのレベルに近づいていますが。
 ところが、別の本で読んだことですが、韓国、スペイン、アメリカとあと一カ国どこかヨーロッパの国の4カ国の生徒たちを対象に基礎数学能力のテストをしたら、案の定韓国が一位で、アメリカが最下位だったそうです。しかし、自分は数学ができると思うかという自己評価度を測ったら、惨憺たる得点にもかかわらず、アメリカがトップで韓国は最下位だったそうです。
 現在ここに日本が入ると得点も自己評価もひょっとすると最下位になるかもしれませんが、いずれにしても、世界で一番幸せなのはアメリカ人のようです。

(光文社文庫2006年476円+税)

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2010年2月 3日 (水)

横山宏章『中国の異民族支配』

 現代中国の国家としてのアイデンティティーは清朝の支配下から独立しつつ、清朝の版図はそっくりいただくという方向で確立されたため、五族共和と華夷之辨(漢族支配の原理)に基づいて、異民族を「中華民族」へと同化する政策がとられてきました。本書はそのあたりの事情をきっちりと文献に即して解き明かしています。正確な基礎知識が得られてありがたい本です。
 それにしても、五族のうち漢族に指導され支配される側の4族すなわちチベット、モンゴル、満州、東トルキスタンおよびそれ以外の少数民族はたまったもんじゃありません。伝統の仏教美術を略奪されてそれを中国のものとして美術展が開かれているのを見ると、チベット人でなくても血圧が上がることでしょう。マスコミは報道しませんけど。
 しかし、昨年の日本での五輪聖火リレーも北京政府の指令で日本中から中国人留学生が動員されていました。うちのような田舎の大学でも留学生の多くが長野に集結したようです。現地でチベット人に暴行をはたらかなかったことを祈っています。
 政治的自由のない国と付き合うのは難しいことです。実際、日中両国の研究者が歴史を共同研究するなんていうのはそもそも無理です。先方の研究者が少しでも日本の肩をもつようなことを言うと、直ちにその地位を剥奪されるのですから。議論が中国国内で報道されないことを見てもよくわかります。
 研究者はその辺のことをわかって参加しているのでしょうか。マスコミも社会主義というものを甘く見ているのではないかと思います。イデオロギーや宗教が違っても、人は腹を割って話せば分かるとでも思っているのかもしれません。その考え自体が日本的な宗教なのでしょう。鳩山首相のように「いのち」を大切にする宗教でしょうか。

(集英社新書2009年720円+税)

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2010年2月 2日 (火)

屋山太郎『道路公団民営化の内幕 なぜ改革は失敗したのか』

 タイトルを見るだけで内容が分かる本ですが、上下分離案とかプール制といった官僚のごまかしの手法が明らかにされていて、勉強になります。さらに、それに乗せられて馬鹿な踊りを踊った権力大好きの猪瀬直樹や、一見辛口風でで役人に擦り寄るだけの大宅映子のインチキさもしっかり批判されています。猪瀬直樹の『道路の権力』なんて要するに自分を飾るための私小説だったんですね。
 本書は2004年に書かれたものですが、今読んでみると、政権交代を見事に予言している次のような記述もあります。
 「改革に反対する族議員はまだ自民党にはゴマンと残っている。捲土重来を期して、小泉旋風の過ぎ去るのを待っている風情だが、改革がうまくいかなければ、小泉氏は歴代首相と変わらないと判定され、政権はいずれ民主党に移っていくだろう」(244頁)
 さらに「もはや自民党の自壊は止められない。これが道路公団改革のあとに来るものだ」(246頁)という言葉で最終章を締めくくっています。というわけで、本書はまさしく予言の書になってしまいました。著者の取材能力と分析力の勝利です。
 それにしてもお役所の論理のえげつなさがよくわかって辟易します。道路は公物だなんて急に言い出したりするのも下心丸出しなのですが、それを見抜くだけの目を養っておかないと税金はどんどん無駄遣いされてしまいます。
 民主党になってからも改革の議論は錯綜していますが、政治家の勉強不足は自民と変わらないように見えます。どんな問題についてもそれぞれについて3~4冊の本を読む余裕があれば、ある程度のことはわかると思いますが、ひょっとして政権与党になると、議員にはそんな時間さえもなくなってしまうのかもしれません。
 しかし、政治家がもう少し自分で情報を収集すれば、本当は政治家よりも現状維持でいたいマスコミ連中のバイアスの掛かった情報に踊らされることも少なくなると思います。本当は政策秘書なんてのはそのために存在していると思いますが、首相や幹事長の軽率な発言を耳にする限りでは、残念ながら政治家の基礎教養と知識の面ではほとんど役立っていないように見えます。
 
(PHP新書2004年700円税別)

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2010年2月 1日 (月)

マッテオ・モッテルリーニ『世界は感情で動く 行動経済学からみる脳のトラップ』

 前作『経済は感情で動く』の続編ですが、こちらの方が話題が多岐にわたり、実験例や事例も新鮮なものが多かったように感じました。授業で使えそうだなと思いながら、実は早速この土日のスクーリング授業でも、いくつかこの本の中から話題を拾って紹介してきました。
 本書では人びとの陥りがちな思考の癖がこれでもかというくらいとりあげられ、検討されています。集団に同調するあまり客観的な判断ができなくなるのも、別に日本人だけの特徴ではないことがわかります。
 高価なワインだと美味しく感じるのも、占いが当たるような気がするのも、なにか社会的事件が起こると「わしゃ知っとった」と後知恵を並べるのも「脳の罠」に落ちているためのようです。
 要するに人類は万国共通でお馬鹿なのだと言ってしまえば元も子もありませんが、そうなのでしょう。ただ、そのことを知った上で行動するというのは、そこから抜け出すための第一歩だと思います。
 著者も本書がそのために役立つことを願っているのだろうと思いますが、「今のままがいちばんいい」と考える現状維持の罠はそれ以上に強固なものなので、人間集団はやはりなかなか賢くならないのでしょう。
 相撲協会や高野連の理事たちのトラブル対応の様子を見ていると、ますますその感を強くします。公務員は言うまでもなく、民間の会社でもダメなところはみんな判で捺したように同じような行動パターンになってしまいます。
 また「コンコルドの誤謬」なんて一流企業の経営者でも陥る罠ですね。近時でも八ッ場ダムがそうです。こうなってくると住民も含めてみんなどうかしているのではないかと思えてきます。
 ここから脱するために著者が提唱しているのは、自分の考え方の弱点を正直に認め、自分の信念と対立する考え方の長所をしっかりと認めることです(335頁)。そのために、J.S.ミルのいう「悪魔の弁護人」を他ならぬ自分の為に用意することが必要となります。
 難しいことですけれど、それしかないでしょうね。それにしても、ミルのどの本にこのある意見に対してとにかく無理矢理にでも批判する「悪魔の弁護人」を置くべしという考え方が出てくるのでしょう。『自由論』でしょうか。しっかり探してみる必要がありそうです。
 翻訳文は概ね読みやすいのですが、時どき訳がわからないところが出てきます。極めつけは305頁の「弱冠21歳」という表現で、翻訳者も編集者も権威主義的思考の罠に陥っていることがよくわかります。
 そういえば何十年も昔ですが、ここの社員でいけ好かない人間に二人ほど会ったことがありますが、二人続けて鼻持ちならないエリート意識を湛えた社員に会ってしまうと、社風なのかと思えてきて、こちらも思考の罠に陥ってしまいそうです。くわばらくわばら。

(紀伊國屋書店2009年1600円+税)

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