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2010年3月25日 (木)

養老孟司『養老孟司の〈逆さメガネ〉』

 著者の議論はいつも筋が通っていて曖昧なところがありません。わからないことはわからないこととして扱いますので、ごまかしもありません。
 しかし、そう思ってそのまま読んでいくと、結果的に世間一般の思い込みと正反対の結論に至ることがあり、それを本書では「逆さメガネ」と言っています。それはがたとえば、心に個性があるのではなくて、身体に個性がある(144頁)という言い方になったりするわけです。
 こうした世間一般の思い込みというのは、それぞれの個人の思い込みであり、本当は日々流転し生成変化している世の中の現象を、自分自身の身体も含めて、その中に閉じ込めようとしています。
 著者の言う「唯脳論」や「脳化社会」というのもそういうことで、「自分は自分である」という意識の働きが「自分は変わらない」という思い込みに変化し、意識で説明できないものは間違っているという信念をも生み出します。
 でも、君子豹変と言われるように、人間もまた突然変わりえますし、それがいい方向に変わることも十分考えられます。著者ははっきりと述べてはいませんが、人類を見捨てているわけではないようです。

 かつて著者が大学の研究室で飼っていたネズミは、生まれたときから水をやって、餌をやって、それを切らさないようにしていたら、檻から出しても逃げようとなかったそうです。「ときどきその姿が、いまの若者と重なります」(143頁)と言います。
 しかし、そんなネズミでも一旦檻の外に出て、数日たったらもう敏捷になり、捕まらなくなるそうで、「環境しだいで、生きものなんて、それほど違ってくるんですから。だからこそ教育なんです」(同頁)

 日ごろ若い学生と接していると、なんだかんだと言いながらも、その若さそのもののもつ可能性についつい目を細めてしまいますが、可能性だけにとどまらず、本当に驚くべき力を発揮することが少なからずあるので、著者の言うことは私もよくわかります。
 そして、年齢にかかわらず、意識で自分自身に縛りをかけてしまわない限り、人間にはいつでもかなりの可能性が残っています。言い方は控えめですが実は希望に満ちた本です。

(PHP新書2003年680円税別)

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